私の読む「源氏物語」ー81-浮舟ー2
薫が考えてみると先刻、匂宮の持っていた文と違う点はない。供の童に、色紙の色まで見させたと言う事に、随身を、機転がきくと、薫は感心するが供の人達がそば近くいるから、聞かれてはと心配で褒めることが出来なかった。帰邸の道すがら薫は、やっぱり、匂宮は、大層恐ろしく、女には抜げ目無い人である。どの様な機会に、浮舟が宇治にいると聞いたのであろうか。又どの様にして口説かれたのであろうか。遠い田舎の宇治のあたりで、このような好色な外から別な男がはいり込んで来る事は、とくにあり得ないことであると、自分が思いこんでいたことが考えが幼稚であった。しかし、言い寄るにしても薫の知らない女にこそ、浮舟に言い寄るような好色事を、言われるのはよい。人もあろうに昔から秘密も打あけて親しくし、普通には考えられない程まで考えて、中君を紹介しようと宇治を共に歩いた薫に、後暗く無法な事を、考えることか、そんなものではあるまいと、思うと本当に不快である。二条院の西対の中君を、心から恋しく思いながら、手出しもしないで長い年月を経過している事を考えると、薫の心の慎重さは立派なものである。けれど、薫の中君への思慕は、今はじまった横恋慕と言うような格好の悪いものではなく、以前から姉の大君に許されて、一夜、添寝した事にも原因があるのであったけれども、薫に、心の中の隠している後暗い事が、あるようでは、中君には勿諭であるが自分のためにも、当然心苦しいはずであるから、中君思慕の気持を我慢している事も、匂宮が浮舟に手を出すようになっては、馬鹿馬鹿しい事である。この頃、明石中宮が、このように御気分が勝れなさらないので、何時もよりも御見舞の人が多いのに紛れて、宇治までの遠い浮舟へ、どうやって文を書いて送ったのであろうか。宮は既に、浮舟の許に通い初めたのであろうか。浮気の道としては、宇治は大層遠い道であるが。薫は、匂宮の所在が分からないので、気になるところを、捜した日があったと、耳にしたことがあったと思い出した。そのような匂宮の浮舟への恋で苦しいので、どこがどうと言う病気ではなくて、匂宮の病は恋病である。薫が昔の事を思出し、明石中宮の監視が厳しくて、中君の許へ通えなかった頃の、匂宮の嘆きは、全く見ていられないほど気の毒であったと、薫はしみじみと考えると、先程、宇治を訪問した時浮舟がひどく何かを思い詰めている様子を思いだし、その原因の一つが判明したので、浮舟の態度行為を、何もかも匂宮と関係づけて考えると解決することに気づいて、心が重くなった。考えること出来ない問題は人間の心である。浮舟は見たところは上品で大らかなとは見えるが、心が浅いので男女の絡み合いには、匂宮のような女を操るのが上手い者に似あっているのかも知れないと、薫は思い、匂宮の相手としては、良い間柄であると考えて、匂宮に譲ってしまうように、浮舟から手を引こうと思うが、正妻として大事に思って通い、関係を結び始めた女であるならば、手を切るのは苦しい事であるが、浮舟はそう言う女でないのであったから、やっばり今まで通り匂宮も通い、自分も通うような隠し妻で置いておこうか。それはそれとしてまた、今はこれ迄と、考えて縁を切り浮舟を見ないのは恋しさが益々大きくなるだろうと、薫は人が変わったように色々とこれから浮舟とどう関わるのか心の中で考え続けた。そうして、自分が進んで浮舟を捨ててしまったならば、必ず匂宮が自分の女にしてしまうだろう。宮は、浮舟のため将来のことまでも、一々考えるような方ではない。将来のことなどをそう深く考えていない女を、女房として、女一宮の御方に、二、三人差し上げなさった。浮舟がそのような目に逢って、もし女一宮に出仕していたとして、それを見たり聞いたりしたら、可哀想で悲しいことであるなどと、薫は浮舟を捨てようと一度は考えても見たがやっぱり、忘れることは出来ないので、彼女に文を送った。あの色々と教えてくれた随身を呼んで、手づから人のいない時に近くに寄せ。
「道定朝臣は今も舅の仲の家に通っているのか」
道定は、大内記兼式部少輔で、大蔵大輔仲信の娘婿である
「左様で御座います」
「宇治へは先日あったような、そなたに後をつけられた男をば、道定は何時も使いにしているのか。浮舟はひっそりと寂しく暮している人なのであるから、道定も浮舟に思いを寄せているのではあるまいか」
溜息をついて、
「人に気づかれないように宇治へ行ってくれ」
謹んで承って式部少輔道定が、何時も、この薫の案内したり、また、宇治の浮舟の事などを思うと、馴れ馴れしく薫に言うことは出来なかった。薫も随身の如き下々の者に事情を教えることはないと思うのでそれ以上のことは言わなかった。
宇治(浮舟の所)では薫からの使いがいつもよりも多いので浮舟の気持ちは匂宮へ薫へと揺れ動いている。薫の文は、このようであった。
浪こゆる頃とも知らず末の松
まつらんとのみ思ひけるかな
(波が越える(貴女が外の男に移るあだし心を持っている)時であるとも知らなくて、私は、御身が私を待つであろうとばかり、思っているのであったなあ)
悪い噂が世間に広まって、私の愚かしさを匂宮などに、嘲笑されないようになさいませ」
薫が急に、こんな事を言われるのはおかしい事と、浮舟は思うと、覚えがあるので胸が詰まるようであった。だから返事を、薫の歌の内容を理解しているような風に書くとしても、それも、気恥ずかしいことであった。もしも間違いであるとすれば、それも妙な事であるから薫の文はもと通りにして、
「宛て先が違っているように思えますのでお返しいたします。妙に気分が勝れませぬために、今は何事も申す事が出来ませぬ」
と、薫の文に書添えて、返した。それを見て薫は、恨み言を言ってやったものの、さすがにうまく答えたものよ。今まで決して見せなかった、利口なやりかたである。と返ってきた文を見て薫は笑い、浮舟を難い奴とは思わなかった。
直接、露骨には書いてなかったが、匂宮と自分の事を、それとなく言っていた文の様子に、浮舟は、一段と心配がひどくなった。とうとう自分も、見苦しい女と、いづれなってしまうに違いないと思うと、一段と悩んでいる所に、右近が来て、
「殿のお文をどうして返してしまわれたのですか。返してしまうことは不吉なので、忌み嫌われるというのに」
「間違いがあるように見られたのでね、宛て先の違いかと思って返しました」
右近は返したのはなんとなく怪しいと見て、彼女破片心の途中で文を盗み読みしていた。人の文の盗み読みは、よくない態度であるが流石に右近は頭がよく働く。右近が文を見たとは言わないで、
「ああ、思うようにならない不憫な事である。匂宮にも薫にも、どちらにも心苦しい事ですね。薫は、姫と匂宮との秘密の様子に気づきかれたのでしょうよ」
作品名:私の読む「源氏物語」ー81-浮舟ー2 作家名:陽高慈雨