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私の読む「源氏物語」ー81-浮舟ー2

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「貴女も一緒にと私も考えますが、今家の方ではお産のために大変騒がしくしています。また、こっちの女房達も、貴女が京に移られるため、ちょっとした準備の裁縫などをやり遂げるには我が家は狭いようで、準備が終わらないでしょう、だから貴女が私と共に帰るのは無理なことです。それで、越前の武生にある国府のように、どんな遠い所に、貴女が移っても私の方から、目立たないようにして会いに来るのを、忍びで参るけれども、私のような低い平人である身分の者は、薫のような貴人の身分の方の夫人である貴女のためには、母とは言っても公然と出る事は出来ないから、何としても役に立たなくて、貴女が可哀想である」
 母は泣きながら言う。
 薫からの文は今日もあって、浮舟の体調が悪いと言うことを聞いて、容体は如何という見舞いの文であった。
「私が直接見舞いに行こうと今日予定していましたが、よんどころない差し支えが、沢山あってどうしても宇治まで見舞う事が出来ない。貴女を京に迎える日の来るのが待ち遠しくて、このごろの一日一日の過ごし難いことは、待つ身の辛さは大変です」
 匂宮からの文の返事も、先のもしなかったが昨日の御文の御返りも、母が来ていたので、浮舟から匂宮に返事を出す事が出来なかったのに対して、匂宮から、
「返事が無いのはどの様に貴女は、愚図愚図考えていなさるのか、貴女が、薫に心が寄るようなのも、いかにも気がかりで、以前より一段と心も落ちつかなくて、私はぽんやりと物を思い込んでおります」
 などとこの文は言葉が多く書かれていた。かつて長雨の降った日に、宇治に来て薫と匂宮の使者が出あった同じ者達が今日も浮舟に文を持ってきた。
匂宮の使いは、薫の家来であの大内記兼式部少鋪道定の家で時々見かける男であるので、
「貴公はどの様な用件で此方へ度々参られる」
 と問うと、匂宮の使いは、
「主人の用ではなくて私個人として訪ねなければならない人の所に、用事があって参上するのである」
 匂宮の使は、出雲権守時方の従者である。
「貴方自身が好きな女に、色めかしい文を、自分が直接に手渡しするのか。変わったお人だ。嘘はほどほどにしなされ」
「実を言うと、これは出雲権守時方殿の御文で、女房に御あげなされるものである」
 薫の使者は、匂宮の使いが言うことが、こうころころと変わるのはおかしいと、思うのであるが、この場で問いつめるのもおかしなことであるから、余り言わなくて、それぞれ二人は京に帰っていった。薫の使者は才気があって、よく気のつく者なので、供をしている童を呼んで、
「左衛門大夫兼出雲権守時方の家にはいるかどうか、そ知らぬ風をしてこの男について行って見よ」
 と言いつけた。童は、
「匂宮の御殿に参って、式部少輔・大内記道定に、その文をば受取らせました」
 と報告した。薫の使者が、童に後をつけさせる程まで、自分の行先を尋ねようとは、頭の鈍い匂宮の使いは考えず、また、浮舟と薫や匂宮の深い関係も知らないので、薫の随身に、行先を見つけられてしまったことは悔しかろう。
 薫の使者は薫の御殿三条宮に参上して、薫が今から出掛けようとするところに側近の者を通じて文を渡す、薫は直衣姿で六条院の夕霧の邸に明石中宮が里帰りをしているので、挨拶に行くところであった。前駆の者なども今日は、多くない、文を持ってきた取り次ぎの者に、使者は、
「道中で変な事がありましたのを、はっきりと見定めましたので、お伝えしようとお待ちしていました」
 と言っているのを薫は聞いて、車に迎ながら、
「どういうことだ」
 と問うと、側近の取り次ぎが聞くのもどうかと思うので、黙って恐縮している。薫も、そのように取次の聞く事を憚ることであると承知して、六条院へ向かった。
 明石中宮は病であるというので、子供の親王達は皆六条院へ参上した。上達部も多く参上して賑やかであるが、容体がそう悪いと言うこともない。あの大内記道定は太政官であるから、公務などが多いので遅参した。詔勅や宜命、その他の公務が多いのである。文書と一緒に浮舟からの文を渡そうとするが、匂宮は六条院の女房達の控所(台盤所)に来て、そこの戸口に道定を呼んで彼女からの返事の文を受けとった。
その様子を薫は明石中宮の御前から、下って来るときにちらりと横目で見て、匂宮が深く交際している女からの文のようであるなあと、興味があるのでその場に立ち止まっていた。匂宮はその文を開けてみる。薫は紅の薄紙に、細々と書いてあるなあと、見ていた。匂宮は文の方に気を取られているので、薫の方を見ようともしない、夕霧も、明石中宮の前を立ち去って、外の方へ出て来たので、薫は襖の所から、外の方へ出ようとすると、タ霧が出て来なされると、咳払いして匂宮を驚かせた。匂宮は急いで文を隠す処を夕霧が覘いてしまった。匂宮は吃驚して直衣の頚の紐(雄紐)を、雌紐にさし入れた。休息の時は、紐をはずしてくつろいでいるが、今、タ霧を見つけて紐を掛けた。大臣であるから、礼を正したのである。匂宮が、紐をさして居ずまいを直すと薫も、タ霧への礼儀で畏まって膝をついてなされて、夕霧に向って、「私は、退出させていただきます。明石中宮のいつもの御悩みが、長い間御起りなされなかったのに、また起こったのは恐ろしいことであります。比叡山延暦寺の座主(首座の僧)を、只今直ぐに、祈祷のために呼びに、使者を遣しましょう」
 と言って見送り忙しく控え室へと去っていった。見舞いの人々は夜ふけになるとみな六条院を去っていった。夕霧大臣は匂宮を先にして多くの子供や上達部公達を引き連れて六条院のタ霧の住む御殿の方へ帰っていった。薫は、タ霧よりも遅れて六条院を後にした。先程出かげる時、随身が何か言おうとしていたのは、少しおかしかったと薫が思ったので、前駆の者などが、薫の前を引下り、庭におりて帰途用の松明をつけている間に、あの使いを呼び寄せた。
「先ほど言おうとしたことは何事か」
「今朝あの宇治で出雲権守時方朝臣の許に仕える男が、紫色に見える薄様で、桜の枝につけた書面を、山荘の西面の端の開き戸の所に寄って、女房に渡しましたのを見つけまして、私がその男に、色々と質問致しました所が、申す事の前後が始終違って、嘘のように聞こえましたから、どうして、そんな風に言うのかと、疑わしく思って、供の童に後をつけさせました所が、兵部卿(匂宮)の邸に入っていきまして、式部少輔道定朝臣に宇治からの返事を渡していました」
 と自分の見たことを話す。薫は、変だ、と感じて、
「その宇治から匂宮への返事は、どのようにして使者に渡したか」
「それは見ておりません。私のいる所と違う方から渡していましたから。それでも供の童の申しました事は、赤い色紙で、大層、綺麗な文であったと、言っておりました」