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私の読む「源氏物語」ー81-浮舟ー2

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 と白い色紙に立文であった。薫はその性格から、恋文らしくはしないのである。筆蹟もそう立派とは言えないが全体の文面を見ると並々でないものがあった。匂宮の文は文章中身が大変多岐に亘って色々と書かれた有り、それをわざと、小さく結び文になされたのも、色々とその人によっての個性があって面白い。女房が、
「先に匂宮の返事を人が見ないうちにお書きなされ」
「今日は返事を書くことが出来まい」
 と、浮舟は恥ずかしくて、練習のためと、

里の名をわが身に知れば山城の
  宇治のわたりぞいとど住みうき
(宇治の里の、う(憂)と言うのを、自分の身の上に感知しているから、山城の宇治の辺は、一段と私には住みづらい)

 匂宮が前に書いていた、二人になぞらえた絵を浮舟は時々見ては涙を流していた。匂宮との関係は、長く続いて行末遠くまであるはずはないと、浮舟は反省をするけれども、薫に迎えられて、よそにいて、匂宮と縁を切って、籠もって一生を終ってしまうような事は、匂宮に対して気があるからとても彼女には寂しいことであった。匂宮に文を書く。

かきくらし晴れせぬ峰の雨雲に
  浮きて世をふる身ともなさばや
(真暗になっていて、晴れもしない、峰に漂う雨雲の(いつかは消え失せてしまう)ように、浮いて(何のあてもなく、落ちつかずに)、世を過ごしている境遇に、この身をなしたいものである)
 私は、雨雲になって消え失せたいのであるが消えなくて薫に迎えられてしまったならば、たとえ生きていて、その事を、貴方が御聞きなされたとしても、私は、貴方に御逢いする事は出来ますまい」

 という浮舟の返事を読んで、匂宮は
おいおいと声をあげて泣いてしまった。薫に迎えられても、匂宮を「恋しい」と浮舟は思うと、浮舟が物思わしそうにしていた面影が彼の目の前に現れて悲しかった。ところが真面目な男の薫は浮舟から来た返事をのんびりと見ながら、彼女はしんみりと、どんなに寂しく物思いに沈んでいるであろうかと、思って浮舟がとても恋しかった。浮舟が、

つれづれと身を知る雨のをやまねば
    袖さへいとど水かさまさりて
(貴方の訪い給う事が、疎くなったから独り、物を思いながら眺めていると、自分の身を憂き身と知る雨(涙)が降って止まないから、宇治川の水の増す、その上に、私の袖までも、一段と、身を知る雨(涙)の水かさが増して、堪え難い)

と書いてある文を下にもおかずに薫はじっと見つめていた。
 夫人の女二宮に話のついでに、
「無礼ことと、貴女は思われるかも知れませんが、私は、気恥ずかしいものの、然しながら思いを寄せて何年にもなる女が居るのを、私が、見苦しい所に捨てて置くので可哀想であるので、近々京に呼び寄せようと思っています。昔から私は人と違った出家遁世の志が、あったので、一生を普通の人でなく世捨て人となって、独身で過ごしてしまおうと、私は覚悟を決めていたのですが、このように、貴女を御世話申しあげるために縁を結ぶようになっては、むやみに世捨て人となるわけにも行かなくなり、隠した女があると、今まで、世間にも知らせなかった女の身の上まで、捨てて置くのは気の毒なことと思い、また罰か下ることという気持がするので迎えようと思う」
「どのような事柄に、嫉妬するのか私は知らないから。何をなさろうとも私は妬ましいと思うはずはないでしょう」
「帝などに、このような事を、悪意を持って告げ口する人があろう。世の中の噂ほど面白くもなく腹の立つことである。しかしその女は、世の人の噂に上る程の、身分でもないから」
 などと話した。
 薫は、新しく造った邸に浮舟を住まわそうと考えているが、新築は、隠し妻を引取って住ませるためなのであったなど、わざと派手に吹聴する人もあろうかなど、噂が立つのが苦しいので内密に、襖を張らせよと言う事などを、
人があるのに、大内記道定の妻の親で、大蔵大輔である仲信に薫は親しいので、頼まれたので、道定があっさりと匂宮に話してしまった。
「襖の絵を始め、その他室内装飾の絵を書く絵師達なども、ご家来の中の親しい者を選んで、隠れ家ながらも立派に造られています」
 匂宮は薫に先を越されてはと、慌てて自分の乳母で遠国の固守の妻として下国するのであく家が、京の九条近くにあるのを、
「ごく内密にしていた女を、暫時、隠して置こうと思う」
 と、家を借りる事を、相談されたから、どんな人であろうかと思うが、匂宮が大切な女というのであれば断ることも出来にくいので、乳母の夫の受領は、
「けっこうですよ」
 と匂宮に返答した。隠れ家を用意して匂宮は、いくらか気が休まった。受領はこの月(三月)末頃に任地に下るから、浮舟を直ぐに、受領下国のその日、その家に移そうと、匂宮は準備をする。
「このように考えているから、人に知られないようにして準備をしておくように」
 と浮舟に文を送った。宇治に浮舟が居ることは匂宮は無理であると言う考えでいるうちにも、ここ宇治からも、かつて、匂宮を睨んだり邪魔をした浮舟の乳母が、でしゃばって浮舟を看視しているから、浮舟の出京は、なかなか困難であると言うことを、右近や侍従などが匂宮に連絡をした。
 右大将の薫は卯月の十日に浮舟の京都移転を決定した。浮舟は気持は匂宮に傾いているのであるが、小町の歌に
「佗びぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば去なむとぞ思ふ」(辛い思いで過ごしている内に、この身がすっかり嫌になってしまいましたので、いっそ浮き草のように根無しになって、誘ってくれる水があるならば、何処へでも漂っていこうと思います)
と言うようには考えないで、不思議に、
どんなに、この先はしなければならない身の上なのであろうか、判断のきまらないそわそわした気持許りするから
浮舟は、母親の許に暫く行って、考えが纏まる間はそこにいようと考えるのであるが、実家では少将の妻が子供が生まれるのが近づき、安産の祈願でやかましいので、石山にも行けなかったと母親が宇治へやってきた。乳母が母親の前に出てきて、
「薫の殿から、浮舟の京への引越に関して、女房達の装束なども、こまごまと御心遣いなされて贈り下された。どうかして綺麗な引っ越しをと私は思っていますが、乳母の考え一つだけでは、いかにも、見すぼらしいことでありましたでしょう。薫殿には有り難く助かりました」
 気持ちよく母親と話す乳母を横で見ていて浮舟は、飛んでもない事(匂宮に迎えられるか、又は匂宮との秘密の露見)などが、自分の身の上に起こって、私が笑い者になったら、母親や女房達が私のことをどのように思うだろうか。それはそれとして、無理無体に色々と、私に仰せなされる匂宮は、雲の幾重にも立ち重なっている山に、たとえ、私が隠れ籠もっても必ず尋ね探して、自分も、浮舟も、きっと一緒に死んでしまうに違いない。そう言う次第であるから、やっぱり、気楽に心配しなくて、一緒に隠れてしまう事を考えようと、今日も文が来て言われるのであるが、私はどうすればいいのかと、考えると気分が悪くなって横になってしまった。
「どうしてこんなに青く痩せてしまったのか」
 と母が心配する。乳母が、
「この頃はどうも、体調が悪くて、何も食べずに悩んでおられるようでした」 と答えると、母は、