私の読む「源氏物語」ー78-東屋3-2
と、女房達が言う。中君の部屋の前以外の格子蔀をつぎつぎと降ろしていった。浮舟の居間は西対の母屋と離れた所にあり、丈の高い二階厨子一双(一対)程立て、また、屏風の、袋にしまい込んだのを、柱やその外所々に寄せて立て掛け、何やかやが、乱雑な状態にほうりっぱなしてあった。こんな隠れ忍ぶようにして、浮舟が住みなされるからと言うので、母屋への出入の通路になる襖を、浮舟が越して来て以後、一間だけ開けた。右近 という大輔の娘で、親と同じく中君の許に仕えている者が来て、北廂の格子蔀を下して、浮舟のいる所に来た。右近は浮舟の部屋に来るなり、
「なんと暗いこと、まだここには燈火をつけに参らないのですか。格子蔀を、骨が折れるのに、大急ぎで下した為に、私は暗闇の中に途方に暮れているよ」
と言って、降ろした格子蔀を又引き上げようとするので、匂宮は格子蔀をまたあげて、室内をいくらか明るくして右近がこちらに来れば、自分が忍んでいるのがあから様になるので、いい加減にせんか、と右近がぶつぶつ言うのを聞いていた。それはそれでまた、乳母は、本当に困ると、思うので遠慮せず短気で強気な性格の人なので、
「一言言っておきますよ。ここに、全く妙な飛んでもない事が発生しておりますので、私は驚いてしまって動くことが出来ずに、困っておりまする」
と言うと、右近がその乳母の声を聞いて。
「何か変なことが」
と手でその辺を探りながら浮舟の近くに寄っていくと、直衣などは着ずに、その下に着る袿(内着)姿である男が、大層香ばしくたきしめていて、浮舟に添い寝しているのを見て、いつもの匂宮の浮気な姿と、右近は気がついた。浮舟が匂宮の浮気を許していることはないと、右近は推測したから、
「これはこれは成る程見苦しい光景であります。右近は匂宮にどのように申しあげましょうか、何とも申しあげようはない。今直ぐに中君に、この状況をこっそりとお伝えしてきましょう」
と言って立って行くのに、中君に申しあげる事は、甚しく見苦しい事として女房達は皆が思うのであるが、匂宮は何とも思わない。匂宮は、驚くほど上品で美しい女であるなあ、誰なんだこの女は、右近がこの女に言った叮嚀な言い方につけても、普通の有りふれた新参の女房ではないようである。と理解すること出来ないで、色々な言葉を浮舟に投げかけて懸命にくどきなさる。浮舟は気に食わないことをされて、不愉快そうにしているが、それを態度にまで現わしはしないけれども、恥ずかしさに死ぬことばかりを思うのであるが、気の毒な気持ちになって匂宮はやさしく宥めなされた。
右近は中君に、
「只今このようなことを匂宮が成されました。御気の毒な事に浮舟様はどんなお気持ちでしょうか」
と報告すると、中君は、
「いつもの嫌な匂宮の御振舞であるなあ。浮舟の母が聞けば本当に、軽薄で、不都合な行動として、匂宮の事を思うことであろう。安心の出来るように、御預り下されよと、帰る時に、何回も北方は私に言い置きされたのに」
と、浮舟を気の毒だと思うのであるが、匂宮にどういう風に注意しようか、匂宮に御付きの女房達でも少し若い人にして、美人の女房は御見捨てなされる事なく、どうしようもない癖であるから、何とも言いようがない。それにしても浮舟が此処にいる事を、どうして気づいたのであろうか。驚き呆れて言葉の出しようがなかった。少将君は、
「今日は、上達部が沢山こちらへ御越しなされた日なので、寝殿で大いに演奏して遊んで居られたが、匂宮はこのような日には時を忘れて遅くなって此方に来られますので、女房達は気を許して寝てしまいますからねえ。その隙に起きたことでしょう、これからどうすればよろしいでしょうか」
右近が、
「あの浮舟の乳母はすごい剣幕で匂宮に物を言っておられた。浮舟に寄り添って見守り申しあげ、匂宮を引っぱってまあ、きっと荒々しく除け申しあげることでしょう、恐ろしい形相と、私は思ったのであった」
右近は少将と二人して浮舟を可哀想に思っていろいろと言うのであるが、その時内裏より使者が来て、
「明石中宮がこの夕暮れから胸が苦しいと言われていたが、それが重くなってこられました」
右近、
「このようなときに中宮のご病気とは、匂宮にお知らせに参ります」
と言って立ち上がった。少将は、
「いや、もう。今となっては、騒いでも何をしても、当然、仕甲斐がなく、どうにもならない事であるからねえ。だから馬鹿らしく大騒ぎをして、あまりおどかし申しなさるな」
と言うと、右近は
「いいえ、まだ体まで実事には及んでいないであろう。大急ぎで、匂宮に、中宮病の件を告げて参内させ申そう」
と、二人がひそひそと話すのを、中君は、全く、外聞の悪い御性質で、多少とも、世間に理解のあるような人は、匂宮は勿諭であるが、私までも,きっと嫌うに違いないと思うのである。匂宮の許に参上して右近は使いが言うよりも少し重い病のように匂宮に告げると、その場を梃子でも動かないというような様子である匂宮は、
「使いは誰が参った。いつも大袈裟に申して、私をおとかす」
と、嘘を申すかと思うのである。右近は、
「中宮職の役人で、平重経 と名乗っていました」
と答えた。この場を去ることが匂宮は残念であるため、人目も憚らない、その場を、動こうともしないから、右近はその場から出て行って例の使いを呼び、浮舟のいる西対の西面で、中宮の御容体を問うと、先程、使の口上を取次いだ人もそこに来て、重経は、
「弟宮の中務の宮、代理に参内されました。中宮大夫ただいま参上されました。此処に参りました途中で、大夫が御車を引出すのを見ました」
と申しあげると、突然使が来るようになる程、突然に中宮は体調を崩すことがあると。匂宮は思うと、遅れると中宮の思いなされる手前も、工合が悪くなるので、浮舟を色々とくどき、また、約束をして置いてその場を去った。
浮舟は恐ろしい夢から覚めた心地がして全身汗びっしょりとなり臥していた。乳母が扇で風を送り、
「こんな御殿は、万事につけて気が張って人に見られているような恥かしさを感じられ、住むには都合がわるい。匂宮がこのように、浮舟の許に通い始められたのでは、これからも良いことはあるまい。恐ろしい事よ。身分がこの上ない高貴な方と申しあげても、冗談であっても、夫人である中君の妹に手出しをするという、安心ならない態度は、姫にとって全く、面白くないであろう。よその人で、縁もゆかりも無いような男にこそ、良かれ悪しかれ自然に思われなされる方がよい。匂宮の態度が世間に知れると、格好悪いことであると、私は考えますので、悪魔降伏の、不動尊のような怒りの顔を作り出して、じっと匂宮を睨みつけていましたところが、宮は私を気味悪い、下衆っぽい下品な女と、思われてか、私の手をひどく爪でつねられたのは、下々平人の懸想と同じようで、私は可笑しく思いました」
常陸邸には今日も常陸介と北方とが、
真剣に口喧嘩をしていた。常陸は、
「ただ浮舟一人だけを世話するために、私の実子どもの世話をしないでいる。その上、婿殿のお出での時には浮舟と共に二条院に泊まるという、見苦しいことである」
作品名:私の読む「源氏物語」ー78-東屋3-2 作家名:陽高慈雨