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私の読む「源氏物語」ー78-東屋3-2

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 と中君がかすかに笑うと、側で聞いていた北方には几帳越しなので、けはいが面白く聞かれた。
「さあ、人形が忍んでここにいるのであるならば、その母北方に、私の気持を、何もかも全部御伝え下されよ。貴女の浮舟の事を語って私からの逃げ口上こそ、大君が、御身を身代りとして私に譲ったのを思出すから、縁起が悪いと思いますがねえ」
 と言うだけで大君を思いだして薫は涙ぐんでいた。

見し人の形代ならば身に添へて
   恋しき瀬々の撫でものにせん
(浮舟が、かつて私の見た、昔の大君の身代りであるならば、常に身辺に置いて、大君の恋しい、その時々の恋しさを移す撫で物にしよう)

 いつものように、本心が浮舟に思い移らないように戯れ事として敢えて詠んで、中君を思う真実の本心をまぎらしてしまった。

 みそぎ河瀬々にいださん撫で物を
   身に添ふかげとたれか頼まむ
(御祓の時に、瀬毎に流し捨てるような撫で物にしようと仰せの、その撫で物浮舟を捨てようとの御心と見えるから、何時も身辺に置く永く連れ添うものと、誰が信頼しようか、しない)
 引く人が、貴方には大勢でいらっしゃるとか、言う人がいますよ。それは、浮舟に可哀想でありますねえ」
 薫は、
「結局は、引く手数多でも落着く所は、勿論ありますよ。それは、貴女に。しかし、日頃、貴女への思いが叶わなくて恨めしく思っている私は、捨てられても、やっぱり頼みにする事の出来る、そう、消えてまた浮く水の泡とまあ、根競べをしておりまする。ところが、貴女から川瀬に流し捨てられる祓いの撫で物のような物である事は、まあ、疑がないなあ。どうして、貴女でなくて形代で、貴女を思う心を満足させる事が出来るものか」
 などと言いながらゆっくりとしている内に日が暮れてきた、人の口がうるさいので中君は、
「ちょっと、こちらに来合わせた浮舟の母北方も、薫殿の長居を、おかしな事と思うわれるでしょうが、そのことが私は恥ずかしく感じます。だから今夜は早くお帰り下さい」
 なかなか立たない薫を、うまく宥める。薫は、
「それならば、その客人の北方に、私のこんな山里の本尊にも、また形代にもしたい念願は、思いついてから年月がたっているから、この申出は、出し抜けであるなどと、浮気心と解釈しないようにお伝え願って、もしも気に入ったならば、何としてもお世話願ってこの念願を叶えて欲しい。性格で、全く、恋の路に未経験である私は、どんな事でも、恋に関しては、惚けておりまずる」
 と言い置いてなかきみの前を去ったのに浮舟の母は、
「大変ご立派で申分のない、理想的な御容姿であるなあ」
 と、褒めたたえながら、
「乳母よ、急に考えつけて、薫殿を浮舟の婿にと、かつて、度々言った事に対してお前は、そんな事は、飛んでもない縁として、断ったけれども、薫殿の様な方と巡り会えるのは、天の川を渡って、年に一度逢うだけでも、浮舟に、彦星のこんな立派な方をこそ、婿と言って、通わせたいものである。浮舟を普通の平凡な男に縁づけるような事は、借しいほどの美しい容姿であるのに東国生活のため、東国人らしい男を許り私は見ていて、少将のような者を勝れた立派な者と考えているのであった」   
 と言って北方は今までのことが悔しくたまらなかった。薫が体を預けていた真木柱も茵も薫の遺した香りが、大袈裟に匂うと言うほど、珍しく匂が漂っている。北方は勿論のこと度々薫と出会う女房も、会う度に香りを褒めるのである。女房は、
「経を学び、しかも、読経の功徳の勝れている事が述べてあるような中にも、人の身に、匂の香りがよいのを尊い事として、仏が仰せられたのも、薫の体の匂を聞くと真実だと分かる」
「法華経の第二十三の薬王菩薩本事品などにも取り上げて書いてあります。牛頭山から出る栴檀とか言う香木は、恐ろしいような香の名称であるけれども、何をさし置いても第一に、私共のそばに、薫様が身動きなされるとその香りで仏は、本当の事を、御述べなされたのであった。と思うのである」
「これも、幼いときから薫様は仏道の修行も、一所懸命になされたからよ」
 また別の女房が、
「どんな善根を積んだ方か、前世のことが知りたいと思うほどの薫様の御立派な御容姿である」
 と口々に褒めるのを北方は何となしに。薫の褒められるのを、自分の婿でも褒められるような気がしたのである。 中君はそっと、薫の言ったことを北方に告げる、
「一旦思い詰めた事を、執念深いと思われるまで思いつめて、容易に変更せずにいる方であるからねえ。そこで、薫様は女二宮の婿であるからなる程、薫の現在の事情などを考えると、北方貴女も、なんとなく面倒な気がするけれども、世に背いて、尼になってもと、思いつきなさるような事も出家と同じ気持ちで薫様との縁を考えてみては如何かなあ」
「浮舟が辛い目に遭わず、人に馬鹿にされず、の心であればこそ鳥の声も聞えないような、奥山住いの隠遁生活までも思い詰めていました。女二宮の婿との仰せの通りなる程、薫様の様子を見ることが出来て私の希望はたとえ下女の身分などでも、こんな立派な方の御そばに御仕え出来るならば、私のような老人でも、仕え甲斐があるものです。ですから若い人であれば薫様に、きっと、心を奪われてしまうに相違ないことでしょうけれども、浮舟をさし上げれば、浮舟のような物の数でもない身に、物思いの種を、さらに蒔かせて、その姿を私が見ているのですか。身分の高い低いは女にとって、このような男女の間の事でこそ、この世は勿論、死んだ後の世まで苦しむことになると言うことを思ていただき、浮舟を可哀そうに思ってください。可哀そうに思う親の気持ちも、中君の御考に御まかせ申しましょう。如何ようなりとも、浮舟を御見捨てなく、御世話下されませ。御頼み申します」
 と北方が言うと、中君はなんとなく面倒な気持ちになって、

「いいえ、どうなるか分かりませんよ。薫の今までの情心の深さの故に、心を打ち明ける(薫との縁の事を話す)ので(て)、これから先の事情は、わかりかねるがねえ」
 と言って溜息をつき、その後話をすることがなかった。
 夜が明けると北方迎えの車が来て夫が、娘の婿取りをよそに、他家に行って長居するとは、怪しからぬなどと、
北方を怒っているという事を聞き、
「浮舟の事を、丁重に御頼み申しあげておりまする。今まで通りやっぱり、もう暫く隠してくださって、出家させようと、他の手だてを考えるとも、私が考えます間、浮舟のことはお考えではないでしょうが、御見捨てなく浮舟に行儀作法その他のことを教えてくださいませ」
 鳴きながら中君に訴えて北方は去っていった。母が去った後は浮舟は心細く、母と離れて別居をすることが淋しいのであるが、当世風に花やかで面白そうなように見える二条院に、暫くの間でも中君と親しくしていただこうと、思うと心細いが嬉しくもあった。