私の読む「源氏物語」ー76-宿木ー3-3
など最初に車から下りた若い女房と年輩の女房と二人して、浮舟が疲れて苦しいとも考えていなくて、元気よく言うので浮舟は答えも出来ずに横になってしまった。横臥しているから、下の手枕にしている腕をさし出しているのが、丸々として綺麗である工合は常陸前司の娘などと、田舎娘扱いにして軽視するとは見られなくて本当に高貴である。薫は腰が痛くなるほど伸び上がって覗き見していたが、隣の部屋に人がいることが知られないようにと、動くことなく見ていると、若い方の女房が、
「ああ、良い香りが立っているなあ。本当に勝れた香の匂がする。尼君が焚いているのであろう」
と言うのをもう一人の女房が、
「結構な香の香と言う通りなる程、ああ良い匂い、何という香であろうか。都の人の弁尼は、尼になった今でも全く風流で花やかである。天下に自分は薫物には勝れている、腕におぼえがあると、前司の北方は考えておられたけれども、東国常陸で、こんな結構な薫物の香はとても合わせることが出来なかったであろう。この弁尼は、住居はこんなにささやかでありなされるけれども、尼としての装束が理想的で、尼姿の薄墨色の衣の下に、青色を着ていると言うけれども清楚である」
などと弁尼を褒めていた。弁尼の住むところから童が来て、
「煎じ薬(薬湯)などを、姫君にさし上げて下されよ」
と言って、果物などを盛った折敷なども一緒に、つぎつぎと部屋に運ぶ。女房は果物を側に寄せて、
「もしもし、果物を召上りなされよ」
と、浮舟を起こすが彼女は疲れて眠っているので目をさまさないから女房達二人が、栗などのようなものをぼりぼりと音を立てて食べるのも、そのような音を聞いた事もない高貴な生活の薫の気持には、きまりが悪いので、障子(襖)の所から離れるが、浮舟を幾度も覗き見したけれども浮舟の容姿を、見たくなり見たくなりするので、退いたもののまたやっぱり障子の穴によって覗き見する。浮舟より優れた女達を、明石中宮の御殿を始めとしてこっちあっちで、顔の綺麗な女も、気立ての上品な女も、沢山見飽きる程まで、薫は見慣れているはずであるが、よくよくの佳人でなくては、目も心も留まらない性格で、人からあまりにも謹厳であると非難せられる程までの人であるのに、浮舟はどれほど優れていると言うこともない女であるが、彼は襖の穴の処を立ち去ることが出来ないで、無闇に見たい彼の心は怪しく揺れていた。
弁尼は、薫のいる部屋の方に参り、対面しようと思うなど、女房をして申してよこしたけれども、馨の側近の者が、
「気分がお悪そうであるから、今のところは」
「休ませてください」
薫の覗き見を隠すために気転をきかせて言ったのであったから弁尼は、浮舟を尋ねたそうに、思いなされ、また、私に仰せなされたから、このような好機会に、浮舟に何か話をしようと、薫は思っているから、日の暮れるのを待っているのであろう、と考えて、薫が覗き見しているのも知らなかった。何時ものように、薫の荘園の管理人どもが薫に差上げた、破籠(中仕切のある弁当箱)だの、何だのかだのと、弁尼方にも送り込んだのを浮舟の女房や供人達にも食べさせたりなどして、浮舟のために色々と気配りして、弁尼は身嗜みをして、浮舟のいる所に来た。浮舟の女房が褒めていた弁尼の装束は、なる程、大層小ざっぱりとしていて、顔だちも、老人であっても、やっばり風情があって品がよく、いかにも綺麗に見える。弁尼は、
「昨日此方に着かれると私は待っていましたが。ところが今日はまた日盛りになって御到着なされましたか」
と言うと歳を取った女房が、
「大変浮舟が苦しそうになされましたから、昨日は、あの泉川の辺に泊って、ここに参ることが出来ませんでした。今朝も何時までも浮舟が躊躇しているので、無理に御連れ申したような次第で遅れました」
と答えて、浮舟を起こす、浮舟はやっと起床する。弁尼を恥じて、横を見ている浮舟の横顔は、覗き見している薫の方からは
正面に見え、はっきりと薫は彼女を見た。
大層趣のある目もとの工合や、髪の垂れさがっているあたりの様子は大君を細かくじっと見たことがなかった大君の顔であるけれども、浮舟を見ると、まるで大君とそっくりであると大君を思いだして涙を流していた。弁尼へ返答をする浮舟の声色や様子は、かすかであるけれども、中君にも似ていると彼は聞いていた。可憐でな女であるなあ。こんな女を今まで全然知らなかったとは。これからはたとえ身分の低いような階級であるとしても、せめて、大君の縁故の女であるだけでも見捨てて置くまいと思う気がするのに、口惜しい身分の女にまして浮舟は、父八宮に認められなくて子として世話してもらわなかったけれども、真に八宮の子供であると、見なして薫はしみじみと嬉しく、自然に思うのであった。
今直ぐにでも、浮舟の傍にそっと近づいて行って、大君は存命なのであったのに亡き人とばかり、悲嘆に暮れていたと、言って、大君(浮舟)を慰めてやりたい。蓬莱の仙人の住むと言う島まで道士をやって、楊貫妃の魂を尋ねて、形見の釵だけをことづかって御覧なされたとか言った、唐の玄宗皇帝は、たとえ形見と言っても釵だけではやっばり気持はすっきりしなかつたであろう。浮舟は大君とは違う人であるが、
慰め甲斐が、きっとあるに違いないと、薫が自然に思われるのは、この浮舟に宿縁があったのであろうか。
弁尼は浮舟と少し話して自分の部屋に直ぐに帰って行った。そのわけは女房が気にした香りは薫るが浮舟の近くで覗き見しているのだと弁尼は分かったので、打ち解けた話をゆっくりと、浮舟に話さなかったのであろう。
日が暮れるに従って薫るもそろりと、先刻、袙などを脱いだ所に出て来て、またもとのように袙などを着てから、いかにも、何時も呼ばれるところに弁尼を招いて、浮舟のことなどを問うた。
「特に良い機会に、私は嬉しいことに来合わせたからねえ。どうであるか、かつて申した浮舟に逢いたいと伝言した事は」
「伝言を聞きました後は、伝える機会がござりまするならば、仰せの事柄を伝えようと、待っておりましたけれども、去年は過ぎてしまいこの二月に浮舟の初瀬詣りついでに対面しておりました。浮舟の母君(中将君)に、御身の思召しであった趣(浮舟を大君の身代りにと言う事)は、かつてそれとなく申しました所が、身代りは、全くはたの見る目も恥ずかしく、また似ていると言う事は、勿体ない比較であると申していましたが、貴方の考えをほのめかした頃は、女二宮との婚姻をなされてのんびりともしておられないと、伺いました。それで、時期が悪く、遠慮致しまして、浮舟の母君との話は、かようかようであった、なども、貴方に返事を申しあげませんでしたけれども、浮舟は、またこの四月にも初瀬観音に参詣して、今日御帰りなされたようであります。初瀬の行き帰りの中間の中体みの宿として、私達がこんなに、親しみまするのも、只、亡くなってしまった八宮の跡を尋ねられるように思います。浮舟の母親は差支える事があるので、今回は、浮舟が一人で御越しのようであるから、貴方が、このようにして、此処に御ありなされる事なども、浮舟には申すわけにはいきません」
作品名:私の読む「源氏物語」ー76-宿木ー3-3 作家名:陽高慈雨