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私の読む「源氏物語」ー76-宿木ー3-3

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身体が普通の状態でない苦しみが中君に襲ってくる。匂宮にとってもお産ということに出会うのも初めてのことで、どうしたらいいのかとうろうろとするばかりで、とにかく、中君の苦しみを快復する祈祷をあちこちの寺々で、今まで沢山行わせた上に、改めてまた、安産の御修法を追加する。中君は大変苦しむので、明石中宮よりもお見舞いの使者が来た。中君が匂宮の妃となって、三年を経過してしまったけれども、匂宮の愛情だけはおろそかなものでないだけで、一般からはまだ直接親王夫人に相当する尊敬は払われていなかったのに、この中宮のお見舞いの使者が来たことが知れるとだれも皆驚いて見舞いの使いを立て、自身でも二条の院へ来た。薫は匂宮が心配の余りおろおろしているのと同じように彼も、御産は、どんなになるであろうかと、心配して表面的な見舞いに行くほかは近づいて尋ねることもできずに、それも度重ねるわけにもいかないので、ひそかに祈祷などをさせていた。
 中君のことはさておき、母藤壺女御の喪中で延期中の女二宮の裳着の儀式を、喪の明けるこの頃になって世間に評判が立ち、専らただ、支度をせっせと急いでいた。母の女御が亡くなられて万事万端の準備を、今上が、一人の考えの通りに進行するので、母女御の世話のないほうがかえって、準備の進行上工合よさそうである。母女御が、生前に準備しておいたことは当然で、作物所や、諸国の国司などがそれぞれ調達して
言うことなしである。裳着、装着の式が終った頃に、そのまま直ぐ、女二宮方に薫が通い初めると、内意があったので薫の方でも、通い初める事について、用意をすると言うのが普通であるが、彼のいつもの癖で、
女二宮には、気も進まなくて、中君のことだけが、今お産で苦しんでいるのを気遣うだけであった。

 二月の一日頃に定期後に行われる追加の任官式(直物)とか言う事で薫は権大納言に任官した。右大将も兼任した。紅梅右大臣の、左大将兼任であったのが、辞任したので、欠員の所なのであった。左大将が辞したので、右大将が昇格して、そこに薫が右大将に任命されたのであった。任官の礼と報告に薫は各所を歩きまわって、二条院にもやってきた。中君が苦しむので匂宮も二条院に滞在している、薫は匂宮の処に挨拶に来た。匂宮は、
「祈祷の僧などが沢山ここにいて、此処は大変見苦しいので」
 と薫の出現に驚いて、色の鮮やかな直衣と下襲などに着替えて、威儀や風采を正しくして、寝殿に廻り南階の下におりて、任官御礼の挨拶に対する返答の拝礼をした。匂宮は普通の地位であれば、薫は束帯姿で挨拶に来ているのであるから、彼も束帯姿で答拝すべきであるが、匂宮は皇子であるから、大臣よりも上の地位にある。故に、直衣姿で答拝したのである。二人とも容姿などは美しくて目出度いことである。薫は間もなく、薫方からの使者が匂宮方に来て、右近大将(薫)が、右近衛府(つかさ)の人達(中将・少将,将監など)に(披露した上)禄を下される饗応の宴の席に来臨をと、薫から匂宮を招待なされるけれども、彼は妊娠に苦しむ中君のことを考えて出席をどうしようかと、躊躇していた。
 夕霧が左大臣任ぜられたとき催した通りの宴会にしようと言うので、宴席は六条院に用意された。薫と夕霧は源氏の子供であるから兄弟であるから、元々源氏の邸であった六条院は薫にとっても実家のようなものである。相伴役の、親王方や上達部が、夕霧の任大臣の大饗宴にも負けないほど集まってきた。匂宮もやってきて、中君のことが気になるのか、六君を訪ねることなく宴が終わる前に急いで帰っていった、それを見ていた夕霧の北の方に、
「不愉快なこと」
 と六君が言う。中君は先帝の八宮が父親であるから、身分は六君に劣るはずでもない、けれども、六君はタ霧が権門であるが故に現在、世間からの声望の花々しく盛んなのに思い上りして、自分勝手な我が儘な言葉が出たのであろう。
 ようやくの事で饗宴の明け方に中君は苦労して男の子を出産した。匂宮も苦労した甲斐があったと子供が与えられたことを喜んだ。薫も昇進に伴ってのことで嬉しく感じていた。薫は、匂宮が大変なときに饗宴に列席していただいた御礼に、そして、男子出生の御祝もつけ加えて、二条院へちょつとの間立ち寄る。匂宮がこのように二条院に滞在しているので、殆どの人が男児誕生の祝いを述べに来た。産後の御祝、即ち三日目は、一般の例の如く、只、匂宮の内祝いだけで、五日目の夜は、薫から屯食五十人分、碁の勝負に賭ける銭や、木製の大きな椀に盛った飯(ふかした飯で、今日の強飯)を普通の慣例に従って並べ、そうして別に、衝重三十に食べ物を載せ、それと
生児の御衣は五かさね(五枚)で、御襁褓などは、仰々しくはなくこっそりと、薫は贈ったのであるが、細かく見ると、殊更に、見馴れない珍しい趣向にしてあった。匂宮の前には沈香木で、水に沈まない若い木で作った折敷十二を使って召上り物をさし上げた。高坏に米・麦・豆・黍,胡麻などの粉に、甘茶を加えてこねて茹で、竹筒に入れて暫く置いてから取り出すお菓子、「ふずく」載せて差し上げた。中君の女房達には
衝重 の他に、檜の薄い板で作った箱で内部に仕切りがある檜破子 三十に、色々に趣向を凝らした食べ物が入れてある。然し薫は余り仰々しくはしていなかった。七日の夜は、匂宮の母、明石中宮からのお産のお祝いであるから、三日、五日の来客より更に多い人達が二条院へ来訪した。中宮職(明石中宮)の長官(大夫)以下殿上人・上達部達が数えることが出来ないほど集まってきた。帝も聞かれて、
「匂宮が始めて親らしくなったのであるから、どうして祝わないでおられようか」
 と仰せになって、生児の御守りとして、御刀を匂宮に下賜せられた。九日の夜も、左大臣殿(タ霧)から、産養の御祝があった。夕霧はあまり中君を良くは思っていないのであるが、匂宮が機嫌を損ねては困るので、夕霧の子供達も來院して、二条院は総てが順調に運ぶので、中君は六君を面白くなく思い、更に妊娠で気分が悪いときに、匂宮を虜にして二条院へなかなか帰さないので、心細く感じたのであるが、男児出生後はこんなに面目の立つ花々しい御祝事などが今の流行に添って催されたので、中君は少し気分が良くなったようである。薫は、このように中君が母親という大人らしくなってしまったからには、今後は、自分とはますます疎遠になってしまうであろう、また匂宮の情愛も、中君にはますますふかくなるであろう、思うと残念であるけれど、一方また、中君への、最初からの自分の心構えを思い返すと、中君の出産は喜ばしいことであるとも感じていた。

 こんな事があって、二月二十日に女二宮の裳着の式があり、翌日に、薫は女二宮方を訪れた。このことには儀式的なものはなく、極内々で薫は女二宮の許に参り二人は体を許しあって結婚と言うことになった。
女二宮に仕える女房達は、此の二人を、
「天下に評判の立つ程にいつくしんで可愛がられた、女二宮に」
「皇族でもない平人の薫が、夫となるのは、どうも私は物足らず、女二宮が可哀想に見える」
「帝から薫に女二宮を妻にと言う御許しはあったとしても、なにもこの裳着を待ちかねるように急ぎなされるのはどうかと思うなあ」