私の読む「源氏物語」ー75-宿木ー3-2
匂宮は、新婚の六君を初めて昼の明かりで見て、その美しさに魂を抜かれてしまった。六君の体は程よい姿かたちが大層綺麗で、髪の垂れ工合や髪の形などが、この女に太刀打ちが出来るような者は居ないと匂宮は思った。顔の色つやが、あまりもつやっやと綺麗で、威厳があって気品の高い顔で、目もとは、まともに見ることが出来ないほど、才気があるようで、総てが充実していて非の打ち所がないという女であった。二十歳前の十八九であろうか、幼稚な歳ではないから、ものの言い方も子供ぽいということもなく、今が女の盛りであると周りの人は見ていた。夕霧が大事に育て上げたにもかかわらず、躾はしっかりとしていて、
親であっては、この娘のことに関しては、夢中になるのは当たり前のことであった。
ただ、物やわらかで愛敬があり、可愛らしい事は、中君の方が六君よりも良いなあと匂宮は思っていた。匂宮が何か言うと答える六君は恥ずかしそうにしているが、と言って、あまり聞えない程、不明瞭ではなく
すべて才気がありぞうである。付いている女房は若い者が三十人ほど、童が六人、醜いことはなく、装束などでも、普通のように、きちんと整っている意匠などは、匂宮は見馴れていて珍しくないので、いつもと様子を変えて、納得できないような意匠を夕霧はこの女達に着せた。夕霧の正妻雲井雁の産んだ大君 を夕霧は春宮の女御とした参内させたときよりも、六君の婚儀を大事に夕霧は準備したというのも、匂宮の御声望の高さがさせたことであった。
このようなことがあってから中君の住む二条院へ匂宮の訪れは途絶えてしまった、匂宮は親王という高い身分であるので思いのままに六君の許へ昼に出かけること出来ないので、かつて紫上の存命中、長い間匂宮が紫上に育てられていたように、朝になれば、同じ六条院の南のかって紫が居たところの一部に、そのまま、住んでいて、日が暮れると六君を置いたまま二条院の中君の許へ行くわけにもいかないので、中君は匂宮を待ちわびて過ごす夜が毎日のようになったので、こうなることは分かっていたのだが、と思いさしあたって自分は、情愛が跡かたもなくなって捨てられるのであろうか。このように冷遇せられる事があるから、思慮あるような人は、自分が物の数でもないつまらない身である事を自覚しないで、身分の高貴な方につきあうべき世の中ではないと、中君は宇治の山路を、かつて分けて出たような時が、正気であったと考える事ができなくて、今は悔しくて悲しいので、どうにかして宇治へこっそりと帰りたい、匂宮と縁を切るわけでもないが暫く宇治で心を休めよう。問題になるようなことはあるまいと、自分だけでは決められないので、恥ずかしいことではあるが薫に相談の文を送る。
「先日、父八宮の法要を営んで下さった事情は、先日、宇治の阿闍梨から文を戴き詳しい事情を聞きました。昔を御忘れなく、このような御親切な貴方がいらしゃらなかったら、追善の法要もできず私は、亡き父宮をどんなに気の毒に思うことでしたでしょう、と考えますと感謝の気持ちが一杯です。そのようなことからお目にかかってお話ししたいことがあります」
と書き、陸奥紙に気取らず素直に書いたのが良かった。
八宮の法事を薫が慣例に従って無事に終わらせたことを中君が喜んでくれたのを、中君が大袈裟には言わないが喜んでくれたことを知り薫はほっとした。薫は送る文の返事を打ち解けてはっきりしたことを書かないのを、どうしたことか中君は、逢って話したいとまで言ってきた。薫の心は嬉しくてときめいた。匂宮が、女が目新しいので、六君に体もろともに溺れ込んでしまって、中君のことを思いも寄せないのを薫は、彼女が苦しんで居るであろうと推察して気の毒に思い、中君からの何でもない文を下に置くこともなく何回も何回も読んでいた。薫の返事は、
「文を拝見致しました。法要の日は、私が僧のような態度で貴女に告げることなく忍んで催しましたのは、その当時貴女の状況が大変なときでしたからです。文の中に、父宮の昔を忘れない好意の名残と、言われたのが、なんとなく私の貴女に対する思いが、いくらか薄くなってしまったように思われますのかと、恨めしく思いました。細かいことはお逢いしてからのことで」
生真面目に白い色紙に書いて送った。
次の日に薫は二条院を尋ねた。中君を密かに恋している薫は、身なりに気を遣い、軟かく、なよなよとした装束などを、一段と匂を加えたのは匂があまりに強すぎるので、更に丁子染(薄紅に黄色味を帯びた色)の蝙蝠扇で、薫が持ちつけなされた故の移り香などまでが例えようもなく中君の前に来られたのを、中君は薫が大君と違えて添え寝したあの事件をたびたび思い出しているので、薫が匂宮に比べて真面目な気性であるのを感じる度に、自分もあのような男と共寝するようにすればと、思っていた。
中君は歳も二十五歳になり自分を捨てたようにした匂宮の心と薫の真面目な気性を比べれば何事にも薫が優れていると分かってきたので、常に隔てを設けて話すのもなんとなく悪いような気がして、薫は私をもののわきまえを知らない女と思っているであろうと、今日は御簾の中へ薫の座をもうけさした。自身は中央の室の御簾に几帳を添え、少し後ろへ身を引いた形で対談をしようとした。薫は、
「先日の文には特に、来訪を、と言うのではなかったけれども、来訪を許して下さった嬉しさに、直ぐにでも来たかったのですが、匂宮が帰宅なさると昨日聞きましたので、それではと今日に参りました。来訪を許していただいて長年の私の誠意をやっとお分かりになったのかと、その上今までと違って御簾の内へ招じていただき、どうしてかと驚いています」
聞いていた中君は薫の言葉に恥ずかしくてどう話を切り出して良いか困っていたのであるが、
「先日、法要を営んで下された事を嬉しいと思って聞きました、私は心を閉ざしたまま過ごしていまして、貴方のご厚意を感謝している心の中を、貴方にお知らせしないことが悔しくて、文を書きました」
と彼女はきまり悪そうに薫に告げる声が、奥の方から絶え絶えに聞こえてくるので、薫は心配で、
「なんとなく遠くに離れているようですね。真面目に申しあげたり、承けたまわったり、世間話もありますから」
と言うと中君もそうであると、薫の方に身を寄せる気配を聞いて胸が熱くなるが、心を静めて、匂宮の中君に対する愛情が浅くなったようだと思い、匂宮の態度を一方では、口に出して疎め、また、中君の寂しさの慰めと、交互に薫は静かに中君に話をする。中君は夫の匂宮のことを薫に話すのは如何なものと話題には上げなかったが、この世の中がつらいのか、そうではなく宿命がつらいのである、などと言う風に言葉少く言い紛らわしながら、宇治へちょっと連れていてくださいと、叮嚀に薫に頼むのであった。薫は、
作品名:私の読む「源氏物語」ー75-宿木ー3-2 作家名:陽高慈雨