私の読む「源氏物語」ー75-宿木ー3-2
その日匂宮は、母の明石中宮が病気であると聞いて内裏に参上した。多くの人が参上したが、明石中宮は軽いお風邪でたいしたことはない、ということで、左大臣の夕霧が先ず昼頃に内裏を退出した。彼は匂宮と六君の三日夜式のためであった。その時薫を夕霧は誘って一つ車で退出し六条院へ馨を連れてきた。今夜の儀式はなるべく盛大にしよう、夕霧は考えるが、慣習があるので、無闇な事はできない。薫は夕霧には六君のことで負い目はあるが、タ霧の親しい関係で、世の信望ある人は大勢いるが、自分の一族にそう信望ある者が居ないので、それはそれとして、今夜の、招待者として薫は、特別に勝れて立派な容姿であるので招待したのであろう。薫は先に話のあった六君が匂宮の夫人となったことに別に心が動くこともなく、何やかやと夕霧と心を合わせて六君のことを世話をし、六君は匂宮という親王と結婚するので自分の目上の人となるなどは何とも思わず、その態度を夕霧は心ひそかに、六君を断っておいて、よい加減憎らしい奴と、思うのであった。
夜に入って少しして匂宮は来訪してきた。三日目の夜の婿の披露、即ち露顕(ところあらわし)の式は、婿だけ席に着くのであるから、六条院の正殿(寝殿)の南廂の東側に、婿(匂宮)の茵が設けてある。御台即ち高杯八つに御馳走を載せた、銀の御皿などを美しく清らかに置き、小台盤二脚に、花足の附いている、銀の御皿(四つ)などを、大層、当世向きに、御作りなされて、その上に三日夜の餅を載せてあった。露顕(ところあらわし)の式のやり方は慣習通りであるから書いてもしょうがないことである。夕霧が宴席について、
「夜が大層更けてしまったのに、まだ御見えなさらない、」
と言って、女房に命じて、匂宮に着席をせき立てるのであるが、六君の部屋の方で宮は女房達と戯れて客席に座る気配がなかった。夕霧の正妻である雲井雁の兄弟左衛門の督、藤宰相が客として呼ばれていた。やっと出てきた匂宮はその姿がとても素敵であった。主人役の頭中将が、匂宮に御盃をさし上げて、高杯の祝言の御馳走を進める、参会者の杯が二度三度と廻る。薫がしきりに杯を匂宮に勧めるので、宮は少し微笑んで受けいた。その微笑は、夕霧方は、格式ばって窮屈な所であるからと、六君の婿として、薫に無理であると言ったことを思い出したからである。然し薫はそのようなことには取り合わず真面目である。薫はやがて東の対へ出向いて、匂宮の供で来ている人を接待した。相当有名な殿上人も親王である匂宮の供には多くいて、その中の四位の六人には女の装束、即ち、小袿と単衣に細長を添えて禄として与え、五位十人には表裏の間に芯(即ち中陪(なかへ))がはいっていて、三重になっている唐衣と、裳とをかずけなされ、その色も地もみな位によって違いがあった。六位四人は模様を織り出した絹の細長と袴などを贈られる。
こんな祝儀の禄も、定まった限度のある事を、夕霧は、物足らなく思っていたから、同じ品でも、その物の色合や仕立方などを、特に別注の品として贅を尽くしてあった。匂宮の雑役をする召次や、舎人などの連中には、定まった限度が無いから、過分の禄でとても持ちきれないほど沢山与えた。このような賑やかで華やかな行事は見る甲斐があり、昔の物語の中に入るものであるが、書き立てられることはなかったようである。 薫の供の中に、暗さに紛れて分からずに禄をもらえなかった者があった。三条宮に帰ってからぶつぶつと苦情を言う、
「我が殿が大臣方の言う通り素直に、婿におなりであったら、自分達も、優遇せられたであろうが」
「何時までも淋しい独身でおられることよ」 中門のところでぶつぶつ不平を言っているのを薫が聞いて、面白いことを言っていると思う。自分たちは夜ふけまで待たされていて、眠たさを堪えているだけで、婿君匂宮のお供が美酒に酔い気持ちよく座敷で身を横たえているのと比較してみてうらやましかったのであろう。
薫は自分の部屋に入って横になり、匂宮の三日夜の宴に出席してきまりが悪かったなあ。夕霧は、匂宮と、縁続きの間柄で気兼ねもいらないのであるけれども、四角ばって堂々と礼装をして列席し、匂宮とは伯父甥の関係であるのに、灯台の芯を掻き上げて明るくして勧める杯を、匂宮は気持ちよく受けていたなあ、などと宴席を思い浮かべて薫は匂宮が感じ良くしていたと思いだしていた。薫は、自分でも、顔が綺麗であると、思う女が我が娘であれば、匂宮をおいて他に誰が夫として選ぶであろう、内裏になんかへ参上はさせない。と考えながらも、誰もが娘を匂宮にと希望したが志を得なかった人は、まだ源中納言という同じほどの候補者があると、各自それぞれ、なんとかものにしようと言っているのは、自分への信望がまだまだあると自負して悪くはないと薫は思っていた。そうは言うものの、薫は外面はあまり色気が無く世間から離れた、年寄じみている、など考え、裏に回っては、夜の評判を自然、得意に感じていた。帝のお考えのある女二宮を賜る事は、帝がもしも本当にお考えなされるならば、その場合に自分が今のように、気が進まないと、自然に考えられるならばどうなるであろう。女二宮の婿になることは、名誉な事ではあっても、私にとつては、どうであろうか、女二宮はどの様な容姿であろうか、大君と良く似た女であればいいが、などと考えるのは、薫の心に女二宮がしっかりと張り付いた証拠であろう。
薫は何時ものように夜中に目覚めると、退屈なので気に入りの女房で按察の君の局に行って共寝して男も女も獣のように体を二回三回と求め合った。二人は日が高くなるまで目覚めなくても、そのことを誰もが咎めることはないのに、薫は悪いことをしたと外は暗いのに急いで起き出したので、按察の君は折角愛し合った余韻が体に残っているのにと不満であるので、
うち渡し世に許しなき関川を
みなれそめけん名こそ惜しけれ
(おしなべて一般的には、御身の相手として世間に認められていない、人目の関を越えての逢瀬は、やがて捨てられるのに、馴れそめたような浮名の立つのが、いかにも、私は残念なのである)
上手いこと言うと薫は、
深からず上は見ゆれど関川の
しもの通ひは絶ゆるものかは
(私の情愛は浅いものと表て向きには見られるけれども、人目の関を忍んで越えて来た、私の内心の情愛が君に通う事は、絶えるものか、絶えないであろう)
情愛は深いよと殿は仰せでも、頼りのないことで、按察君は面白くないと思っているであろう。薫は妻戸を押し開けて、
「見てみなさい十八夜のこの空を、どうしてこの綺麗な空をそなたに知らせないで夜を明かすことは出来ないよ。風流な人真似
ではないが、夜長を苦しんで明かしたのちの秋の黎明は、この世から未来の世のことまでが思われて身にしむものだ」
と言うようなことを言って按察君をごまかして外に出て行った。薫は特に女に向って嬉しがらせるような言葉を言うような男ではないが、その姿が優雅であるので薄情な男とは女房達は誰も思っていなかった。
心にもない、ちょつとした冗談をでも薫が女房に言うと、せめてお側近くにでも伺候したいと思うのか、無理をして出家した母親の女三宮に縁故を頼って女房として仕えようと来る者が多かった。
夜に入って少しして匂宮は来訪してきた。三日目の夜の婿の披露、即ち露顕(ところあらわし)の式は、婿だけ席に着くのであるから、六条院の正殿(寝殿)の南廂の東側に、婿(匂宮)の茵が設けてある。御台即ち高杯八つに御馳走を載せた、銀の御皿などを美しく清らかに置き、小台盤二脚に、花足の附いている、銀の御皿(四つ)などを、大層、当世向きに、御作りなされて、その上に三日夜の餅を載せてあった。露顕(ところあらわし)の式のやり方は慣習通りであるから書いてもしょうがないことである。夕霧が宴席について、
「夜が大層更けてしまったのに、まだ御見えなさらない、」
と言って、女房に命じて、匂宮に着席をせき立てるのであるが、六君の部屋の方で宮は女房達と戯れて客席に座る気配がなかった。夕霧の正妻である雲井雁の兄弟左衛門の督、藤宰相が客として呼ばれていた。やっと出てきた匂宮はその姿がとても素敵であった。主人役の頭中将が、匂宮に御盃をさし上げて、高杯の祝言の御馳走を進める、参会者の杯が二度三度と廻る。薫がしきりに杯を匂宮に勧めるので、宮は少し微笑んで受けいた。その微笑は、夕霧方は、格式ばって窮屈な所であるからと、六君の婿として、薫に無理であると言ったことを思い出したからである。然し薫はそのようなことには取り合わず真面目である。薫はやがて東の対へ出向いて、匂宮の供で来ている人を接待した。相当有名な殿上人も親王である匂宮の供には多くいて、その中の四位の六人には女の装束、即ち、小袿と単衣に細長を添えて禄として与え、五位十人には表裏の間に芯(即ち中陪(なかへ))がはいっていて、三重になっている唐衣と、裳とをかずけなされ、その色も地もみな位によって違いがあった。六位四人は模様を織り出した絹の細長と袴などを贈られる。
こんな祝儀の禄も、定まった限度のある事を、夕霧は、物足らなく思っていたから、同じ品でも、その物の色合や仕立方などを、特に別注の品として贅を尽くしてあった。匂宮の雑役をする召次や、舎人などの連中には、定まった限度が無いから、過分の禄でとても持ちきれないほど沢山与えた。このような賑やかで華やかな行事は見る甲斐があり、昔の物語の中に入るものであるが、書き立てられることはなかったようである。 薫の供の中に、暗さに紛れて分からずに禄をもらえなかった者があった。三条宮に帰ってからぶつぶつと苦情を言う、
「我が殿が大臣方の言う通り素直に、婿におなりであったら、自分達も、優遇せられたであろうが」
「何時までも淋しい独身でおられることよ」 中門のところでぶつぶつ不平を言っているのを薫が聞いて、面白いことを言っていると思う。自分たちは夜ふけまで待たされていて、眠たさを堪えているだけで、婿君匂宮のお供が美酒に酔い気持ちよく座敷で身を横たえているのと比較してみてうらやましかったのであろう。
薫は自分の部屋に入って横になり、匂宮の三日夜の宴に出席してきまりが悪かったなあ。夕霧は、匂宮と、縁続きの間柄で気兼ねもいらないのであるけれども、四角ばって堂々と礼装をして列席し、匂宮とは伯父甥の関係であるのに、灯台の芯を掻き上げて明るくして勧める杯を、匂宮は気持ちよく受けていたなあ、などと宴席を思い浮かべて薫は匂宮が感じ良くしていたと思いだしていた。薫は、自分でも、顔が綺麗であると、思う女が我が娘であれば、匂宮をおいて他に誰が夫として選ぶであろう、内裏になんかへ参上はさせない。と考えながらも、誰もが娘を匂宮にと希望したが志を得なかった人は、まだ源中納言という同じほどの候補者があると、各自それぞれ、なんとかものにしようと言っているのは、自分への信望がまだまだあると自負して悪くはないと薫は思っていた。そうは言うものの、薫は外面はあまり色気が無く世間から離れた、年寄じみている、など考え、裏に回っては、夜の評判を自然、得意に感じていた。帝のお考えのある女二宮を賜る事は、帝がもしも本当にお考えなされるならば、その場合に自分が今のように、気が進まないと、自然に考えられるならばどうなるであろう。女二宮の婿になることは、名誉な事ではあっても、私にとつては、どうであろうか、女二宮はどの様な容姿であろうか、大君と良く似た女であればいいが、などと考えるのは、薫の心に女二宮がしっかりと張り付いた証拠であろう。
薫は何時ものように夜中に目覚めると、退屈なので気に入りの女房で按察の君の局に行って共寝して男も女も獣のように体を二回三回と求め合った。二人は日が高くなるまで目覚めなくても、そのことを誰もが咎めることはないのに、薫は悪いことをしたと外は暗いのに急いで起き出したので、按察の君は折角愛し合った余韻が体に残っているのにと不満であるので、
うち渡し世に許しなき関川を
みなれそめけん名こそ惜しけれ
(おしなべて一般的には、御身の相手として世間に認められていない、人目の関を越えての逢瀬は、やがて捨てられるのに、馴れそめたような浮名の立つのが、いかにも、私は残念なのである)
上手いこと言うと薫は、
深からず上は見ゆれど関川の
しもの通ひは絶ゆるものかは
(私の情愛は浅いものと表て向きには見られるけれども、人目の関を忍んで越えて来た、私の内心の情愛が君に通う事は、絶えるものか、絶えないであろう)
情愛は深いよと殿は仰せでも、頼りのないことで、按察君は面白くないと思っているであろう。薫は妻戸を押し開けて、
「見てみなさい十八夜のこの空を、どうしてこの綺麗な空をそなたに知らせないで夜を明かすことは出来ないよ。風流な人真似
ではないが、夜長を苦しんで明かしたのちの秋の黎明は、この世から未来の世のことまでが思われて身にしむものだ」
と言うようなことを言って按察君をごまかして外に出て行った。薫は特に女に向って嬉しがらせるような言葉を言うような男ではないが、その姿が優雅であるので薄情な男とは女房達は誰も思っていなかった。
心にもない、ちょつとした冗談をでも薫が女房に言うと、せめてお側近くにでも伺候したいと思うのか、無理をして出家した母親の女三宮に縁故を頼って女房として仕えようと来る者が多かった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー75-宿木ー3-2 作家名:陽高慈雨