私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1
匂宮は、六君は小柄で、華奢ということなく、ほどよい体つきであると考えていたが、性格はどうであろうか。大袈裟に勿体ぶり、てきぱきとして、気立ても柔和なことはなく、何となしに高慢な風であろうか。もしも、そんなであるならば困ったことである。色々と匂宮は心配しているが、逢えばそのようなことはないであろうか、匂宮の気持が、六君に冷淡であるようにも思えない。秋の夜は長いと言うが、匂宮の来訪が遅くなったので、彼が六条院へ着いた頃には夜が明け始めていた。
匂宮は二条院へ帰ってきても、中君が居る対へは顔を出さず寝殿の自分の寝る御帳台で暫く休むと、六君への後朝の文を書き始めた。女房に一人が、
「どう宮の様子は」
「六君を気に入られたようですよ、ご気分良さそうです」
お互いにつつき合って匂宮の昨夜の六君との対面のことを話し合っている。
「対のお方、中君こそ気分悪いであろう。
匂宮がどちらの方をも平等に愛されるとしても」
「六君は、左大臣夕霧の娘であり、また、匂宮が心を引かれては自然に、中君が圧倒されるようになるでしょうね」
等と言っている女房達も、一度は匂宮と夜を共にした者ばかりであるので、彼女たちの嫉妬の気持ちもあり、そうして中君とは前からの主従関係から、今回の匂宮と六君との結婚を面白く思わないで嫉妬の気持ちも交えて匂宮のことを非難するので、しばらくは二条院に険悪な空気が漂うであろう。
六君からの返事をこの寝殿で待っていようと匂宮は思うが、昨夜のことは普通の夜枯れとは少し違うので、気が咎めることもあってまだ寝むいのを我慢して中君の居る西の対へ行った。匂宮の寝起きの顔が、どうしたことか立派で見ばえがあり、しかも、中君方にはいったところ、中君は寝ているのも拗ねているようであるからと体を少し起こしていた、匂宮が見ると彼女の顔が泣き明かしたことを物語るように赤みを帯びていて、それが彼にはなんとなく別の愛らしい風情に見えて、匂宮も思わず涙を流し中君をじっと見つめていたが、中君はあまり見つめられて恥ずかしくなり俯せてしまった。その彼女の髪の垂れ下り工合、髪の恰好など、世にそう沢山いない珍しい美しさと艶めかしさであった。匂宮はなんとなく昨夜の行動がきまりが悪くて、昨夜のこまごました話などは、中君の知っているのがわかっているのに直ぐに言い出す事が出来ないで、照れ隠しであろうか、
「気分でも悪いのか、暑さ負けであると前に言っていたから、秋の涼しい日が早く来ないかと待ち望んでいたのだが、今日はもう秋である、なおも気分が悪いとは困ったことである。色々と手を尽くして祈祷させてはいるが、どうも効果がないようである。そうであっても祈祷はまた日を延ばして行わせよう、名のある僧を夜になったら側に侍るようにしよう」
真面目に中君に、彼女の体を心配して言うので、こんな真面目なことを調子よく言ってと、面白くないことと聞いていたが、中君は答えないのもなんとなく悪いような気がして、
「以前にもこのようなことがありましたが、私は他人とは違って、宇治にいました頃もこのように患うことがありましたが、何時も自然に治っていました」
と答えると、
「うまいことを言って」
と匂宮は笑って、中君のような表情や態度に色気のある女はそうは居まいと、思いながら、昨夜共に寝て体を交えた感触が忘れられず、早く六君に会いたいという気持ちが心を騒がせるのである、と言っても中君に対する愛情が変わると言うこともなく、二人の縁は終生変わらないよ、と何回も誓っているのを中君が聞いていると、
「後の世までと、言われるとおり、実際に生きている世は、短いものであると思う。命の終るのを待っている間でも、貴方の薄情の気持は、たしかに見られるから、この世のことはもう頼まないから、死後の契りをしっかりとしてください。匂宮の言葉をまだ信用して懲りないで頼るしかない」
と中君はしっかりと我慢しているように見えるのであるが、今日は我慢しきれずに涙を流していた。六君の出現で毎日匂宮を中君は嫉妬して恨んでいると、匂宮に見せつけたいものであると、中君は今まで色々と気持を紛らして来たのであるが、父や姉の思い出が多いので涙を隠すことも出来なくて恥ずかしく、夫の匂宮にまともに顔を向けられないから横を向いていたが、宮に無理矢理に引き向けられて、匂宮は、
「私の言うとおりになさるので、可愛いお方であると、私はいつも見ておりましたのに、やっばりそうではなくて、他人行儀で疎遠な気持がありましたな。そうでなければ、一夜の間に気持ちが変わったのでしょうかね」
と言って、匂宮は自分の衣の袖で中君の涙を拭いてあげると、中君は、
「昨夜一夜の心変わりは、私が貴方からお聞きしたいものです」
と言って少し微笑んだ。匂宮は、
「なる程、わが君よ。それは子供らしい無分別な言い方ですねえ。私が六君のことで隠し立てしていることがないから心は落ち着いています。内心、六君に恋慕しているのに、言訳をして、恋などしていないと貴女に言ったとしても、そのことが嘘か誠かはっきりと分かる物ですよ。それよりも、夫婦在り方、道理という、一人の男が幾人かの妻を持つ事を知らないと言うことが、可愛いことであるが困ったことでもあります。貴女自身の問題として私の周囲のことをしっかりとご覧なさい。私は自分の考えで行動が余り出来ないのですよ。今回の六君のことも母中宮の仰せによることです。もし私が春宮となり帝となるような世でもあるならば、私がいかに情愛が深い男であるかを、貴女に見せてあげる一つの事は、貴女を中宮とすることであります。これは簡単には出来ることではないのでその時まで命だけが頼りであります」
話しているうちに六条院に使いをした者が帰ってきたが、大変酒に酔っているので中君には少し遠慮して貰わねばならない返答であることも忘れてしまって、気持良くさわやかに、大ぴらに、中君の西対の南面即ち正面に参上した。めづらしい女の衣裳を礼として貰ったのであろう、使者は頭から被ったまま宮の前に坐っているので、女房達は、後朝の使をした禄のようであるとその美しい女衣裳を見ていた。何時の間に匂宮は後朝の文を書いたのであろうか、油断も隙もないお方であると匂宮を女達は思っていた。匂宮も中君に強いて六君のことを隠しているのではないが、いきなり話すのも中君に可哀想と、中君にはなんとなく具合が悪いと思いながらも隠し通すことはこのような状況ではどうすることも出来ないから、女房に使者から文を受けとるように命じた。
隠しても隠さなくても、同じ結果ならば隠さずに、隠し事がない状態にして、と思いながら匂宮は中君の前で六君の文を開いたところ、どう見てもその書体は、六君にとっては継母である落葉宮の書体であるとしか見えなかった。匂宮は代筆と分かると六君唐の者よりは気が休まるので、中君にも見えるように下に置いた。落葉宮は柏木の夫人であり柏木亡き後に夕霧が半ば無理矢理に夫人とした女である。たとえ代理の文であったとしても中君には辛いことである。
「私などが出すぎたお返事をいたしますことは、失礼だと思いまして、書きなさいと勧めるのですが、黙っておられるばかりで一向に書こうとしませんので、
作品名:私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1 作家名:陽高慈雨