私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1
と報告した。匂宮には中君という夫人をお持ちであることは知っているが、夕霧は不快であるけれども、万事を調えて待つ吉日の今夜が、無駄に過ぎるような事になれば人から笑い者にされると、息子の頭中将を匂宮の許に差し向けた。
大空の月だに宿るわが宿に
待つ宵過ぎて見えぬ君かな
(大空の月でも住んで(さし入って)いる私の家に、待っている宵が過ぎてもまだ見られ(御越しが)ない御身であるなあ)
と言う歌を持って行かせた。
匂宮は、六君との婚儀に、二条院から掛けるのを中君に見られたくない。見られては中君に気の毒であると、内裏に居たのであるが、中君に文を送った。その返事がどんなものであったのであろうか、匂宮は中君を可哀想に思ってそっと二条院へ帰っていったのである。中君の愛おしい姿を見捨てて出かける気にもならず、中君が可愛くてたまらないので、頭中将が來邸したときは、中君を抱きしめて、愛の誓いを何回も口にして匂宮はそれでも慰めることが出来ずに揃って月を眺めているところであった。
中君は普段でも色々と物事を考え込むことが多かったが、それを顔に出すまいと堪えに堪えて、何気ない風にして過ごしていたのであるが、夕霧の使いである頭中将の訪問を、特に気に懸けないふうで、おっとりと落ちついていたのであるが、その心中を思えば全く、可哀そうである。匂宮は頭中将の来訪を聞いて、中君には可哀そうであるとは言うものの、自分を慕う六君も気の毒であるから六条院へ向かおうと、
「直ぐに帰ってくるから、一人で月を見なさんなよ、業平の歌に
「大方は月をもめでじこれぞこの積れば人の老となるもの」。(よく考えてみて、なまはんかな気持ちで月が美しいなどと賞賛するようなことは止めておこう。これこの月こそは積もると人の老いをもたらすものなのだから)
とあるからな。貴女を一人残して行けば、万葉の歌にある「たもとほり往箕の里に妹を置きて心空なり土は踏めども」(あちこち歩いて行く往箕の里に妻を置いて、私の心はうわの空だ。土を踏んでいても)のような気持ちでとてもこの胸は苦しい」
と中君に言い、それでもなんとなく気兼ねがあるので人目につかない物陰の方から、自分の居間がある寝殿へ渡っていった。
その御後姿を見送る時に、中君自身は、茫然としているのであるが、悲しみや怒りの涙が溜まって枕が浮いて漂うような気持ちがして、つらい情ない嫉妬の気持の絶えないのは、人の心なのであったと、思い知らされるのであった。
中君は思うのである、幼いときから自分や姉は心寂しい姉妹で、この世に執着する気持ちを無くした父八宮ただ一人を頼りにしてあの宇治の山里に何年も暮らしたが、その暮らしは安泰なものではなかったが、今の自分のようにこんなに世の中というものが辛いものとは思っても見なかったのであるが、母に続いて父姉と次々に亡くなられたことを思うと、自分はこの世に片時も生きていられないように父や姉を恋しく悲しく思っていたが、このように生きてこの世にあるが、匂宮の夫人となって、人々は、浮気な匂宮に捨てられるであろうと、予想していたようにはならずに中君は京に迎えられ、人なみな生活状態をいまのところしているるが、これも長続きするはずのない事と彼女は思っているのである、それでも匂宮と一緒にいるときは、お互いに心が通じ合い体の関係も睦まじく宮の可愛がりようは深いのである、そのようなことから彼女は不安が少しずつ無くなって今日まで過ごしてきたのである。ところが最近になって起こった六君との婚約のことは、急なことで、これで匂宮と彼女の関係は終わるであろうと、世間は見ていた。
すっかり中君は亡くなった父や姉よりは、浮気者と世間が言う匂宮であっても、この世に生きている人であるから、時々は帰ってきて欲しい、帰って夜共寝が出来ると自分の心も安まるのである、そのように考えている彼女を匂宮は今夜は見事に見捨てて六君の許へ行った。その辛さは中君と匂宮のこれまでのこと、そして未来を全くかき乱してしまい、彼女の心細さは深まる秋の悲愁の辛さ、自分の気持ち次第のことと言うがどうしようもなく苦しいのである。彼女は自分が生き長らえておれば、匂宮の心も元に戻って、二人の間は、もとのように睦まじくなるであろうと、気持ちを落ち着かせているのであるが、古歌の「わが心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」(私の心をどうしても慰めることが出来ないでいる。更科のその名も姨捨山の月を見ていると)の様な月が澄み渡った空に昇ってくると、夜が更けるまでその月を眺めていて彼女は色々なことをおもい気持ちが乱れたままであった。
秋の風が山の森を吹き付けて荒れ狂う宇治の山颪に比べるとここ二条院はのどかで暮らしやすいのであるが、この夜は中君はそのようには思われず、宇治で聞いた、椎の葉に吹いて来る風の音に比較すれば少し劣るように思えた。そこで中君は、
山里の松の蔭にもかくばかり
身にしむ秋の風はなかりき
(宇治の山里の松蔭の寂しかった住居にも、これ程身にしむ秋風は、かつて吹かなかった)
この歌によると過去のつらかった事を、中君は忘れてしまっているのであろうか、歳を取った女房は
「さあ、もう奥にお入り下さい。月を見ることは余り縁起が良いとは申しませんから。ちょつとした御果物をでも召し上ろうとなさらないから、どうなされたのかと、心配しています」
「食事なさらないのは、とても見るに忍びなく困っています、食欲のないと不吉に、大君が亡くなられる前を思出さずにはいられない、全くどうも困りましたねえ」
若い女房は、辛いこの頃と、溜息をつき、「どうして匂宮の六君へ渡らせることよ」
「それでも、このまま匂宮は中君を放っておくようなことはなさらないでしょう」
「そう、六君に移るとは言うけれども、もともとの情愛が深くて、思い込んだ間柄と言うものは、切れてしまうと言う事は、ない物であるよ」
勝手に女房達が言うのを中君はとても聞きづらくて、事情がこのようになっているいまは、色々なことを言って更に噂を広めないで欲しい、今は匂宮のなされるのを黙ってみていようと、思うのは彼女は匂宮のことを人にとやかく言って貰いたくない、自分一人が夫を恨んでいればいいのだから。と心に決めたのであろうか。
「だから中納言殿を」
「あのように中君を恋い慕っておられるのに」
などと、亡き大君が、薫に、中君を譲ろうとした事情を知っている、その当時の女房は、
「人の運というものは、不思議なものよ」
と話し合っていた。匂宮は中君を可哀想に思いながらその女好きの気持ちは、夕霧一家にどの様にして歓待されるようにしようかと、あれこれ考えながら貴重な香を衣に薫きこんでいる姿はどう言って良いのか。 匂宮を待ち続ける六条院も飾り付けに余念がなかった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1 作家名:陽高慈雨