私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1
「秋の空は眺めていますと悩み事ばかりが思い出されます。そんな退屈しのぎに私は先日宇治へ行って参りましたが、山荘の垣根も庭も荒れてしまって、見ていると悲しみが湧き起こってきました。父源氏が亡くなってから二三年後に父が出家をして籠もりました嵯峨の院も、本邸の六条院も荒れて、昔を忍んで立ち寄る人の、悲しく寂しい気持を鎮める方法が無くなりました。私も木や草の茂りや遣り水の流れを見て涙が止まらなくなり、三条宮に帰りました。父源氏の側近くに仕へた人は、身分の上下を問わず、源氏の他界を、表面的に悲しむだけでなく真剣に嘆いておりました。六条院に居られた源氏の夫人方も皆さんそれぞれ散って行かれて俗世から離れた生活をしておいでです。身分の低い女房達は気持ちが収まらない放心したままの心に任せながら、山中や林中に籠もったり、何のあてもない田舎者になったりなどして、可哀そうに、あてもなく散らばって行きました。
ところが荒れ果ててしまった六条院へ左大臣の夕霧が住むようになり、明石中宮腹の宮達も時々は遊びに来るようで、六条院は昔に返ったように栄えています。
この世に類のない、源氏他界というあのような大きな悲嘆も、年月が経ってみると源氏を思い出すのも時々になって悲嘆も限度があると言うことが分かりました。貴女と昔話をしながら、源氏が亡くなられた古い悲しさは私がまだ少年時代の時のことで、悲嘆はそんなに心に染みついてはいないようです。それに比べて大君が亡くなられたことは、常に心に悲しみがあり、死に別というものは、父源氏でも、大君でも同じように、世間無常の悲しみの証であるけれども、大君への愛を未だに心に抱えていては大君の極楽往生の妨げとなることは分かっていても捨てきれない自分が情け無く思っています」
と言って泣き崩れる薫はいまだに大君を恋して情の深い男である。亡き大君をそんなに気にしていなかった人でも、この薫の嘆く姿を見れば平静ではおられないであろうに、まして中君は夫として信頼していた匂宮が六君と婚約したという冷淡な扱いを受けて心細く気持ちが落ち着かないことから、大君の俤が常よりも恋しく、悲しい思いに駆られていると頃に、薫のこの嘆きを見て同じように悲しくなって、薫に言葉をかけることが出来ないで、涙をためていた。中君、薫お互いに大君を偲んで悲嘆にくれていた。
「「山里は物の寂しき事こそあれ世の憂きよりは住みよかりけり」(山里は何かと心細いことがあるが、それでも世の中のつらさよりもずっと住みやすかったよ)と昔の人は詠っています。この歌のように、俗世間と山里とを比較して見る気持もなく長年宇治に暮らしていたのだが、このような身の上になって宇治の山里で静かに暮らしたいとおもうが、それも適わぬことで、宇治で暮らす弁の御許が羨ましく思われます。父の三回忌二十日頃にあの山荘の近くのお寺の鐘の音を聞きたいと思っているのですが、宇治に忍びで行きたいと思っているのですが連れて行っていただけませんでしょうか、と私は思っているのですが」
と薫に言うと、
「山荘が荒れるのが心配だと思われても、簡単に行くことは出来ませんよ。気軽に出かけられる男の人でも、往復の行程は、全く、荒々しい山道で私でも行くのには決心がいります、宇治へ行ったと申しましたがそれも相当前のことです。亡き八宮の法事のことは山の阿闍梨に総てを頼んでおきました。あの山荘はあのままにして置いてお寺にしては如何ですか。山荘を時々訪ねて、昔のままの姿を見ますと、私も心の悲しみが絶えないのも情け無いので、お寺に改造して成仏のさわりとなる罪を無くしたいと思いますが、貴女はどうお考えですか、私は貴女のお決めになったとおりに取りはからいます。実現が出来るようにお答え下さい、何事にも私は貴女の仰せに従いますから」
実際に実現できるようなことを中君に薫は進言した。また、経巻の用意や仏の装飾などは、中君のすることであるが、薫があれこれと尽力するから薫に任せてしまった。その上に薫はこの法要のような機会にかこつけて、そっと中君は宇治に籠もろうと思っているようであるから、
「山籠りは、してはなりません。そのようにことを考えなくてもう少し明るく心を保ちなさい」
と中君を諭すのであった。やがて日も高くなって女房達が中君の周りに集まってきたので、あまり長居するのも二人の間に、変な関係があるように取られても困るので、帰ろうとして、薫は中君に、
「どこに行っても、私は御簾の外に、他人か下人のように冷たくあしらわれることに慣れていませんから、御簾の外でのお扱いには落ち着きませんし辛いことです。でもこの御簾の外の扱いを受けるようであっても、そのうちにまた伺いましょう」
と言って帰っていった。匂宮が、自分の居ないときを狙って薫は来訪すると、考えているようだが、薫は面倒が起こってはと、二条院の警備事務の責任者(別当)である
右京の大夫 を呼んで、
「昨夜は帰ってお出でになると、聞いたから参上したのであるが、匂宮はお出でにならなかったのが残念である。今より内裏に参上しよう」
と薫が言うと、
「今日は必ず帰ってお出でになります」
と言うので、薫は、
「それでは今宵参上しよう」
と言って二条院を去った。
中君の動静を聞く度に薫は、どうして大君が言われたとおりに中君と結ばれなかったのかと、中君を失ったことの悔いが大きくなっていくので、薫は、今更苦しんでもと反省するのである。大君が亡くなってから薫は精進の作法を守って日夜過ごしていた。母の女三宮は今なお若く、おっとりとして物事に気がつかず、行き届かない性格でも、薫がこのように精進の作法を守り、仏道修行の念仏などに熱心であるのを、出家でもするのかと、不安で、また不吉であると、薫に、
「『幾世しもあらじ我身をなぞもかく蜑の刈藻に思ひ乱るゝ』(幾世代も生きてはいられない我が身なのに、どうしてこのように漁師の刈る藻さながら思い乱れるのだろうか)と言う歌を知っているか、その歌の通り私もそう長くは生きられません。お前と顔を合わす間は、やはり立派な態度で私と共にいて欲しい。お前が出家を望んでいるが、私のような尼がお前の出家のことを止めるのは可笑しいが、あの世はとも角も、この世では、一人子のお前の出家は、家の跡継ぎのことも考えると、どうしても勧める気がしない、この心の悩みで私は罪を一つ増やすであろうが」
と薫を諭す母親の言葉に、勿体なくまた気の毒なので、心にある悩みを一切消して母女三宮の前では、何の悩みもありませんという顔をしていた。
左大臣の夕霧は、六条院の東の対を綺麗に磨き上げて娘の六君のために出来る限りのことをして結婚の準備を整え匂宮を待っている。八月の十六日の月がやっと空に見える頃まで、匂宮から何の連絡もないので、夕霧は心配で、明石中宮の無理な勧めで、匂宮には気に入らない縁談なので、来られないのであろうかと、不安になってきたので使者をもって、匂宮に連絡を取ると、使者は戻ってきて、
「夕方に匂宮は内裏を下がられて、今は二条院にいらっしゃいます」
作品名:私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1 作家名:陽高慈雨