私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1
立派であった。薫中納言の君が未だにこの姉を忘れず恋が成功しなかったことを今も嘆いておられるが、もし姉君が薫と結婚をしていたならば自分のような苦労をしていたかも知れない。そのような苦労に逢うのは嫌であると、姉は思ってあれこれと理由を付けて薫から離れようとして最後には出家をしようとまで考えておられた。もし生きてお出でであれば、今頃は尼姿であったろう。今思うとその考えは姉にとってはとても重苦しい選択であったであろう。父上や姉上が亡き御霊は私をこの上ない軽はずみな女と見ておいでであろうと、恥ずかしく悲しく中君は思うが、悲しんでも恨み言を言ってもしょうがないことである、こんな情け無い姿を匂宮に見せられない こらえにこらえて、六君のことは知らない風にして敢えて余分なことは聞くことをしなくて過ごしていた。
匂宮は、六君の事があるので、中君を心配させまいと平素よりも遙かに優しく接し、女房達が居てもかまわずに中君を愛し睦み合うって、寝ても起きても、中君の手を握り、肩を抱き、懐に手を入れて乳房を揉んだり睦言を囁いたり、愛を誓ったり、昼の明るいうちでも御帳台に引き籠もって、中君がもう絶えられないと言うまでに愛撫の限りを尽くして、中君を満足させ、我慢しきれなくなって中君の女の絶頂の声が寝殿に響き渡るようなことも再三で、それは女房達が体の置き場に困るほどのものであった。
そうして匂宮は自分達夫婦は将来長く続く間柄であると中君に約束をする。そんな仲睦ましいことが続いたのか、五月頃からなんとなく中君は体調が思わしくなく、やがて子供を妊もったことが分かった。悪阻がひどいこともないが、いつもよりは食欲がなく、横になっている時が多くなった。匂宮は女の妊娠がどのようなものであるかをということを知らないので、中君は暑さに負けたのであろうと、自分の子供が中君に腹の中にあることも知らずに、簡単に考えていた。それでも気にかかるのか、中君に
「妊娠したのか、誰かがこのように苦しんでいたが」
と中君に尋ねるのであるが、彼女は恥ずかしいので妊娠のことは言わずに適当に紛らしていた。それを側の女房が匂宮にそれとなく言う者もなく、匂宮は中君が妊娠したことは知らなかった。
八月になると中君は、匂宮と六君の婚儀の日が決まったことを女房の一人から聞いた。匂宮は別に隠そうとは思ってはいなかったが、中君に言うのが何となく気が重くてなかなか話をしないのを、話をすればいいのにと中君は夫が話さないのを気に病んでいた。この婚儀は公式に発表されたものである、それを私に匂宮は言われないとは、中君は大変気持ちがむらむらと乱れていることであろう。
中君がこの二条院へ移ってからは、匂宮は内裏に参内しても特に用事がない限りは夜の宿直をすることなく彼女の許に帰ってきていた。浮気相手は多くいたがそれも夜になると帰ってきて、中君に夜の独り寝の淋しさをさせるようなことは無かったのであるが、六君との婚儀の後は、急に夜帰らないようになれば、彼女はどう思うであろうかと、最近は匂宮は時々内裏に泊まって、彼女の独り寝の淋しさを次第に慣れさせようとするのを、彼女は夜独り寝の淋しさの辛さのみ恨めしく感じるだけであった。
中納言の薫は、六君と匂宮の婚儀のことを聞いて、中君には見ていられないほどの気の毒なことであると、派手で浮気な匂宮のことであるから、中君を可愛いとは思っていても、現代風で派手な六君の方に、きっと、気持ちが移ってしまうであろう。また、六君の里は自分にとっては兄の家であるが、尊大な家庭なので、もしも匂宮を最大のもてなしで引きつけすると、中君は今まで長い間夜がれの独寝に馴れていないので、匂宮を、空しく待つ夜が多くなるのが気の毒だ、薫はそんなことを考えると、あれほど大君から中君を頼むと言われたのに、その自分が何としたことか、中君を匂宮に譲ったりして。大君に自分が心を奪われて後、宇治に通う以前はこの世から離れて澄み切った心であったのに、大君への恋心でその澄み切った心は濁りきってしまい、一途に、大君を、あれやこれやと色々に恋しく思いつめながら、大君が、自分と婚姻するようなことはないと、最初から自分は思っていたのであったが、自分の思いを力づくでも奪おうとはどうしても出来ないで、ただ彼女の気持ちの中に自分を憐れに感じるものがあって自分に打ち解けて接するようになってもらえればという希望ばかりを追って、大君は自分と同じように婚姻なんかはしないで一生を独り身で送ろうと決めていて、そのように振舞い、しかも自分をはねつけて側に寄せ付けないということもなく、私の心を落ち着かせようと、大君は自分も同じ結婚をしない主義であることを言って、私の心にはない中君を、嫁にして行く末を頼まれたことは、自分には大変な驚きであり、大君の気持ちを逆なでするように急いで中君を匂宮に紹介して彼の女としてしまった。色々と薫は思いだしてはその頃、男らしくもなく気違いじみて、無理やりに宇治に匂宮を連れて来て、中君に夜這いさせようと考えたことを追憶すると、あのときの自分の心は普通ではなかったと、思い出すほどに馬鹿なことをしたと、薫は悔しく思うのであった。匂宮も六君の婿になるとしても、あの自分が中君に夜這いさせた時の、苦労、奔走したことを思い出し、中君に夜枯れの淋しさを味逢わせるようなことをなさらないように、と薫は思うが、匂宮はそんなことは忘れてしまって、自分に対して感謝の気持ちなんか口にもされないことであろう。浮気な男はやはり連れ添った女ばかりではなく、どんな女にでも軽薄な付き合いをするものであると、匂宮を憎い男と怒りで胸が一杯であった。そのことは薫があまりに一人の女入れ込んでしまう性癖のために、浮気な男は誰であってもも恋をしてはならないと、非難する性格からである。
大君の死に立ち会ってからは、薫が思いを寄せるのは中君で、帝の女二宮を嫁にと言う話も嬉しくはなく、女二宮にとり代えて中君をと言う思いが日が経つにつれて大きくなり、中君は大君の妹であると、考えると薫の心から中君が離れなかった。兄弟という仲で、この大君と中君姉妹は大君の生前、この上なく、仲よく互に思い合い、大君は、臨終となった最後の時にも、「私の後に残る中君を、私と思って、大切にして下さい」と言い更に「私には、何もかも万事は、御身に不満も不服もない。ただ一つ、かつて私が御身に頼んだ、妹を私の身代りにして欲しいと言うことを、御身が頼みを受けずに匂宮に橋渡ししたことだけが、いかにも、恨めしい執念なので、その執念が、この世には、残念にも、きっと残るに相違ない」と自分に言われた言葉。だから六君が、中君の夫たる匂宮に嫁ぐような事に関しては、私を「一段と恨めしい」と、大空を翔ってみているであろうか、大君も中君も手に入れられず自ら招いた独り寝の夜は薫は、ちょつとした風の音にも目が覚めて、
自分の事だけでなく過去と将来、即ち大君や中君の面白くない憂き世を色々と考えるのであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1 作家名:陽高慈雨