私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1
(霜に堪えきれなくて、枯れてしまった園の菊(藤壷女御)であるけれども、後に咲き残っている菊の色(女二宮)は褪せない(縞麗で)まああるよ)
と返歌された。このように帝はなんとなく女二宮のことを薫に直接仄めかすのであるが、薫は性格が気の長いところから、慌てることもなかった。
薫は女二宮の婿になることは先ずあるまい、いろいろと話はあったが、大君の薦めで中君と、夕霧のすすめで六君と、みな断ってここまで年を過ごしたのを今更、聖となった僧がこの世に還俗して帰ってきたようなことが出来るわけがない。と薫は思っているのであるが、なんとなく変わった考えであるような気がする。帝の姫の婿になろうとする男はいくらでもいることだしと、薫は思いながらも、女二宮が明石中宮の子供であればまた考えも違うのだがと、思う気持ちもあり、彼は自分ながらこの考えは少し増慢過ぎるなと反省していた。
帝が女二宮を薫の嫁するということを夕霧が聞いて、わが六の君は、例え彼が気乗りしないのであっても、薫にまあ嫁がせようと、言えたわけでもないがタ霧の方から、真実に頭を下げて頼み込めば、薫も断ることはあるまいと、思っていたのであるが、帝が姫を、という思いもかけない強敵が現れたので夕霧が妬ましく思うのは当然のことである。そこで匂宮が格別六君に執心ということではないが、時々恋文のようなものを六君に送りつけてくるので、夕霧はそうであるなら、一時的なお遊びかも知れないが、それでも少しは気があるのであろうから、六君を本気に考えることもあろう。
この男ならば姫を大事にしてくれると、水も漏らさぬほど堅固に婿を決めても、その男の身分が低い者であれば、世間体が悪く自分も満足しない、夕霧は六君の婿を匂宮に決めた
「親が娘のことを心配するような最近の世の中ですので、今は帝も婿捜しをなさるような世相になりましたでしょうか。まして帝ならぬ我々下々は、娘が盛りを過ぎても婿が決まらないのは当たり前のことです」
夕霧は帝を非難するように言い、娘の明石中宮にも六君を匂宮に嫁がせてと、不平や愚痴を交えて頼むことが度々重なるので、明石中宮も父の頼みを放っておく訳にはいかないので、
「気の毒に、兄タ霧がこのように、断られるかも知れないがと恐る恐るお前と六君のことを長い間考えてきたことを、気にもしないで考えもしないと言うことは、お前の心に情というものがないと言うことである。親王であってもその連れ合いの家の力というものが、将来の運を決めるものである。お父上帝も、自分の在位も終わりになりつつある、春宮に譲位し身を退こうと考えておられるようだ。普通の官人であれば、本妻は一人と大体定められているので、他の女に手を出すことは難しいことである。そうであっても、あの兄タ霧などは、大層真面目な様子をしながら、雲井雁、落葉宮とお二人を恨み事もなく平等に接しておられる。親王でないただの臣下であるタ霧にもましてお前に六君をとの問題に就いては、私が想定しいるお前が皇太子にでもなれば、夕霧などには考えられないほどの女房が大勢祗候するとしても、それで不都合なことが起こるか、そのようなことはあるまい」
などと普段は口数が少ない明石中宮が息子の匂宮に長々と注意をする、聞いていた匂宮は母中宮の注意はそれとして、もともと六君を嫌いではないので、夕霧に素っ気ないような態度は取ってはいなかった。ただ彼はもし六君の聟となれば、物事の几帳面な家庭に、大切な婿君として束縛せられるので、今までは割合気儘な生活をしていたのが窮屈なことになりそれが悩みでこの六君との縁談に乗り気にならなかったが、この左大臣に恨まれてもこの後困ることであろうと、彼は六君を押しつけられても仕方がないと思うようになった。然し女好きの彼は、あの柏木の弟の按察大納言の継娘の紅梅の御方(真木柱と蛍宮の間に出来た娘)をも何とかものにしたいと春の花、秋の紅葉にこと寄せては恋文を送り続け、六君も紅梅も二人とも我がものとしたい思いであった。というわけであったが、女二宮の裳着の式などもなかった。六君の事も、紅梅の御方の事も進展しないまま、年が暮れて新年になった。薫は二十五歳になった。 女二宮も母の藤壺女御の喪が明けて、婚姻の支障はなくなった。内裏の噂は、
「薫殿が願い出れば、女二宮は嫁がれるであろう」
「帝のお考えはそのようである」
という噂を薫に告げる者もあるので、彼も余り返事を遅らせるのは帝に対して失礼なことであるからと、あまりに噂が広がる前に彼は帝に女二宮を所望した。薫と女二宮の婚礼の日は何日であるという噂が早速薫の耳に入ってきた、薫自身も帝に会い、そのお気持ちも察してはいるが、彼の心の中にはまだ無くなた大君の俤が遺りとうてい取り去ることが出来ないので、こんな忘れられ菜ほど宿縁が深くあった大君が、どうして自分とは体の契りもなく亡くなってしまったのであろうか、どうしても気持ちがすっきりしない。たとえ低い身分の女であっても、宇治の大君の姿に、少しでも似たような女があれば自分はきっと虜になるであろう。せめて漢の武帝が李夫人の死後、香をたいてその面影を見たという故事から たけば死者の姿を煙の中に現すという反魂香の煙につけてでも、今ひとたび大君に会いたい、とだけ思いこんでいて、女二宮との婚礼は何日にしようと急いでいる風には見えなかった。
左大臣の夕霧は六君と匂宮婚礼を急がれて、
「八月には如何ですか」
と匂宮に意向を問うた。そのことを二条院の中君が聞いて、予想したとおり宮は心代わりをなさった。このようなことではとうてい将来を過ごすことは出来ないであろう。物の数でもないつまらぬ身分のことであるから私はそのうち人から馬鹿にされ、辛い毎日を送るようになるであろう。そのようなことが起こるであろうと今まで予想しながら過ごしてきた。匂宮が浮気男であると言うことは前々から聞いていたから、それを承知で夫にしたから、頼みにはしていなかったが、一緒に暮らすようになってからは、夜には必ず共寝して愛情濃く混じり合い睦言も楽しくしみじみと、夫婦の深い契りが出来上がっていたのに、急な宮の態度の変わりようこれが安心できようか。
親王であるから身分の低い平人の夫婦の間柄などのように、全く夫婦の縁が跡形もなく切れる事などはないとしても、この後自分の心が安らぐことがあるであろうか。そうとなれば悩み多い私は宇治の山荘に帰るべきである。色々と中君は思案する。宇治山に寵ってそのまま都から姿を消してしまいたいのであるが、そのようなことをしても笑い者には違いない、それよりは、宇治の山に籠もるならば、宇治の田舎者達が夫に捨てられた出戻り者と笑うし、夜這いでも懸けてきたならば、それこそ人から馬鹿呼ばわりされることは必死である。と亡き父八宮の遺言に従わずに山荘を離れた自分の軽薄な行動に取り返しがつかない思いをし辛く中君は悩んでいた。亡くなた姉の大君は外見はしまりがなく、何となく頼りない風に感じるのであるが、心はしっかりとし重々しく物に動じない点は、この上なく
作品名:私の読む「源氏物語」ー74-宿木ー3-1 作家名:陽高慈雨