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私の読む「源氏物語」ー72-総角ー3

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 と耳元で薫は大君に囁くと大君はうるさくもあり、恥ずかしくもあって上に掛けた表を顔の上にひっぱって顔を隠してしまった。大君が、なよなよと、弱々しい姿で臥しているのに対して、薫は、大君を死なせて、私はどんな気がするであろうかと、薫は胸一杯になって、悲しく思わずにはいられない。
「長い間、姉君を看病してあげなされ気持も、楽でないでしょう」
 と、奥にいる中君に薫は言葉を掛けた、
「今夜はゆっくりとお休みなさい、姉君の看病は私が致しますから」
 と言うと、大君の事が気がかりであるけれども、中君は、薫が看病するような事情があるのであろうと、思いその場よりいくらか遠くに下がって行った。面と向いあってではないが、薫は大君の側に這い寄りながら大君の顔を見ると、大君は自分の姿が見苦しくて恥ずかしいけれども、このような契りであったのだと、思い、薫がこの上なく落ちついて、のんびりとしており、不安な処がない性格を、あの匂宮に見較べると薫の自分に対する心配りが、本当に有りがたいことと自然に思うのであった。
 だから自分が死んだ後薫の思い出に自分が、強情で思いやりがない女として残りたくはないと、考えて大君は、薫の無遠慮な態度にも、病床から出て行くようには言えなかった。薫は夜中起きていて女房に薬湯などを大君にさし上げなさるけれども、大君は少しも飲もうとはしなかった。薫は、
「困ったなあ。このままでは大君の寿命は終わってしまう、どうやって大君の寿命を取り戻すことが出来るのか」
 と、誰に相談しようとしてもする人がなく、途方にくれていた。
 途切れなく読む経の明け方の僧の交代時に新旧の僧が唱える経が合わさって見事な唱名となって聞こえるとき、阿闍梨は祈祷のために、終夜、詰め切っていて、眠っていたのが目をさまして陀羅尼を読んでいる。 声は老いているが、女房達には有り難く聞こえていた。阿闍梨は、
「昨夜は如何でしたか」
 と大君に尋ねるついでに、亡き八宮の話などが出てきて、涙を流して鼻水が出るのをかみながら、
「八宮はあの世の何処に居られるであろう、まあ涼しいところにおられるでしょうと、思っています。先頃の夢に、現れて、それは俗人の姿で、私は俗世界を大変嫌悪したから心残りというものはなかったが、姫達の身の上の事が少しばかり気になって、心が乱れています。そのようなことで極楽浄土から遠ざかっていることが残念であるから、極楽浄土往きを早めるように追善供養を施行してくれよ。と言うことをはっきりと夢の中で仰せになりました。私はすぐにでも願いを聞き入れようと弟子五,六人に阿弥陀仏の名を唱える称名念仏を修させております。それに私が考えました常不軽菩薩を礼拝させております。この業は釈迦がまだ、常不軽菩薩の時代に、一切の衆生は仏性があるからと言って、二十四字又は十二字の偈を唱えて、四衆を礼拝した。その由来に添って、この宇治の僧達が、常不軽菩薩品を読誦しつつ、京辺を廻って衆生に礼拝して歩き、修行するのである。
そのことを聞いて薫は感激して涙を流して喜んだ。この世のみでなくあの世で極楽往生を妨げる罪の深さを、病の苦しさに大君は死んでしまうのではないかと思うのであった。そうして彼女は、父宮がまだ往生する場所が決まらないならば、どうにかして父宮の許に参って父宮と同じ場所に往生しようと、阿闍梨の話を聞きながら思うのであった。阿闍梨は多くを語らずに席を立った。
 この常不軽を勤行する法師は、宇治のあたりの村や里は言うまでもなく、京まで歩いて廻るのであるが、寒い早朝の強い風に阻まれて、行を中止し帰って来て阿闍梨が勤行している山荘の中門の所で、額を地に付けて礼拝して廻向の偈文の最後「当ニ仏トナルヲ得ベシ」と唱えて終了するその姿が身にしみじみと感ずる。薫も、仏道には造詣が深いので、この僧達の行に感動して、感無量である。中君は姉のことが気にかかって、病室の奥の方にある几帳の後に、寄り添っているのが衣の衣擦れの音がして薫は、居住まいを正して、
「不軽の行の僧達の読経を如何お聞きになりましたか、常不軽の週向は、重大な祈祷ではありませんが、尊く感じるものですね」
 と言って、

霜さゆる汀の千鳥うちわびて
    鳴く音悲しき朝ぼらけかな
(霜が冷え冷えとする水ぎわの千鳥も、常不軽の法師と同様に寒さに困って鳴いている。その声の悲しい暁であるなあ)
 薫は吟誦するのではなくてただの言葉のように詠う。中君は薄情な匂宮の様子に似たところがあるので、やはり匂宮と比べているが、彼女は直接に返歌がしづらいので、弁御許に代わりに答えさせた。

あかつきの霜うち払ひ鳴く千鳥
       もの思ふ人の心をや知る
(羽に置く暁の霜を払って、悲しげに鳴く千鳥も、常不軽の法師と同様に物思いに沈み込んでいる私の気持を知っているのであろうか)

 若い中君の代理としては、醜い老女の弁御許では不似合いであるけれども、風情がないでもない。薫は、このようなつまらない和歌の贈答でも、大君は遠慮深げではありながら、親しみ深く手応えのある贈答をする。このまま死に別れをしたら自分はどんな気持ちでいるだろうかと、あれこれ考えて心が迷路に入ったようであった。

 八宮を阿闍梨が夢に見たということを考えると、姫達がこのように苦しんでいるのを、宮の魂は天空を駈けてどの様に見ておられるのであろうと、推測して、かって宮が修行をされた寺にも追善供養の誦経を頼むのである。おおかたの有名な寺に大君の病気平癒祈願の使者を送り出し、宮中には公私に亘ってお暇を頂戴する賜暇願を差し出した。神前の祈願や陰陽道の祈祷など、万事に、手の届かない事なくするが、大君は何かの祟りのような御病気でもないので
、一向に良い兆候は見えない。大君自身も「平癒したい」と、仏に祈りを捧げれば、効験もあろうが、こんな病気の機会に、是非とも死んでしまいたい、薫君がこのように私に添って看病してくださり、体の関係はなくとも夫婦のようになってしまったが、今となっては、もう、離れようとしても離れることは出来ない夫婦にならねばなるまい。そうかと言って、薫の、こんなに、親切な気持が、自分の病が快復して本当に夫婦として交わり、その後日を経て自分も薫にも、愛情が薄くなって、疎々しく見られるようになったとすると、当然安心もならず、つらい事となるのであろう。だから病にかこつけて出家をして尼になろう。そうすれば二人の愛は永遠のものとなる、と大君は覚悟を決めて、どの様な事情があるにしても、この本意の出家を、どうかして、やり遂げてしまいたいと、思うのであるが、そこまでは薫に言い出せず、妹の中君に、
「気分が段々死に向かうような気がするから、前に、受戒することが、延命長寿に大層効験があると、聞いたことがあるから、受戒したい旨を阿闍梨に伝えてください」
 というと、中君はじめ女房達が皆大騒ぎで泣き叫び、女房は、
「出家なんてとんでもないお考えです。出家をされたら中納言殿は如何思われるでしょう」
「気を落とされることでしょう」
 と、出家することを不似合な事として考えるので、薫に告げる者もないので、大君は悔しく思うのである。