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私の読む「源氏物語」ー72-総角ー3

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「父宮がなくなられた時に私は、少しでもこの世には残ってはいない。すぐにでも死のうと、考えたけれど、寿命というものには限度があるから、今日まで生き長らえていると思っています、紀友則が身まかりける時よめる 貫之の歌に「明日知らぬわが身と思へど暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ」(明日の命は分からない我が身とは思うが、さしあたって日が暮れない間の今日は亡くなったあの人のことが悲しく思われることだ)という歌がありますが、寿命は、明日どうなる事かわからない、この世で、死とは嘆かわしいことであるが、誰のために惜しい命であるか、御身のためだけである」
 と大君は言って女房に大殿油を持ってこさせて、匂宮の文を読む。いつもの通り匂宮の文は細かいことまで書いてあって、

ながむるは同じ雲井をいかなれば
      おぼつかなさを添ふる時雨ぞ
(中君恋しさにじつと見つめるのは何時もと同じ大空であるのに、どういう理由なのか、今日に限って、逢いたいもどかし訴えているような時雨なのか)

 この返歌は、こんなに、袖が濡れる事はないと言う古歌であるのをもう言い古されて誰でもよく知っている歌である。匂宮の通り一遍の義理で書いて来た文であると、大君は見て取ると男の根性が怨めしく思うのである。匂宮はあれ程立派な御風采や容貌を、更に一段と人に褒められたいものと、風流にあでやかに交わられたので、若い中君がころっと体を任せたのは当然の成り行きである。匂宮が訪れなくなってだいぶん日が経っても恋しく、あれほど固く約束されたのであるから、今のように夜離れが続いてもきっと自分を捨てることはないと、恨んでもすぐに思い直す中君であった。
「お返事は何時」
「今日都へ戻ります」
 という使者の返事で、女房達が中君に返事を早くとせかせるので、

あられ降る深山の里は朝夕に
    ながむる空もかきくらしつつ
( 霰の降る、宇治の山里は、朝にタに眺めている空も私も、何時も曇らされて心の晴れる折はありませぬ)

 これだけ書いて使者に渡した。

 さて神無月の最後の日晦になった。宇治へ行けなくなって一月になったと匂宮は気持ちが乱れていた。今宵こそ宇治へ行こうと計画するのであるが、何かと差し障りがあって、五節が始まるのが今年は期間内に丑の日が二回あるため開始の日が早くなり、(それは、五節は、新嘗祭の際の五節の舞で、十一月の中、即ち十一日から二十日までの丑の日に始まる。もし、丑の日が二回であれば、上(一日から十日まで)の丑の日に始まる。故に、日取りは早くなる)内裏では花やかに陽気に催そうとするために、雑用が多く、わざとではないのであるが、匂宮は連絡なく過ごしてしまい山荘は考えても見なかった事態になったと、匂宮の来訪を待ち続けていた。匂宮は、五節の舞姫を見る度に、中君のことを気に懸けていた。左大臣夕霧の六姫のことを匂宮の母である明石中宮も、
「あのように落ち着いた女を本妻として、その他に付き合いのある女を側室として、貴方は堂々としていなさい」
 と言われるが、匂宮は、
「もう少し待ってください、私にも考えることがありますので」
 と、反対を言って、中君につらい目をどうして見せようか、など思うのである、その匂宮の気持を知ることがなく中君は、月日が経つにつれて気分が重くなっていくのであった。
 薫中納言も前から思っていた以上に軽い考えの人であるなあと、匂宮を見ていたが、しかしそうではあるまいと、中君の悲しみを見て愛おしく思うのであるが、匂宮には会おうとはしなかった。僧ではあるが宇治には、
「おかげんはいかがですか」 
 と見舞いの使者を送っていた。
 十一月に入って大君の病は、少し快復したようであると、薫は聞いたのであるが、公私に渡って忙しい頃なので、五、六日、使も送らずにいたが、その後、病はどうであろうかと、胸騒ぎがするので、止むを得ない仕事を捨てて、山荘に出掛けた。

 祈祷は完全に回復するまで続けてくださいよと、薫が言い置いていたのにもかかわらず、もう良くなったからと阿闍梨を帰してしまって山荘はひっそりとしていた。弁御許が出迎えに出てきて、大君の容体を薫に話す。
「何処と言って特別に痛むところもないのですが、何となく気分が優れず、食事もなさりません。元々人よりは、体の弱い方ですので、匂宮のことがあった後は考え事が過ぎたのでしょうか、少しの可笑しや果物さえ召し上がりなさらなかったせいでしょうか酷く弱りなさって、快復するようには見えません。私がこのように長生きをしているせいでこのような悲しいことに出会うのですから、何としてでも大君より先に死にたいと、真剣に思っています」
 と話し終わらぬうちから泣きだしていた、無理もないことである。薫はそんの弁御許に、
「このようなことをどうして私に知らせてくれなかった。今は院も内裏も忙しいときで、私も此方に来ることが残念ながら出来なかった」
 と案内されて中に入っていった。大君の病床の枕に近いところで薫は見舞いの言葉を述べるが、返事がない、
「このように病が大変なことになっているのに誰も私に知らせてくれないことが辛いが、今更言ってもしょうがないことです」
 と少し恨み言を言って阿闍梨やその他世間で評判の祈祷師を残らず呼んで、祈祷を明日から始めることにした。薫に仕える殿上人達が山荘に多く集まり、上の人や下の人多くが祈祷の準備に騒ぐので、今まで寂しさをかこっていた女房達も一辺に賑やかになって安心し、暮れれば薫に
「あちらの客室に」
 と申して、客室で、熱い湯に強飯を入れた湯漬などをさし上げようとするけれども、薫は、
「大君の近くで看病しましょう」
 と、南の廂は僧で一杯なので、東表の病床近くに屏風を立ててそこに座を決めた。それを中君は、困ると思うけれども、薫と大君との間柄に、薫様はどうしても姉上を捨てることが出来ないのだと、思い女房達誰も皆思って薫を他人扱いにはしなくなった。この日は読経の初夜で
法華経を切れることなく読ませなさった。声が美しく僧を、一昼夜を六回に分けて、一時には二人ずつで読経するから十二人が必要である。
その読経の声はとても尊く聞こえた。燈火は、南の廂の間(僧の座のある部屋)にともしてあるので、大君の居間の内部は暗いので遠慮なく、薫は几帳の垂れ布をまくり上げて中に入り、大君を見ると側に老人女房が二三人付き添っていている。中君は薫を避けて中へ入ってしまったので人が少なくなり、大君は寂しく横になっていたところへ、薫は、
「どうして私に声を聞かせてくださいません」
 といきなり大君の手を取って大君を驚かせた。から、大君は、
「お話ししなければとは思うのですが息が苦しくて出来ません。ここのところ貴方がお見えにならないので、お逢いすることもなく死んでしまうのかと残念に思っていました」
 とやっとのことで話す。
「こんなに自分の来訪を待っておられたのか」
 と薫は、しゃくり上げて泣いた。大君は少し熱が高かった。
「どんな悪行をされた報いの病気なのであろうか。私が貴女に悩まされたその私の苦しみを背負い込むと、こんな病気になるという事である」