私の読む「源氏物語」ー70-総角
それはそれで又、老女房弁御許は、姫君達の生活はこんなにまで心細い故に、大君の婿としては、薫様が理想的なのであるからなあ、と思うのであるが、大君も薫も両方とも恥ずかしそうにしているので弁御許は両者に思いを言うことが出来なかった。
こん夜薫は、山荘に泊まって大君と親しく話をゆっくりとしたいので、わざとぐずぐずして昼間を山荘で送った。薫は思いきって大君の寝床に進入しようと決心したのである。貴女の体が欲しいという好色の心を口に出して、はっきりではないが何となく薫が自分の体を欲していることが大君には段々と分かってきて、このままではやがてどうにもならなくなって行くであろうと、大君は薫の扱いに困るり、薫に打ち解けて話すことも次第に苦しくなって来たのであるが、恋に関する以外は、大体に真面目な事を話す薫であるので大君は冷淡に応待するわけにもいかず、対面して話をすることにした。
仏を安置している居問に大君は住んでいるので、隣の部屋の薫の座と、自分の部屋との間のの戸を開けて、仏前の灯明の灯を大きく明るくするために、灯明の芯をしっかりと掻きあげさせ、簾と屏風を運ばせてその後ろに大君は座っていた。仏間の外の薫のおる室にも大君は薫の行動を警戒して、大殿油をつけさせる。
「気分が悪いので、私が無作法な姿をしているのに。こう明るくては、まる見えで、恥ずかしい」
と薫は言って、燈火を取りのけて、横になって臥せってしまった。大君はわざとらしくなく普通に果物などを薫に差し上げた。薫の供の者達には、宇治の独特の料理を用意して酒を添えて差し出した。供の人達や女房達は廊(細殿)のようになっている所に集まり、大君と薫のところに人が近づかないようにした、大君と薫は心から話し合った。大君は当然、薫に気を許すはずもないが、懐かしそうに嬉しそうに話しかけるので、それが薫の心に浸み込んで却って薫は落ちつかず、世を思い捨てたはずなのに男心がむらむらと乱れるのも、大君の気持ちを考えると薫の乱れた気持ちは儚いものである。たいして役に立たない今となって簾や屏風の仕切りだけを障害物として、こんなに気をもむ思いをしながら過ごす愚かなことが生意気なことだと、薫は思い続けるが、表面では何げなく、一般の世の中の事などをおもしろ可笑しく色々と聞いて為になることを大君に話す。薫の側に女房達が居るようにと、大君が薫がよもや自分を襲うようなことはないとは思うが、言っておいたのであるが、女房達は薫を督戒する程に、薫を疎遠なさらないでもっと縁あるようであって欲しいと、大君の態度がそう語っているように見えるから、あまり近寄らなくて、その場から遠ざかって女房達は一所に集まって眠ってしまい、仏前の灯明も明るくしないでいるので、大君はこっそりと女房を呼ぶが誰もそれに応ずる者がいない。大君は、気持ちが乱れ、苦しゆうございますから、少し横になって休んで、朝方にでもまたおはなしいたしましょうと、薫に声を掛けてから奥の部屋に入ろうとするのを、薫は素早く起きあがって、
「京より山を越えてやってきた私は、貴女よりも苦しいけれどもこれだけ色々と語り聞きして心を慰めてください。その私をここに置いて勝手に奥へお入りになってしまえば私はどうしたらいいのですか」
と言って屏風を静かに押しあけて、薫は簾の内に入ってしまった。気味が悪いので、大君が奥の居間に半身程体を入れたところで、薫に引き止められ、ひどく悔しくて情け無いので、
「隔てない話をしようとの仰せは、こんな状態を言うのですね。不思議な話の仕方ですね」
薫を手を伸ばして制止する姿が、普段の大君より遙かに可愛らしいので、
「私がここまで打ち解けている気持ちを、大君は一向にお分かりでないので、私はどうしてでも貴女に私の心をお知らせして分かって貰いたい。私の態度が普通とは違っていると、私の態度のどんな点で、見極めなさいますか。この御仏前で、私は誓いも立てましょう。見苦しい恐がり方をしなさんな。貴女の気持を壊すようなことは私は致しませんから。私は最初から考えております。外の人は、私が貴女の体に手を出すであろうと思っておられるであろうが。私は世間から外れた馬鹿者ですから、そう簡単に女に手を出すようなことは致しません」
と言って仏前の燈火の奥ゆかしいほの暗い光に照らされる大君の頭髪が乱れているのを薫が手で整えてあげると大君の横顔はつやつやとしてとても可愛かった。薫は話を続けて、
「こんなに、親もなく、人も少くて寂しい心細い山荘であり、万が一浮気な男でも現れれば簡単に入ってこれるから、危険ですね、もしも、私でなくて、別に訪ねて来る男でもあるならば、ただ訪問だけで帰っていくことはないでしょう、貴女はその男に犯されて、その男のものとなってしまうでしょう。 そのような事になったら、どんなに残念な事であろうなあ」
と、将来のことは勿論、過去のことまでも、薫は、気がかりに思うのだが、自分と体の関係を結ぼうという薫の態度を大君は「何と言っても言いようのない情ない行動である」と思って
いるとは感じて、大君が泣き弱って体を震わせているのを見ていられないほどかわいそうであるので、薫は大君がこんな体を硬くしてしまって心を開かないが、そのうちに自然に心もなごやかになる時もあろうと、思うのである。大君があまりに悲しくつらそうであるので、色々と気を取り直すように薫は機嫌を取っていた。この屋の女房達は大君と薫が関係が出来ることに賛成であるので、誰一人として主人の大君を心配して顔を出す者がなかった。薫は身の軽い大君を少し自分の方に寄せて胸に抱いた。大君は男に抱かれるなんて初めてのことで少し狼狽したがこの状況では仕方がないと体を薫に預けた。やがて大君は少し落ち着いたのであろう薫の胸の鼓動が背中から伝わってくる、抱かれる際に右手に何か堅い棒状のものに触れた、大君は之が女房達が時々話す男の興奮の表れかと、やはり薫より年上の姉さんである、何となく落ち着いてきた。薫に、
「このような事をなさる方とは知りませんで、気を許してしまい馴れ馴れしく話し合いをしてしまって。このような縁起でもない喪服を着てやつれた姿などを喪明けも待たずに人にも逢わないようにしている私を、すっかり見てしまわれた貴方の思いやりの無さに、私のふがいな差を思い知らされて、どうしていいか困ってしまいました」
と、このような行動に出た薫のことを恨んで、このような簡単な喪服姿を見られたことが、何ともはしたない行動であると大君は恥ずかしさで一杯であった。薫は
「私がこのようなことをするとは心が浅い男であると、思いなさるでしょうと、私自身恥ずかしくて言葉がありません。喪服の事を大変気になさっているようでありますが、其れは口実に私を恨みなさる事は確かでありますが、大君がこの私を長い年月見ておられて、よく分かっておられることで、何も喪中に喪服の貴女とお会いして、会うのを遠慮しなければならないほど初めて私と会ったように他人らしく考えなくてはならないのですか。ふがいないとおっしゃるが、大君のお考えはあまりにも堅すぎます」
作品名:私の読む「源氏物語」ー70-総角 作家名:陽高慈雨