私の読む「源氏物語」ー70-総角
「常々私はただ、自分の精神を後世安楽に過ごすための教えを請いに、こちらの山荘に進んで参りました。ところが、何となしに心細そうに、八宮が思いであるように見えた晩年の時代に、姫様二人の事を私の考えで将来のことを考えてくれるように、たしかに仰せなされ、私はお受けして約束致しました。その時八宮の考え定められた意向などとは違って、姫達のお考えは、父宮ご他界の後、大変、予想に反して道理に合わなく何かと強情であるのは、どうしたことですか。姫達の気に入る意中の男が、父宮の仰せ置かれた私と違うのであろうかと、疑うような事情となっています。自然に姫達の耳に入っていることでありましょう、私は、少し変わった性格で、この憂き世に是非とも私の側にいて欲しいと思う女性はなかったのでしたが、宿縁と言いましょうか、大君にこのようにお近づきになってしまったのであります。私一人の思いこみでなく、世間でも、私が大君の婿であると二人の仲を、段々に大きく噂を広げてて言うような状況になって来ましたので、誰とでも、夫婦となるのは同じ事ならば亡き八宮の御遺言にも違えないで、私も大君も世間並に夫婦として打ち解けて行きたいと老えるのは、もしも私が大君に不似合であっても、そのような夫婦の例も無いことではないし、私たち二人は世間の人も似合うと申しているではありませんか」
と薫は弁御許に話し続けた。さらに、
「匂宮のことも、私がこのように、中君の婿にとお伝えしていますが、婿として気がかりに思う事があると、中君が、匂宮に打ち解けなさらないのは、大君が、たとい故八宮の遺言があるとしても、内々には大君が他の男に中君をと考えておられるのであろう、どうなんですか」
と考え考え、弁御許に言うと、それを聞き耳を立てて聞いていた物のわきまえもないような女房などは、どういう訳かこのような男女の仲には意外に、なんとなく利口ぶり、事を進めたり戻したりしながら語り、相手に調子を合わせて、大君も薫を好いているようだなんて話す。
さすがに弁御許はそのよう軽薄なところはなく、心中は大君は薫を、中君は匂宮を婿とするのは、理想通りの良縁であると、思うのであるが、薫に、
「もともと姫君達は、このように普通の人とは少し違った運を持った方々であるので、薫様達がよくご存じの世間並に、夫を持って世を渡ろうなど、思いつきなされた御様子では、どう考えてもこさりませぬ。私共、こうして御仕え申す誰も彼も、八宮の御在世中の長い間にでも、何か、頼りになりそうである、安全な身の寄せ所もございませんでした。身を宇治の山里に捨てられないと、思う女房達のある限りは、身分相応に縁があって退職しまして、代々奉公している昔の人でも多く見限ってこの屋を去り、今では宮がお亡くなりになって、暫くでも、この山荘に残りにくい状況に気落ちしております、その古女房の一人が、
「八宮がご存命の時は身分に皇族(桐壷帝の孫)と言う最高の身分であったので、例え落ちぶれたからといって、普通の臣下の許へ婚嫁のことは姫達にはみっともないことである、と古風な几帳面と潔癖さのために、姫君達の婚嫁の御考えも、躊躇されてしまった。父宮の亡い現在では姫達も頼みとするところがない身であるので、どうなるとも、運に任せて縁づきなされたとしても、それを必ずしも悪く言う人は、むしろ物の事情も知らずに話にもならない事であります。どうして姫達のような方がこのように心細く世を送って果ててしまうのか、松の葉を食べて勤行する山伏でも、生きて行くために手段としての意味で、深い仏の御教に対しても、それぞれの流儀に別れて、都合よいように、敢えて修行をすると言う事である]
と言って、姫君達の身の振り方も、生きて行くためには、方法を考え、頼みの人のない今は、都合よいように、世に靡くべきである。と心を惑わすようなことを姫達に言って聞かせ、そのため若い姫達は心が乱れる事がどきどきはあるが、大君は、志操が堅固なのでそんなよからぬ話に、影響を受けることは全くなく、中君をどうかして、中君相当の夫を持つように何とか努力してみようと、思いそして人にも頼むのである。
薫が、このように山深い山荘へ尋ねてきてくれる薫の親切が長い間続き、姫君達を世話し馴れた様子に、姫達はその彼の気持ちを嫌なことなく思い今は薫に、あれやこれやと、細かな立ち入ったことも相談するようであるので、大君は中君と結ばれるように望んで、薫が申し出れば許すことにしようと考えていた。匂宮の中君への文は、真面目な態度でお書きになったのではないであろうと、大君も中君と同じように考えているようである。薫は
「感動的な故八宮の御遺言の御一言を承っていて、私が、この世に生きている限りは、その間は姫君達に消息をお伝えして、又山荘にも往来しようと決めております。私が大君と中君のどちらにも、婿になるにしても、同じ事であるとおもうのですが、大君は私を中君の婿にしようと、それ程までに考えておられるのは、大変嬉しいことでありますが、私の心が好ましいと決めていますのは大君であります。私が殆ど諦めている憂き世に、未練がましく留まっていますのは、大君を思ってのことであります。心の引く方を改めて、大君の考のように中君の婿にと考えることがどうして出来ますか。私が大君を思うのは、一般に言う好色からではありません。私はこのように弁御許と、几帳を隔てて対談しているように、几帳を間に置いて仕切って話すことが、何か言い残したことがあるようで、大君と差し向かいで色々と決まりのない世の中のことをなんの支障もなく話し合い、大君の気がねして話されない心の隅々までを、隠さずに打ち明けて下さいませ。実は私は兄弟などで心の隅まで残らず語れるような者もいませんので、孤独で寂しく感じています。世の寂しいこと、楽しいこと、憂しこと、その時々に関した気持ちを語る相手がないので、その時々刺激を受けた感触はあっても語る相手がなくて頼りなく、自然に思ってしまいますので大君を親しい方としてたよりに思っているのであります。
明石中宮は姉でありますが、馴れ馴れしくこのような心の隅までをくだくだと話が出来ることが出来ない人であります。三条宮、源氏の三宮は親とは一寸お若く姉のような若さでありますが、母親で出家でもある上に親としての礼儀もありますから、そう気軽にはなすことはできません。その他に多くの女の方々が周囲にはおられますが、皆さんとは親しみがなく気恥ずかしく、またなんとなく恐しく自然に思われ、私の気持ちの持ち方で北方と言う立場の女もなくもなく、本当に心細い毎日です。
冗談でも、懸想文を書いて送るなどと言うことは照れくさく、体裁が悪いので気が向かず、この無骨な人柄で心に恋しく思いつめた大君の事は言葉にも態度にも表すことができずに、大君が私の方を見てくれないのを怨めしく思い、言葉に出して言えなくて毎日心が暗く、この私の思いを大君が察してくださらないのが、私にはどうしようもない愚かしい事で有りました。中君に匂宮を仲介する事についてもあのように、匂宮の御文は、真面目な態度でお書きになったのではないであろうと御考えであっても、悪いようには考えないで私にお任せ下さいませ」
と言うのである。
作品名:私の読む「源氏物語」ー70-総角 作家名:陽高慈雨