私の読む「源氏物語」ー69-椎本ー2
兵部卿匂宮に薫が面会するときは、まず最初に宇治の二人の姫達のことを話題にするのである。父八宮亡き今は、姫君達が頑強に拒絶しても、なにすぐ靡くさと、匂宮は思っているので、せっせと文を送り続けていた。だが、匂宮の文が来ても、簡単な返事でも、父宮の亡き後は、薫の世話になっているので、匂宮にはそのことが言いにくく、行動が控えめな薫に女達の顔が向いていた。匂宮は、自分が世間に、大層、ひどく風流に色好みをしていると評判が広がっているので、私達を、色好みらしく、あだっぽく、当然思っていると、私達が、この宇治の、全く人目も触れない埋れている葎の下の田舎の日陰者から返事を差出したとしても、その筆跡だけでもどんなに時代遅れかうかなどと思われることと姫達は気がめいっているのであった。
「それにしても、このようなあきれるように明け暮れが過ぎて行くのは、月日だけである。頼みにしてはならない父八宮の御寿命であるのに、昨日や今日御亡くなりなされようとは思いようもなく、私はただ、死ぬ事の、この世に無常な頼りなさだけを、父八宮からいつもの話題として、話されていたので聞きもし、実際に祖のようなことを見もしたけれども、自分も父も、生き残り、又先立って死ぬのに、特にその間隔がありましょうか、父宮他界後、すぐに後を追うものと思っていたのに、こうして生き長らえている」
中君は、
「今まで過ごした年月を振り返ってみると、父君が存命中でもこれと言ったよい生活とは言えなかったが、死別は何時であるとも考えずにのんびりと暮らし、何も怖がらず、憚ることなくなく過ごしましたのを」
「そんな私たちが今は、風の音にも驚き、見たこともない人がやってきて、何かと声を掛けていく、恐ろしくて胸が潰れそうで、寂しく思っていることが更に加わってとても堪えきれない事よなあ」
仲良し姉妹は話しもっては涙をながし、その涙が乾かないうちに年の暮れとなった。
雪に霰と烈しい頃は寂しさを誰もが感じる風の音であるが、姉妹二人は初めて山荘に暮らしたような気がしていた。女房達が、
「悲しいことに、年が替わるのだ」
「心細いことを、悲しいことを」
「新しい春を、待っていますよ」
気を落さずに言う女房もある。姫二人はそんな女房の話を、私たちには無理な話と、聞いていた。阿闍梨の住む寺のある向こうの山に、父宮が籠もると、使いの人が寺と山荘を毎日のように往復していた。その頃阿闍梨も。
「いかがお過ごしですか」
と、訪れてこられたが大抵は文であったが、父宮亡き後は、話相手もないから、姫君達の所に阿闍梨自身が顔出しすることはなかった。
このように宮が亡くなられた後はますます人の訪れはなかったが、人情というものはそのようなもであると、思いながらも姫達は悲しかった。今までは、物の数にも入れずに気にもしなかった、山中に住む猟師や木こりで身分の卑しい山賎も、八宮が亡くなた後は、時々山荘に顔出しなどするのは、姫達は珍しい来客と思っていた。中には冬のことで薪や木の実を持ってきてくれる者もいた。阿闍梨の寺からは炭などを贈ってきてそれに阿闍梨の文が付けられていた。
「毎年差し上げていましたのを、亡くなられたからと言って止めてしまうのも、どうかと思いますので」
と書かれてあった。八宮は毎年冬ごもりをする阿闍梨が山風の寒さから体を守るようにと、綿や絹を贈っていたのを姫達は忘れず、父宮亡き後も続けていた。使いに来た法師や童達が山寺に帰っていく姿が積もった雪に見え隠れするのを、縁の端に出て姫達は見送っていた。中君は、
「父上が出家されて存命されておられたならば、帰っていくあの者達の山荘に来られることも多いことでしょうね」
「出家され山寺に籠もられて別々に住むことになっても、私たちは心細くても、父宮と会うことはなくなることはありませんものねえ」
二人は見送りながら話し合っていた。そうして大君は、
君なくて岩のかけ道絶えしより
松の雪をもなにとかは見る
(父宮がなくなったて、山寺への岩の険しい道が、往来がなくなってから、父宮の山寺からの御帰りを待ちながら、眺めていた松の雪を、何と思って、御覧なされまするか)
中君
奥山の松葉に積もる雪とだに
消えにし人を思はましかば
(せめて奥山の松の葉に積る雪とでも、亡くなってしまった父宮を思いまするならば、(消えても又降って来るから)嬉しい事であろうになあ)
羨しい程に、雪はまた降るのである。
薫中納言は、新年を迎えると色々と行事が多く、宇治へ行くことが出来ないであろうと、年末に宇治の山荘を訪れた。折から雪が道一杯に積って誰一人として訪ねて来なくなってしまっていたのに、薫が冬支度充分で、高い身分であるのに気軽に訪問して下さった気持が深いことが二人に自然と通じたので、いつもよりは念を入れて丁寧に姫自身で座席などを整えた。喪中であるから調度品もそれに合わせて墨染めの物を使うのであるが、普通の火桶をわざわざ奥から取りだして薫のために埃を払う様子などを見ていて女房達が口々に薫に、八宮が薫が来訪するのを喜んで色々と女房達に接待の事をさせたことを話すのであった。
薫に対面する事を、姫君達は恥ずかしくばかりおもっていたが、今日はこの雪の中をわざわざ訪問した薫の手前もあるので、対面しなければ思いやりのない女と見られるとおもい、大君は、それではと御簾ごしに薫と対面した。打ち解けたとは言えないが以前よりは少しばかり言葉をつづけて話をするのが、堂々とした見事な大人の女として立派で、薫はその迫力に押されて気恥ずかしそうである。そんな大君の女の優雅な迫力に薫は、こんな表面的な通り一遍の話をしているだけでは、側に近づいて、彼女を手に入れなくては、最後まで過ごす事ができまい
、という考にとりつかれていた。
独身を通そうと考えていた男が急に、場当りの思いつきで気持ちが揺らぐものである。やはり、男女の仲はお互いに引き合う物があるようである。薫は、
「匂宮が何となく私を責められるのです。その原因は、亡きお父上八宮様が、かつてしみじみと私に遺言の御言葉をお託しになり、その事情などを私が匂宮にある機会に話をしたことがあったのか、あの方独特の推理力で推察なさったのか私に、貴女方を紹介するようにと、頼まれまして、貴女方が無関心であることを申しあげますと、私が、御身達の御気持を損ねたのであろうと、匂宮は度々私を詰られるので、とんでもないことと、私は思うのですが、彼を宇治へ誘ったのは私なので、あまり強く、断ることは出来ませんので。
けれども、匂宮の文には全然お返しがないそうですが、どうして匂宮をこのように冷淡に貴女方は扱われるのですか。お耳にもう入っていることと思いますが、匂宮を女好きの浮気者と世間では評判になっていますが、匂宮は心の優しい思いやりのある方です。私も、匂宮がからかう女で、相手が男に靡きやすいとわかると、興味をなくし見向きもしないと、お付きの者から聞いたことがあります。
作品名:私の読む「源氏物語」ー69-椎本ー2 作家名:陽高慈雨