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私の読む「源氏物語」ー69-椎本ー2

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 父八宮の勧業の称名念仏の行は、今日で終ってしまうであろうと思い、姫君達が父宮は何時御帰りかと、待っているタ暮に山から使いが来て、八宮の文を娘に渡した。
「今朝方より体の調子が悪く家には帰れない、風邪を引いたのであろうと、今は療治すると、あれこれ薬を飲んだりして治療しています。そんなわけでとても二人に会いたいのだが」
 ということである。姫達は吃驚して胸を押さえて、容体はどんなであろうと、心配し、綿の厚い着物を急いで使いに持って行かせた。二三日しても宮の容体は良くならず姫達は連日人を送って如何と尋ねるが、返事は、
「特に、これといって大した事はないけれども、どことなく、苦しいのです。少しでも、病気が直ったらば、少し我慢してそのうちに帰りましょう」
 という使いの口上であった。使いによると、阿闍梨は、ずっと八宮につき添い、看病申しあげているということであった。

 阿闍梨は、
「何でもない御病気に見られまするけれども、命取りの病のようにも見られます。姫達のことを思い悩まれるのは当たり前のことでありましょう。人の宿命は、各自それは異なるものでありますから、姫達それぞれも違った宿命をお持ちで宮が心配してもどうなるものではありません」
 この世を離れることが近いことを八宮に言い、
「この時になって山寺からはお出にならないように」
 と注意した。
 八月葉月二十日に空も何となくどんよりとしている頃に姫達は、朝霧タ露の晴れる時もないように、二人の心は晴れる時もなく、絶えず父八宮の病を心配しながら暮らしていた。夜明けの月が残る有明けの月がとても明るくさして、宇治川の水面も、はっきり澄んでいるのに、父八宮病気のために、心が曇っている姫君達は、山寺のある方の蔀を女房達に上げさせて、山寺の方を見ていると鐘の音がかすかに聞こえてきて、「夜明けだ」と人が言うその時山から使いが来て、
「宮はこの夜中に亡くなられました」
 と涙を出して姫達に知らせた。姫達は絶えず父の容体は如何であろうと思っているところへ、亡くなられたと、聞かれては、あまりの驚きに茫然として、何も考えられぬ気持で、全く、こんな悲痛なことで涙も何処かに行ってしまい、泣くにも泣けずただ打ち倒れてしまった。 死別というようなとても悲しい変事も、臨終にも逢い心残りのない別れをするのが、普通のことであるのに、然るに、臨終にも逢わずに別れた姫君達は心残りも加わるので、二人の嘆きは言葉に表しようがない。父亡き後この世には生きてはいないと、かねてから考えていた二人の気持なので、大君は
「どうして生きていけようか」
「父上に遅れてはならない」
 と中君、二人は泣きに泣いて悲しむが父宮は死出の旅路であるのでどうすることも出来ない。阿闍梨が八宮とことあるごとに約束していたとおりに、八宮の亡くなられた後のことを総て仏事、御葬送を始め、その後の供養なども、万事御勤めした。
 亡くなった父の遺体に一目でも会いたいと、二人の娘が願うのであるが、阿闍梨は、
「今更ご遺体に対面しても意味がありません。平素も、姫君達と、二度と御逢いなされてはいけませぬと、八宮に申し上げておりました故、今は生前にもまして互いに、未練の心を残しなされてはならない、その御心構えを姫君方は持ち、我慢して慣れることです」
 と答えて姫達の希望を聞かなかった。山寺での父の様子を聞いても、あまり悟りきった阿闍梨の道心からの答えを、憎く、恨めしいと、真からはらたつ思いで二人の娘は聞いていた。
 八宮の出家の希望は深くあったのであるが、二人の娘のことを、世話をする人がないことをどうすることもできないので、命ある限りは、毎日、姫達の面倒を見ようと本当に小さな生活の慰めとして出家しすることが出来なかった。死出の旅路に、先立も、後れたくないと後を慕うことも、思うようにならない世界である。
 薫中納言は八宮の死去を知りどうしようもなく悔しいこと、もう一回でものどかに話がしたかったことが、沢山残っていて、無常の世の有様が、次から次へと浮かんでくるので涙を流していた。
「またと逢うような事は困難であろう」
 と言われた宮を、平素も、朝があってタのわからぬ世の無常を、誰よりも感じておられたから、八宮の言葉をいつものことと聞き流していた薫は、まさか亡くなられるのが、こんなに急なこととは思っても見なかったことを、返す返す八宮との死別を開くことなく悲しむのであった。
 薫は阿闍梨の許にも、又、姫君達の御見舞(弔問)も、懇ろに申しなされる。このような御見舞など、薫以外は、挨拶を申す人もない姫君達の生活の有様であるのは彼女たちが悲嘆にくれて、正気も失っている気持などにも、薫の今までの心尽しが、しみじみと親切であった事などを本当に身に感じたのであった。父親との死別と言うことは世間一般にあることであっても、実際に自分がそれに当面すると悲嘆が、自分だけが被る悲しみとばかり思って、誰れでも途方にくれるものであるが、それを慰める者が身寄りのない孤独となった姫君達なので、どの様に嘆いているだろうかと薫は心配し、子の後の法事等があることであろうと、阿闍梨にも御布施などを初め、供養の品々を贈りよろしくとの願いをする。山荘にも、弁御許を通じて御誦経の度に僧達への布施の事を、薫は心配してよろしく頼むと金品などを贈った。

 大君・中君姫達二人の最愛の父八宮を亡くして毎日が暗い日であったが、それでも九月長月になった。野山の景色を見ながら、二人の秋は、例年の秋にもまして、袖を濡らす時雨の涙を誘われ勝ちで、どうかすると、木の葉の散る音、宇治川の流れの響き、それらと一体となって涙が滝のように流れ出て目の目が暗くなり途方に暮れてしまい、こんな状態では、姫達も宮の後を追って亡くなられるのでは、と女房達が心配しつつ姫達を慰めるが、どうして良いか心底迷っていた。ここ山荘にも念仏の僧が、御勤めに伺候して、故八宮の、かつての居間に座し、安置してある仏の像を八宮の形見と見なして、八宮存命中から時々参って御仕え申しあげた人々で中陰(四十九日)の御忌に籠もった全員は、
去る日に薫達が山荘を訪れ八宮に歓待されたときに手伝いに来た老人達である、それぞれに念仏を丁重に唱えて忌日を過ごした。
 匂宮兵部卿からも度々、色めかしい艶やかな見舞文や金品が送られてきたが、姫達は匂宮の女心をくすぐるような艶な事には答えずにいたので、匂宮は、姫君達から返事のないのが気がかりであるから、薫には、特にこのようなことはないから、返事がないことは、やっぱり、姫達が私を度外視しているようだと、情け無く思っていた。
 紅葉の盛りに、漢詩などを作詩しようと、いうので匂宮は八宮存命中には、よく宇治に出かけたけれども、八宮が他界した後は宇治に行く口実がなくなったのと、目指す姫達からも文がないので、宇治へ行くことが出来ずに悔しがっていた。八宮の中陰の法事も終って、悲しみも限度があろう、涙の乾く時もあるであろうと、匂宮は想像して、姫達へ長文の文を送った。その文を書くころ時雨がちだったので、

牡鹿鳴く秋の山里いかならむ
       小萩が露のかかる夕暮