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私の読む「源氏物語」ー67-橋姫

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「出家の身でもあるので誰にも、娘のいる事を知らせまいと思って色々と考えて、娘達を育てているけれど、自分の命はいつまであるのかと、と諦めてはいるのであるが、どうしてもこの先まだ長く生きる娘達が落ちぶれて流浪し、寄るべなくさ迷うような、零落放浪と流離だけこそ、子は過去現在未来の三界の首かせと、言う通り、この世から去る臨終のとき、足手まといなのであります」
 と薫に訴える宮を薫は気の毒にと、顔を見ていた。
「目立つような世話人らしく有カな夫ではなくとも、私を親しい関係と、お考え下さい。私が、ほんの少しでも生き長らえますならば、その命の間はたとい一言でも、八宮に、このように口に出してた約束を、破るようなことは、絶対致しません」
「大変嬉しく有り難いことです」
 と八宮は安心したように薫に礼を言う。

 朝方の八宮の勤行中に、薫はあの老女房を呼び出して話をする。八宮が姫達の後見として付き添わしている弁の君という女房である。歳は六十少し前のようであるが、上品な風情で、由緒ある出身のような態度で、薫と応対する。弁御許は亡くなった権大納言柏木が、何時も物思いに悩んで病気になり亡くなったことを細かく話してひどく泣きだした。弁御許の泣くのも、尤もなことで、彼女の話したことは他人の身の上話であるとしても、しみじみとあわれな昔話であるのに、他人の身のでなく薫にとっては、長い年月の間、気にかかっていた真相が、知りたく、事の原因はなんであるのか、佛にすがってでも、この母女三宮出家の理由を明確に知りたいと祈念していることが佛の助けであろう今、夢見るようにはかない親の出家の話を、意外なかたちで、聞くことが出来ると、薫がおもうと、薫も涙が止めどなく流れて弁御許と共に暫く涙にくれていた。
「それにしても、柏木在世当時の事情を知っている人が、まだ生存しているとは意外な事、私にはきまりの悪い事に思われるような出来事であると思っています。こんな貴女の話したようなことを、世間に言い触らす人は貴女以外にはいなかったのであろう、私の耳には少しも聞こえなかったからねえ」
 と御許に言うと、御許女房は、
「小侍従と私、弁御許との外にこのことを知っている人はござりますまい。小侍従は貴方の母上三宮の女房でありました。だからこのことは一言も私たちは他人に話したりはしていません。私達は何の頼りにもならない、取るに足らない身分で有りますが、私は夜となく昼となく柏木様のお側に御つき申しあげておりましたから自然に、色々な事情がわかりましたので、柏木様が源氏様の妻であった三宮が恋しくて、煩悶しておられた時になにかと文を書かれたのを、小侍従と私と只二人だけの間で文の使いの往復をしておりました、あまり細かいことは都合がありますので、くはしくは申しあげません。
柏木様が臨終になったときに少し許り、私に、御遺言が有りましたが、私のような賎しい身では、遺言状の置き所もなく、ずうっと気がかりに思って過ごしながら、どの様にして、薫様に遺言状のことや、その他のことを御伝え申す事ができるかと、あまり信仰心のない私の念仏読経の機会に佛に願っておりました、。なんと、
佛はこの世におられたと、貴方にお会いできて仏のお慈悲に感謝をさせられました。
 遺言状は私の手元に御座います、貴方様にお会いできた今は焼いたりして、捨ててしまわなくて良かったと、このように何時死ぬか分からない年寄りが、お預かりの遺言状などを死んだ後に残したならば、世間に散らばってしまうと、後のことが気にはかかっていましたが、幸いなことに貴方様がこの八宮の山荘に時々姿を御見せなされるのを御見受けしましたから、柏木様からの預り物も御渡しできると安心いたしました。
 こんなにして御目にかかれる時もあるかと、我慢しておりました甲斐がありました、保管しておりお目通りできる日を御待ち申す結果が吉と出たのは宿縁もあり、幸運だけではないでしょう」
 と涙ながらに一気に御許女房は薫に事細かに彼の生まれたときのことを、思い出しながら話をする。更に、
「柏木様が亡くなったときに私の母はそのまま病気になって、柏木様の後を追うようにして亡くなりました。母は柏木様の乳人でありました。私はひどく思案に暮れ沈み込み、喪服を主人柏木さまと母のと、重ねて着て喪の服し、悲しいことが私に降りかかるものと、沈み込んでいましたところ、性質の良くない男で、長い間私に懸想していた者に淋しさから体を許してしまい、その男は私を騙して、九州まで、連れられていくことになりました。そのような訳で、その後のことは薫様の事は勿諭、都の事までも、跡が切れ、私は音信不通消息不明になり、しかもその男も九州で亡くなって、十年ほどになってようやく都へ上れました。
 この世でない別世界の気がして、京に上りました。八宮は、私の父が八宮の妃の叔父という関係で、童の頃から此方の屋敷に出入りしておりました縁故がありましたから、その上現在では私もこのように年を取り、奉公などのできる状態でも有りませんから、実は冷泉院の弘徽殿女御のお方は柏木様の妹であるから御噂を、始終聞いておりましたので、そこに参上すべきでありましたが、柏木様と三宮の間の仲介などを勤めた故に自然、きまり悪く御殿に、顔をよう出しませずに、宇治の山奥に人に知られず役にも立たない者になってしまって、奉公しております。小侍従はいつか亡くなっておりました。

 柏木様在世当時の若者と、かつて、私達が騒ぎました方々も残り少なくなっています。この老人は、多くの人に先立たれ残されたことを、いかにも悲しく思いますが、しかも、まだ死ななくてこのように長らえて過ごしております」
 などと御許が話しているうちに、また、朝になってしまった。薫は聞いていて、
「まあ、まだ話が続くのであれば、この昔の話は、なかなか終わりそうもないから、夜も明けて人も来ることだし、他人に聞かれないような気楽な所で話してくれますか。小侍従といった者は、私がぼんやりと憶えているのは、私が五六歳の頃に急に胸を患って、亡くなってしまったと、聞いている。御許とのこのような出会いがなければ実父も知らない罪の重い身として、一生を過ごしてしまうことであったろう」
 と御許女房に言うのである。弁御許は細く固く巻き、遺言状などを一緒にまとめた反故のような紙の徽臭いのを、布袋に入れたものを中から取りだして薫に渡す。弁御許は渡して、
「あなた様がこれらの物を焼却してくださいませ。『私はも長くはあるまい』と柏木様がおっしゃって、これらの文を集めて私に預けられた物で、私は小侍従に会って確実に、三宮姫に御渡し申しあげようと、思いましたのに。そのまま、再び逢わずに死別しましたことは、死別の悲しみは私情ではあるが、それは別として、柏木様からの預り物をも、小侍従に渡さないで、召使としての責任上本当に悲しく申し訳ないことと思っております」