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私の読む「源氏物語」ー67-橋姫

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「私は見せなくても御身は女からの文であればいくらでも御見せなされるでしょうともねえ。色々と沢山、女の文をいただいているようで、そのほんの一部分だけでも、もし見せて下されるならば、見たいのに。宇治の姫君達は、私のように表立たず、人にも認められていない、日陰者の身が独占して内証にしておくような方々ではないから、匂宮に紹介したいと思ってはいるのですが、宇治のようなところは、貴方のような高い身分の方が訪問して立ち寄りすることが出来ますまい。私のような気軽な身分の者は、浮気をするならば、し放題の世の中ですからねえ。人に知られず、世間に知られていない佳人は沢山居られるようです。本妻ではなく浮気相手と、世話し甲斐がある女で物思いに耽って、人目を避げて暮している、その住居も、山里のなかで人里離れた奥にありましょう。
 私が今、申しあげている宇治は、全く世間離れした修行場のようで殺風景であろうと、今まで長い間馬鹿にして聞くこともしなかったのでありますが、ところが、ぼんやりと霧に煙ったような先夜の月光に垣間見た姫達の姿が、昼でも夜でもはっきりとよく見た場合に、もし垣間見たよりも悪くなければ立派な美人というものであるよねえ。態度や姿形が、もしその美しさ並みの姫であれば、申し分ない掘り出し物と思うのであるが」
 匂宮が興味を起こすように言うのである。匂宮は香の話を聞いているうちに、最後には本気になって、垣間見たという薫が妬ましく思い、大抵の女に心引かれるような薫でないのが、こんなに深刻に言うのであるから、この姫達は相当な女であると、姫達とどうかして一度会ってみたいと真剣に思うのである。
「そのように思うのなら薫は今まで通り、今後も時々姫君達の様子を充分観察なさい」
 と匂宮は薫を推し進めて、限られた行動しかできない自分の身分が嫌になるほど薫の話す姫君達の事が気が気でないのである。その匂宮を見て薫は可笑しく、
「いやもう、女の事で苦労する事は、つまらないことです。私は、少しでもこの俗界に執着心は持つまいと、思っている事情のある身の上なので、つまらない恋も、慎んで遠慮しております。自分の決めた心構えとは言いながら、その心とは裏腹に浮気心が、起り始めてしまったら決心した私の心はどうなってしまうのでしょうか」
 と薫は宇治の姫君達を、匂宮に一任し、自分は手を引いているように言って、又、匂宮の心を煽動する。
「いやはや、まあ、お話はそこまでで、何時もの薫の勿体ぶった聖のような言い方であるなあ。その言葉の結果を見届けたいものであるよ」 と匂宮は笑う。薫の心には山荘の弁御許のそれとなく、母三宮と柏木との関係を何となく言うのを、薫はかねて薄々疑問は抱いていたが、彼女の言うのに驚かされたので、何となしに感慨無量になって、女の美しさも、感じがよい女であると聞かされても薫は、一つも心に響くことはなかった。
 十月、神無月になって五六日になるころ、薫は宇治の八宮を訪問した。お供もが、
「網代です、今日こそ」
「御覧なさってください」
 と言うのであるが、
「何となくそのひを虫に、はかなさを見透かされているようなので、氷魚を捕る網代見物はしないよ」
 と言って網代見物を止めて、身軽に、略式の網代車に乗つて、模様のない絹の直衣と指貫とを新しく縫わせて、お洒落してもっともらしく、着て出掛けた。八宮は薫の来訪を待ち受けていて喜んで迎え入れた。宇治特産の料理を中心に立派ば宴席を設けて薫を請じ入れた。日が暮れると大きな灯火である大殿油を近くに寄せて、今読んでいる経典などの中の深遠な意義などを、講読の僧は勿論、阿闍梨までも山から招き下して、夜を徹して経典の奥義を講義をして貰った。宮の山荘は、宇治川から吹き付ける激しい風に木の葉が散り舞う音、川水の激しい流れなどが、しみじみとした風情を通り越して気持ちが悪くなる様なところである。夜が明け始めたかなと、薫が思う頃に、先日宮が不在の折に合奏を聞いた、その夜明けが、自然に思い出されるので、ここで音楽があればと、話の糸口を切り出して、

「先に宮がご不在の折に霧に濡れまみれて道に迷いながら此方に参った際に、夜明けの頃珍しい音曲の音を、ほんの一声だけ伺いました。中途半端に一声許り拝聴したために、その残りが気になりまして、この際全部をお聞かせ願いたいものです。お聞きしなければ何時までも思うことでしょう」
 と宮に訴える。
「俗界の遊び事や風流にも、もう以前から断念してしまって、その後、私は昔聞いた絃楽器の弾き方も、すっかり忘れておりまする」
 と言うのであるが、女房を呼んで琴を持ってこさせて、
「七絃琴を弾くのも、出家の身の今では全く、不似合いになつてしまったなあ、誰か合奏して、先導してくれるなければどうも曲を思い出せないようだ」
 と琵琶を女房に持ってこさせて客の薫に弾くように頼むのである。薫は手にとって調子を合わせて、
「こうして今調子を合わせて見ますと、先の夜にかすかに私が聞きました琵琶と、同じ琵琶でありましょうか、少し違うように思うのですが、よく考えますと楽器が違うのでなくて、弾き手が勝れているのであったようです」
 と言って、うなずいているが、弾こうとはしなかった。その薫を見て八宮は、
「さあどうも、貴方は、口が悪いなあ。そんな貴方の耳に聞こえてくるほどの名手の弾く音はこの山里まではとても聞こえてはきませんよ、そんなことは有りようがないことです」
 と言って七弦琴を弾き始める。身にしみるほどぞっとする巧みな音色である。一方では、「琴のねに峰の松風通ふらしいづれの峰より調べそめけむ」齋宮女御の歌ではないが、峰の松風が、音色を引き立てるのであろう。八宮は危っかしそうによく憶えていない風をして、よく知っている気のきいた曲を、一曲だけで弾くのを止めてしまった。
「この山荘に、思いがけなく折々、弾くともなく、ほのかに弾いている中君の箏の琴の音は、いかにも、奏法を会得しているのであろうかと、聞くこともありますが、気をつけて指導することもなく、久しくなってしまっていますなあ。そのようなことで娘達が気儘に合奏する琵琶と箏は、管絃に合奏もしないから宇治の河波だけが調子を合わしているのでありましょう。管絃の時などの役に立つ程の調子なども、外の事も勿論、体得してはいまいと、私は思っております」
 と卑下して、
「弾いて差し上げなさい」
 と、別室にいる娘達に声を掛けるが、中君が、
「あの時、人が聞いているとは、思いも掛けなかった、独りで弾いていた琴を聞かれていたとは恥ずかしいことでありますから」
「その聞きなされたかも知れない人の前で改めて弾けば全く、見苦しいであろうことよ」
 尻込みして姫達は父親の言うことを聞かなかった。八宮は何回も弾くようにと言うのであるが、姉妹はそろって辞退して、それっきりで弾かずに終ってしまったから、薫はひどく残念に思った。八宮は、娘達が弾奏を断ったが、このような事が薫に、妙に世間並ではないようにみられ、娘達の暮している様子が、八宮は意外な事であると、薫に恥ずかしく思った。