私の読む「源氏物語」ー67-橋姫
薫は柏木の残した文などを受け取った恥ずかしいから、何げない風で受げ取って、内容を開いて見る事もなく、反故のような紙類を隠してしまった。薫はこのような世馴れた老人は、口が軽いので、無駄口で、世の中の不思議な例として、母三宮と柏木の秘密を言い出すであろうか、と気が重いのであるが、弁御許が何回も何回も他人に言い散らさないことを誓ったから、言わないであろうと、思うものの又その点で気が重くなるのである。
薫は八宮と共に炊いた飯や、蒸した飯などを馳走になる。食事の時に
「昨日は私は休日であった。今日は内裏の物忌もすんでしまったであろう。冷泉院の一宮姫は母親は弘徽殿女御であるが、体の工合が悪いそうで、御見舞に必ず参上しなければならないから、それやこれやで暇もないのです。この暇の無い時期を終えてから、山の紅葉の散らぬ内に、又、参りましょう」
と、八宮に挨拶しなさる。
「このように時々貴方が御越しになる御蔭で、寂しい山荘も何となく少し明るくなるような気がいたします、本当に嬉しいことです」
と薫に八宮は嬉しそうに答える。
薫は京に戻るとすぐに御許女房から貰った柏木の遺言や三宮と取り交わした文などを袋から出してみる。袋は唐国渡来の、模様を浮織にした綾(浮線綾)を縫って、「上」という文字を袋の上に書いてある。細い組紐で、口をしっかり結んだ結び目に、柏木の名を書いた紙で封がしてあった。組紐の結び目を紙に包んで、その包み紙の上に柏木が花押などを書いたのである。薫は袋を開けるのが何となく恐ろしかった。色紙の色々な紙に、時たま三宮に送った柏木の文への、三宮の返事が確かに五、六通あった。そうしてまあ、柏木の御手であろうか
「私の病は重く臨終間近になってしまった故に、少しの文をさし上げるような事は困難になってしまったから、貴女に逢いたく思う気持ちが一段と増してしまった。出家されて尼姿に変わられたと言うことを聞きあれやこれやと色々に悲しい」
というようなことを、陸奥紙の檀紙五、六枚に転々と鳥の足跡のように書いて、
目の前にこの世を背く君よりも
よそに別るる魂ぞ悲しき
(この世の憂さを、眼前にして、出家なされる君の悲しさよりも、君を、よそ(後)に残して別れて行く、私の魂が、一層、悲しいのである)
また端に追記のように、
「珍しく嬰児を誕生された事を聞きまして、嬉しい。幼児(薫)の事も、源氏の後見であるから心配する事はないけれども、
命あらばそれとも見まし人知れぬ
岩根にとめし松の生ひ末
(もしも、私に命があるならば、よそながらそれが自分の子であるとも、見たいものであるがなあ、既にこの世に残して置いた(岩根にとめし)子供(松)の成長して行く将来を)
力が弱ったのであろうか書きかけて止めたように、びっくりすほど乱雑に書いて表に「侍従の君に」と書いてある。柏木の遺品の文書類は、衣類や書籍の間にいる銀色の虫、紙魚 の住み家となって古黴の匂いがするが、筆の跡は消えないで、今書いたものと思われるような言葉の確かな筋の通っているのを読んで薫は、なる程、弁御許が「落ち散るやうもこそ」と言った通り、もしも、落ち散って人目についたならば一大事であったろうと薫は気がかりであり、両親(三宮と柏木)には、御気の毒な事である。だが、こんな事実は、この世に、またとあろうかと、薫は、自分の心また一つ悩みが増えた心地がして、参内しようと思うが立ち上がれなかった。母の三宮の前に出て行ったが、三宮は何事もなく若い姿で経を読んでおられるのを、薫に見られて恥ずかしいのか経を隠してしまった。
薫は、母三宮と柏木との秘密を自分は承知していると言うことを、母三宮は分かるはずがないと、自分の胸の中に納めて、一人で、あれやこれやと、若く見える母を見ながら考え込んでいた。(橋姫終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」ー67-橋姫 作家名:陽高慈雨