私の読む「源氏物語」ー67-橋姫
「いろいろと言葉をも歌をも言い交したことで、却ってこのように言い交さなければ良かったと思います、中途でお聞きできなかった御話のみならず演奏も、沢山ありますからその残りは、もう少し顔なじみになってからと言うことで、それはそれで、このようにあなた方から私を、女好きの世間並みの男ともてなされては、意外に物わかりの悪いお方達であると、あなた方が怨めしく思います」
と宿直が用意した西面の廊に近い簀子にきて川の様子を眺めていた。そこにいた薫の供が、
「網代で人が騒いでいますが、けれども、氷魚も、何も」
「取れなかったのではないでしょうか、漁師達の不満げな様子を」
供の喪は網代をよく知っているので、不漁を言う。船頭が粗末な舟に草を刈って積み、誰もが一日の仕事を始めて宇治川を上り下りすのを、頼りない水の上の生活を見て、思えば誰も同じ生活をしているのだ、これが世の中というものである。舟のように、私は水に浮かぶこともなく、玉のような立派な御殿に何一つ不安のない身の上であるという一生であるのか、そうではないなあと、薫は川を眺めながら考える、硯を持ってこさせて、姫君達に一筆送る、
橋姫の心を汲みて高瀬さす
棹のしづくに袖ぞ濡れぬる
(姫君達の御気持を汲んで(同情して)浅瀬に棹さす舟の棹の雫のような涙に、いかにも袖は濡れてしまった)
宇治の御住まいでは、物思いに御沈みなされるであろうなあ」
と昔の歌「さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(敷き物にただ一人衣を敷いて、今夜も私を待っているだろうか、宇治の橋姫は)を思い出して歌を宿直を通じて贈る。宿直は折からの寒さに鳥肌を立てて持って行った。大君からの返歌は、料紙に焚きしめた香などが、平凡で恥ずかしいものであるが、返歌はこの場合間を置かない方が良いと、
さしかへる宇治の河長朝夕の
しづくや袖を朽たし果つらむ
(棹をさして帰って行く宇治川の波守は、その棹の雫が、袖を朽ちさせてしまうのであろうか) 涙に、袖の朽ちるだけでなく、体までが浮いて漂う、不安定な境遇であります」
と、風情があるように書いてあった。この返事を読んで薫は、大君は欠点がなく、立派な女であると、もう少し歌を交わしたいと思うが、「お車の用意が出来ました」
と供の者が喧しく言うので、薫は宿直だけを一人呼び寄せて、
「宮がお帰りになれば又来ますから」
と言って濡れた衣装総てをこの宿直に脱いで与え、京の屋敷から持ってこさせた直衣に着替えた。
あの老女房、弁御許の言葉が帰京後も薫の頭に残り、何回も思い出しては考えるのである。
宇治の山荘の二人の姫は、薫は思ったよりも綺麗であり、二人揃っておうようなところは、影として目先にちらついて離れないので、世を背く覚悟の宇治行きもやっぱりまだ止められないと思い、姫達に文を送るのであった。内容は懸想文風でもなく、白い色紙で、厚手の料紙に、筆は濃淡を注意深く選択して、見た目に美しい書体で書いた。
「昨日は、不意のことで失礼いたしました。そのために言いたい事も止めましたので、そのことが胸にかかって苦しいものですから、昨日少しばかり申しあげました通り、これからは貴女方の御簾の前に私が気がねなく出られるように、御許し下さい。宮の山籠もりも何時までということを承け給って、鬱陶しい槙の尾山の霧のために、八宮にお目にかかれなかった憂欝さも晴らしましょう」
と文面には艶めいたことは一切書かず、あっさりとしたものを送った。右近将監を使いとして文を持たせて宇治に行かせた。
「あの老いた弁御許女房に渡すように」
と言って、あの宿直の者が昨日寒そうにしていたのを気の毒に思って、檜破子に入れた食べ物をあの男のために持って行かせた。その明くる日には、八宮が修行のために籠もっている山寺に使いを送った。山籠もりの僧達が、この晩秋の時節の嵐には、衣もなくて大層、心寂しく、困っているであろう。八宮が、参籠して山寺に御ありなされる七日の間の布施を、僧達に当然下されるであろうから、その足しに絹や綿などを多く贈り物をした。使いを送った日は八宮が行を終えて山寺を去る日であったので、八宮は
念仏会を勤めた僧達に、薫が贈った綿や絹を差し上げ、袈裟と衣など、八宮の用意した物を取り纏めて一揃いの物を山寺に住む僧全員に贈った。山荘の宿直であったは薫が脱ぎ捨てて与えた優美であり、立派な狩衣などと、何とも言いようもない白い綾織の下襲で、なよなよと軟かく、言いようもなく匂っていた衣裳を、宿直人は、着替えても、賎しい身が高貴な身に取り変わることはないので、似つかぬ着物からの香りが同僚達に色々と言われ、立派な物を戴いたことで、却って宿直人は仲間内で窮屈になった。宿直人は勝手に気楽な行動をする事もできず、人が気味悪がるほどの香りに、洗濯して香りを消してしまおうかと思うのであるが、高貴な方の贈り物であるから、其れも出来ずに困り果てていた。
薫は大君からの返書が大層立派で、ゆったりとした文章であるのを、見事な物であると見ていた。参籠から帰ってきた八宮にも薫の訪れたことを告げて女房達が薫からの文を見せると、
「それは良いことだ。大君がこの文を自分に対する恋文と考えるのは、薫に対して失礼ではないかなあ。薫はそこらの若者とは違って真面目な気性であるように私は思っているからねえ。だから、私が亡くなるような事があるならば、その以後も,御世話をと、私がかつてそれとなく頼んでしまったから、そのようなことから姫達を気にかけているのであろう」
と娘達に言うのである。
八宮は薫に、同封で、自分の参籠に対して数々の贈り物を山の寺にして頂いた礼を述べていたので、宇治に行こうと薫は思って、匂宮が、宇治のように奥まったような山里で、あの二人のような美しい女を見れば心を引かれるであろうと、簡単に匂宮に言って宇治の姫君を見に行くようにおだてあげて、匂宮の気持をいら立たせてやろうと、匂宮の処に出向いた。
お互いに世間話をしながらふと薫は思いだしたように宇治の八宮のことを薫は口にした。姫達二人が、暁の合奏や招月をしている姿を、自分が先日垣間見たことを詳しく匂宮に話すと、
匂宮は、そのようなことがと、想像していた。
思った通り匂宮は興味をそそられていると、薫は匂宮の様子を見て、更に一押し彼が興味を益々募らせるように語り続けた。匂宮は、
「それで、大君からあったとかいった返事は、何故私に見せてくれない、もし、私であれば御身に見せましょうのに」
作品名:私の読む「源氏物語」ー67-橋姫 作家名:陽高慈雨