私の読む「源氏物語」ー67-橋姫
仏間との仕切りは襖一枚である、姫達は生活しているのであろう。もしも薫が、女をたらし込むような気持ちであるならば簡単に上がり込んで、姫君達に言い寄ってみるであろうが、薫はただ姫君達を、柔和な点は乏しくても、それでも、さすがに風情がどうであろうかと、逢いたくもあり、垣間見るだけでも姫達の様子を見たいという心境であった。
然し薫の心は女色を絶つのが念願で八宮を尋ねる気持ちになったのであるから、その本意も忘れてしまい、女をものにしようと、好色めいた、いい加減の出まかせの言葉を調子よく口にすることは、この山奥にまで訪問してきた自分の意気込みに違えることであると、気を取り直して八宮にしみじみと、感服する立派な仏道修行を、丁寧に御見舞申しあげた。この後薫は度々八宮を訪問するようになった。
薫が思っていたとおりに、出家でない在俗の僧ではありながら、八宮は、宇治の山に寵り仏道の深い理論や経文の意味などを、偉ぶって知った顔せずにごく普通に薫に接して、詳しく薫に教えてくれた。聖僧らしい人や知識の深い法師などはこの世に沢山居られるけれども、接して固苦しく、親しみにくい高徳の僧都や僧正の階級の者は、加持の祈祷のと、全く暇がなく、愛想がないので、何か仏教の意味を質問して納得しようにも、手軽に行かなくて、薫は面倒に思っていた。そのような、学徳も階級もない、仏の僧で、戒律を保持していて尊敬出来る点はあるが、態度が下品で、言葉遣いもなまって濁り、風情も無さそうで、馴れ馴れしい態度で威厳がなく、人に教えるのも気乗りがしないで、機嫌が悪くて、日中は、薫も、朝廷の仕事で、いつも閑暇などがないので、落ちついて静かな夜分に、くつろいでいる自室などに来て貰って、法文などを語りあいするにも、招いた僧は戒律を守って尊さはあるものの、気難しいだけで、何となく打ち解けて話に気乗りしない事などが多いのだが、八宮と話していると気品があっで、いたわしい程、慎しい態度で話す言葉も、仏典の内容も理解し易い卑近な譬喩を交えて解説されるので、そんなに深くまでは勉学してはおられないとしても、大体、高貴な方は智慧もあるので、物の理解をする方法が一般の人より優れているので、薫は八宮と何回も話し合ううちにお互いの気心が分かり薫は、毎日でも御目にかかりたいのであるが、薫が公務多忙などで何日も会えないようなときは、八宮に会いたくてたまらなくなるのであった。
薫がこのように八宮を慕い、立派なお人であると冷泉院は聞くと、冷泉院も八宮に文を送るようになった。この何年間か世間からは全く忘れられた存在であった八宮は、侘びしい宇治の山荘にもやっと人が訪れるようになった。冷泉院からも時折、八宮へ御見舞の贈物などがあり、立派な品が使いの者が持って来た。薫も当然、御世話すべき事は始終色々と花や紅葉の折の歌にも、日常生活のことにも、衣服や米銭と、先ず第一に世話をして、三年ばかりの月日が経った。薫の二十歳から二十二歳までである。
九月の末の頃平素の念仏の外、四季に割りあてて、一季に七日ずつ行う念仏会で、この川は
丁度氷魚の季節なので、特別に今が騒がしく、静かでないからと、八宮は阿闍梨の住む寺に一時移って七日の法要を勧業した。八宮が不在であるので娘達は、淋しくて心細い、何もすることがない手持ちぶさたから物思いに耽っている頃、薫中将が、ひさしく宇治に行ってなかったと、八宮のことを思い、会いたくなって九月の末まだ有明の月が天に高い頃に京を出立し、しかも人目を忍ぶので、中将としての正規の供も少なくして、こっそりと旅の姿で山荘を訪れた。八宮の山荘はこちら京側であるから、舟で川を渡る面倒もなく、馬に乗って薫は宇治へ来た。山路にかかると辺りは霧がかかって道も見えない、木の茂っている中をかき分けるようにして進むと急に強い風が吹きつけ木の葉が吹き飛ばされて葉にたまった露が体にかかってくるのが冷たくて、自然に体が濡れてしまった。忍び歩きなどに馴れない薫は、何となく心細くもあり、露で濡れてしまった自分の姿が可笑しくて、
山おろしに耐へぬ木の葉の露よりも
あやなくもろきわが涙かな
(山おろしの風に堪えきれない、木の葉の露よりも、何のわけもなく落ちる脆い自分の涙であるなあ)
山里の木こりが目をさましては気の毒と、思って薫は先払いの供の随身に声を出さないようにと注意した。木こりの家の垣を分けて、進む方向の川でも小川でもない水の流れを、右に渡り左に渡りして水の流れを避けつつ馬の蹄で踏み荒して行く、その駒音がそれでも静かにと用心しているのであるが、薫の体からでる薫りが風の流れる方向に漂い、よい香がすると、目を覚ます家もあった。
八宮の山草に近づくにつれて、楽器の音とは分かるがそれが箏か琵琶かとも分からないが、寂しそうに聞こえてきた。八宮は娘達とよく楽器を弾いて合奏していなさると、阿闍梨から聞いていたが、薫はまだ聞く機会がなく、外の楽器の音は勿論、名手であると評判高い八宮の和琴の音もまだ聞いたことがなかった。 薫は良いときに訪れたことと、山荘にはいるとその楽の音は琵琶で、姉の大君が黄鐘調べで世間普通の奏法であるけれども、宇治という山家で聞く楽の音であるから、撥の音も清く聞こえ楽しそうである。妹の弾く箏の音も哀調があり、優雅な声で琵琶の音の合間に聞こえてくる。薫は暫くその合奏を聴いていたが、来客の気配を感じたのであろうか宿直の一見して頑固な男が出てきた。
「宮は只今山に籠もってお出でになります。ご来訪を山の方へお知らせいたしましょうか」
「申しあげるには及ばない。勧業は七日と決まっているから。私がこのようにびしょ濡れになってまで此方に参上したことを、宮にお逢いすることも出来ずに帰ることを姫君達にお知らせになり、姫君が、それはお気の毒なことと、おっしゃるだけで私の気持ちは慰められます」
と言うと宿直の男は醜い顔をにやりとさせて、「申して参りましょう」
「まあ一寸待て、もう少し此方によって」
薫は、
「最近私は人から聞いて、姫君達の絃楽器の音が見事であると。今は、丁度姫達が演奏しているので嬉しい機会であるなあ。それをもう少し聞いていたいから、隠れて暫く聞く事のできる場所がないであろうか、私が姫達が折角演奏してなさるのに私が突然、姫君達の御そばに、もしも、近づいて参るならば、演奏を中止なさることであろう、そんなことは残念なことである」
と宿直の男に言う薫の姿が、何の趣味も風流もない宿直人にも何となく有り難く思うのであろう、
「人が近くにいないときは何時もこのように楽器を弾いておられますが、都からのお使いの方がお見えになったときなどは、絶対に演奏などはされませぬ。八宮は多分このように姫達がこの山荘でご一緒されていることを隠しておられ、誰にも娘達がここにいることを言ってはならないと、仰せであります」
聞いて薫は笑いながら、
「宮はつまらないことをなさるものだ、どのように隠れてお出でになっても、姫君達の美しさは自然世に広まって、分かってしまうものであるのに」
と言って、
作品名:私の読む「源氏物語」ー67-橋姫 作家名:陽高慈雨