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私の読む「源氏物語」ー67-橋姫

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 春のうららかな日に、庭の池の鴛鴦や鴨などの水鳥が、羽を互に並べて、それぞれ囀る声などを、北方存命中のときは何とも思わなかった八宮であるが、今は水鳥たちが番として離れないのを見て羨ましく、姫達に琴を教えている。まだ体が小さいので姉妹それぞれが弾く音色は何となく哀れに見えて涙を流し、

うち捨ててつがひ去りにし水鳥の
     仮のこの世にたちおくれけむ
(雄を捨てて、雌雄の一対を離れ去ってしまった水鳥である雁の子(卵)─子供達は、どうしてこの世に取り残されたのであろうか)
 悲しみ悩む事であるよ。

 目の涙を拭くのである。八宮は容姿端麗の宮である。最近の仏道修行で少し痩せてはいるが、それでも特に、気品があり優雅で、忙しく姫君達を大切に世話をするのに、直衣の糊気が落ちてくにゃくにゃになつたのを着用して、格好付けるでもなく、崩れた姿は、見る人は、宮家が子のようにと畏れ入る風である、大君が硯を引き寄せて手習いをするように筆を硯の中でかき混ぜるのを、
「この紙に書きなされ、硯は、文殊菩薩の眼であるから「眼石」とも言う。その面に文字を書いてはいけません」
 と注意して紙を差し出す。大君は恥ずかしそうに歌を書くのである。

いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも
       憂き水鳥の契りをぞ知る
(どうしてこのように、私は成人するのであったぞと思うにつけても、母に死別したつらい我が身の不幸な宿縁を、いかにも知りまする)

 歌としてはあまり上出来ではないが、今の状況から考えると、しみじみと胸を打つ歌である。筆蹟はまだまだ未熟で、一字一字書いてあり、続けてはよう書けないのである。

「中君、あなたもお書きなさい」 
 と父宮に言われて中君も筆を執り大君より少し歳が下なので、長い時間をかけて書いた。

泣く泣くも羽うち着する君なくは
     われぞ巣守になりは果てまし
(泣きながら御育て下される、父君がないならば、我などは、孵化しない卵に、当然なったでしょう)

 零落れて着ているものもよれよれに萎んでしまっている姉妹の前には、仕えている女房の姿もなく、長い間することもなく退屈そうであるが、姉妹は所作や話し方も大変上品で、母親がないことが気の毒であるが、姉妹はそのことをどのように思っているのであろう。片手に経典を持って経を読み、また、二人で催馬楽などを唱歌 をしていた。姉の大君は琵琶を持ち、妹の中君は十三絃の琴である箏を、まだ幼いのであるが姉妹は常に合奏して練習をしているので演奏は下手で聴きにくいということもなく、楽しく聞くことが出来た。
 八宮は父の桐壺院にも、母親の女御にも早くに死に別れて、これと言って取り立てて八宮を後見してくれる人がなく、学問特に漢学を充分に教えてくれる者がなく、まして世の中を送る常識は殆ど知ることが出来なかった。高貴な人物としても八宮は呆れる程おっとりとしている女のような性格に育ってしまったので、昔からの伝来の宝物や、母女御方の祖父の大臣の遺産の財物や荘園など、色々と沢山あっったが、いつの間にか行く先も分らなく、うやむやに無くなってしまったので、現在では、手まわりの道具類だけが、家柄と言うだけに、きちんと揃って沢山あるのであった。しかし、訪れて八宮を援助しようという人はなかった。そのような訳で、暇に任せて雅楽寮で音曲を教えている師匠、を八宮邸に呼んで、学問の勉強などではなく、慰みごとの音楽に熱中して成人したから、その方面では優れた技量の持ち主であった。
 八宮は源氏とは腹違いの弟で、藤壺と源氏の子供であるが桐壺の子供として源氏とは腹違いの弟であった冷泉院がまだ春宮であった頃、朱雀院の母の弘徽殿太后が、春宮の冷泉院を廃して八宮を春宮にして源氏方の勢力を一掃しようと計画したが、当時須磨に流浪していた源氏が都に戻って勢力を復活したので彼女の陰謀は実現せず、残念なことに八宮は弘徽殿太后の反対側である源氏方との交際は絶縁されてしまったから、源氏の帰京、冷泉院即位の後は前よりももっと源氏方の御子孫になってしまっている世の中なので、八宮は、源氏とは兄弟であったものの夕霧の時代には全く交際もすることもなく、又北方と死別後はずっとまるで脱俗超塵の聖僧になったような、この世も今はもうこれ迄であると、考えて俗界との接触を断ってしまった。
 このような時に住んでいる屋敷が火災にあって総てを焼失してしまった。何事もなくても色々と悩むことが多いこの俗世界であるのに、火災までに遭ってしまうとは、八宮はがっかりし、しかも移り住む邸宅も適当なのが都の中にはないので都の南、宇治と言うところの山里に領地があってそこに移って住むことにした。この俗界からは離れた気持ちであったが、都を今日限りに離れると、思うと宮はとても悲しい気持ちであった。宇治にある山荘は宇治川の岸の辺で網代が仕掛けてありその音が宇治川の流れと共に響いてきて喧しく、念仏勧業を静かな雰囲気でしようにはとても適所ではないが、どうしようもないことである。岸部の花や紅葉、宇治川の流れにも、心を晴れ晴れさせる趣があるが、在京時代よりも、八宮は、じっと物思いに更けって川の流れを眺めているより他に何もすることがなかった。このように一日昔を思って暮らしているこのような山里にでも、つまがげんきでいてくれるならばなあ、と思わぬ日はなかった。
 
見し人も宿も煙になりにしを
     何とてわが身消え残りけむ
(かつて世話した北方も、長く住んでいた邸宅も、煙になってしまったのに、なんで、自分の身一つは消え残ったのであろうか)

 生きる甲斐がないと亡き妻を恋しく思うのである。
 このような山奥の山荘に尋ねてくる人はない。賎しい下々の百姓、田舎者らしい木こりなどだけが、時たま遠慮無く山荘に押しかけては、なにかと用をしてくれる。宮は峰の朝霧の如く、心の晴れる時がなくて「雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひ尽きせぬ世の中の憂さ」(雁が越えてくる峰の朝霧は晴れることがないが、私の心も少しも晴れず、もの思いに絶えることがないこの世の中の何と厭わしいことか)という古い人の歌を思い浮かべては、一日を送っていたが、
幸いにもこの宇治山に聖僧らしい、阿闍梨が住んでいるのを聞いた。

 この僧は学問が大層勝れて、世間からの帰依も、軽くないけれども、隠居をして殆ど朝廷の仏事の招請も出かることなく、宇治に籠もったままであるが、八宮の近くに住んでいて、宮が寂しい暮らしで、自身で念仏修行を始終勤めながら、仏法の経文の意味などを習得しているのを、阿闍梨はその宮の姿を仏法を学びなされると、尊敬して、毎日のように宮を尋ねてきた。この歳までに学んだことを更に深く阿闍梨は宮に教えられ、ますますこの現世が仮の世界で無意味な世であると八宮に教えるので、宮は
「この身は、どうしようもないことですが、心だけは私も極楽の蓮の台の上に、生れ変り、また、極楽の澄んでいる七宝の池にもきっと住むであろうけれども、御覧の通り幼い娘二人を、もしこの世に見捨てて置くとすれば、そのことが心配で、どうしても思い切って出家する事ができないのです」
 と罪障懺悔の気持で阿闍梨に隠すことなく思う事をすっかり話すのであった。