私の読む「源氏物語」ー67-橋姫
橋 姫
都で、源氏の孫に当たる明石中宮の子供の匂宮、源氏の正妻で柏木と密通した責任から出家した、源氏の兄の朱雀院の三女、女三宮の産んだ薫、この二人の話題が大きく広まっていた頃、世間からは忘れられた桐壺帝の子供がもう一人いた。朱雀や源氏の弟に当たる宮である。母親は大臣の娘で桐壺の女御であったが詳しいことは分からない。春宮にもなるというほどに世間の声望などが、あったのであるが、その頃須磨に逼塞していた源氏が、再び京に戻ってきて勢力が付いた頃であったので、桐壷帝の弘徽殿太后は、この宮、八宮を春宮に立てようとしたが、源氏の権勢に押されて、冷泉院が春宮となったという経緯があった。そのようなことでこの八宮は自身が何となく都に居づらくなり、なかなかの声望も、今や全く跡かたもなく、家司やその他、外戚関係の者達は、八宮に連れて栄達を夢見た希望が砕けてしまい、世の中の変わりを恨みながら、それぞれあれやこれや事情にかこつけて、相次いで宮家を去っていった。この宮は桐壷帝の第八皇子であるので八宮と呼ばれ、源氏の異母弟である。源氏がもしこの頃存命であれば、六十七歳ぐらい、十宮である冷泉院は四十九歳、だから八宮は五十歳代である。
そのようなことで八宮の許に残った人は僅かになり、春宮の件で親王方からは見離され、邸内には、頼りにする者が居なくなり、やがて世間からは忘れ去られたようである。正妻も昔の大臣の娘であった。しみじみと心寂しく、親の昔の大臣達は、かつて計画した将来は、春宮御息所から皇后にと昇るであろう娘の事情などが消え失せてしまったことなどを、正妻の北の方が思い浮かべると、自分のかっての希望とたとえようがない程ちがっているが、夫八宮との深い、夫婦の情愛が変わりないことだけが、この世での慰めと八宮と固い信頼で結び合っていた。
夫婦生活が長いし、お互いの契りも深いのであるが、子供が授からず、八宮は物足りなく思っていたのであるが、
「あるべき子が授からないとは、毎日の生活の潤いにどうかして、可愛らしい子供があればよいのになあ」
と毎夜の床で北の方を愛撫しながら語り、しっかりと結び合うのである。その願いが叶ったのか、やがて美しい姫を授かった。大君と呼び八宮はそれは大事に育てた、が又次の子供が授かり、今度は男の子をと、八宮は願うのであるが、前と同じでお産は軽かったのであるが、産後の様子がひどくそれが原因で北の方は亡くなってしまった。八宮はどうして良いのか頭の中が混乱してしまい、あきれるほどだ。途方にくれる。彼は、この世を過ごして行くにつけて、外へ顔出しもできないような工合が悪く、我慢し切れない事が、沢山あるけれども、亡くなった北方の素振りや気だてを、この世に生きる手だてとよき伴侶としてきた。ところがこのように一人生き残って、この世の恐怖を感じている。まだ子供の姫達を私一人で育てることは、親王の身分で姫君達を、下々のようにいい加減には育てるわけにはいかないし、もし姫を充分に養育するには手元にある財力ではとても無理なことである。などと考え、自分は、このような俗世界を離れて出家をしたいのであるが、姫二人を頼む人もないので、二人を残していくわけにも行かずと、色々と思い悩みながら何年かを過ごす。姫達は八宮や北方に似たのか段々と立派に成人し容姿が可愛らしく、理想的に成長したのを八宮は毎日楽しみに姫達の成長ぶりを見て過ごしていた。特に妹の中君を側に使える人達は、
「いやもう本当に」
「母君と命を引き替えて、縁起の悪い産まれ方をなさったものである」
とぶつぶつ言いながら心を込めて面倒を見なかったにもかかわらず、母親の北方が、死に際に何も分からない赤子である中君を、特に気の毒と思って、
「この中君を私の形見と思って大事に育ててください」
と一言だけ遺言して亡くなられたので、八宮は夫婦の縁や、中君誕生と命を引き替えて死んだ北方を考えると、自分の気持ちは情なく恨めしいけれども、夫婦仲の短かった事も当然、どうも死別する運命であったのであろうと思い、又中君を早くも母なしにすることを心配していることであると、特に二人ある姫の妹の中君を大変可愛がって育てた。
中君はその姿は大変美しく成長し、姉の大君は心の穏やかな気だてが落ちついて深みがあり、容姿も態度も上品で気品があって、いかにも、奥ゆかしい姫に育った。大君はいじらしく、高貴な点は中君に勝っているので、八宮は、大君と中君のどちらも,大切に思って養育するのであるが、家の経済状態が思わしくなく、年月が経つに従って邸内の家宝や高価な調度品が次第になくなっていった。八宮に仕える家司や小者、下働き達は、この宮邸内が段々と淋しくなりこれ以上手当も下さらないと思い、次々に八宮邸を去っていった。中君の乳母もこのような中ではよい人を選ぶことが出来ず、奉公人の、賎しい身の程の思慮浅い考えから、中君の幼少な時であるのに見捨てて屋敷を去っていったので、八宮自身が育てることになった。
荒れているが広い宮の庭、池や築山の風景は昔の儘であるが、その辺りは草が生え繁り荒れに荒れてしまっているのを八宮はぼんやりと眺めていた。家司 や宮家の事務をする人もいなくなって庭を整備する人もないままに草は青々と茂り、軒に茂るしのぶ草がのびのびと垂れ下がっている。四季折々のために植えた草花や紅葉に色を染めるのを八宮と妻とが同じ気持ちで眺めて淋しい生活を慰め合っていたのであるが、妻亡き今は、すごく寂しさを感じる。頼りにと寄りかかろうとしても今は何もないので、宮は、持仏堂の持仏の飾りつけだけを、仕事として、明けても暮れても経を念誦しているのであった。姫達が足手まといになって関わっている間は、出家することも出来ず残念である、と思い。この際後妻を娶ろうか、今更そんなことをしても、まだそのような歳でもないのに男女の仲などを思うのを放ってしまって、自分は俗世に生活するが、心だけは聖僧の境地になり、北方の亡くなってしまった後、後妻を求めようとする男の色欲なんかは、冗談にでも思い出すようなことはなかった。
「どうしていつまでも、独り身でおられるのであろうか、死別の悲しみは、普通の悲しみとは違うのであろうかと、思わずにはおられないようであるけれども」
「生き長らえて年月が経過すれば死別の悲しみは段々と薄れていくものであるが、ここは八宮も世間の人と同じように色々考えた上で後添いを迎えられるのがよい」
「本当にこのような見苦しい元気のない宮の中も、新たに北の方を迎えることによって活気が出てくるものであろう」
と側近は意見を申して、八宮に、何とかして再婚を適当に進めるのであるが、候補に挙がる姫も縁故関係を手がかりにして沢山あるけれども、八宮は耳を貸さなかった。このようにして念誦の合間には二人の姫と遊び、姫達それぞれ少し大きくなって、琴・碁・偏つぎなどなんと言うこともない遊びを教えて遊び、そのうち姫達は物事に巧みになり、思慮も深く、態度も沈着でどっしりと見えるようになった。中君は、
大ようでおっとりとし、可愛らしく、遠慮勝ちに控えめにしている態度は清純で、姉と妹の特徴は、それぞれ色々である。
都で、源氏の孫に当たる明石中宮の子供の匂宮、源氏の正妻で柏木と密通した責任から出家した、源氏の兄の朱雀院の三女、女三宮の産んだ薫、この二人の話題が大きく広まっていた頃、世間からは忘れられた桐壺帝の子供がもう一人いた。朱雀や源氏の弟に当たる宮である。母親は大臣の娘で桐壺の女御であったが詳しいことは分からない。春宮にもなるというほどに世間の声望などが、あったのであるが、その頃須磨に逼塞していた源氏が、再び京に戻ってきて勢力が付いた頃であったので、桐壷帝の弘徽殿太后は、この宮、八宮を春宮に立てようとしたが、源氏の権勢に押されて、冷泉院が春宮となったという経緯があった。そのようなことでこの八宮は自身が何となく都に居づらくなり、なかなかの声望も、今や全く跡かたもなく、家司やその他、外戚関係の者達は、八宮に連れて栄達を夢見た希望が砕けてしまい、世の中の変わりを恨みながら、それぞれあれやこれや事情にかこつけて、相次いで宮家を去っていった。この宮は桐壷帝の第八皇子であるので八宮と呼ばれ、源氏の異母弟である。源氏がもしこの頃存命であれば、六十七歳ぐらい、十宮である冷泉院は四十九歳、だから八宮は五十歳代である。
そのようなことで八宮の許に残った人は僅かになり、春宮の件で親王方からは見離され、邸内には、頼りにする者が居なくなり、やがて世間からは忘れ去られたようである。正妻も昔の大臣の娘であった。しみじみと心寂しく、親の昔の大臣達は、かつて計画した将来は、春宮御息所から皇后にと昇るであろう娘の事情などが消え失せてしまったことなどを、正妻の北の方が思い浮かべると、自分のかっての希望とたとえようがない程ちがっているが、夫八宮との深い、夫婦の情愛が変わりないことだけが、この世での慰めと八宮と固い信頼で結び合っていた。
夫婦生活が長いし、お互いの契りも深いのであるが、子供が授からず、八宮は物足りなく思っていたのであるが、
「あるべき子が授からないとは、毎日の生活の潤いにどうかして、可愛らしい子供があればよいのになあ」
と毎夜の床で北の方を愛撫しながら語り、しっかりと結び合うのである。その願いが叶ったのか、やがて美しい姫を授かった。大君と呼び八宮はそれは大事に育てた、が又次の子供が授かり、今度は男の子をと、八宮は願うのであるが、前と同じでお産は軽かったのであるが、産後の様子がひどくそれが原因で北の方は亡くなってしまった。八宮はどうして良いのか頭の中が混乱してしまい、あきれるほどだ。途方にくれる。彼は、この世を過ごして行くにつけて、外へ顔出しもできないような工合が悪く、我慢し切れない事が、沢山あるけれども、亡くなった北方の素振りや気だてを、この世に生きる手だてとよき伴侶としてきた。ところがこのように一人生き残って、この世の恐怖を感じている。まだ子供の姫達を私一人で育てることは、親王の身分で姫君達を、下々のようにいい加減には育てるわけにはいかないし、もし姫を充分に養育するには手元にある財力ではとても無理なことである。などと考え、自分は、このような俗世界を離れて出家をしたいのであるが、姫二人を頼む人もないので、二人を残していくわけにも行かずと、色々と思い悩みながら何年かを過ごす。姫達は八宮や北方に似たのか段々と立派に成人し容姿が可愛らしく、理想的に成長したのを八宮は毎日楽しみに姫達の成長ぶりを見て過ごしていた。特に妹の中君を側に使える人達は、
「いやもう本当に」
「母君と命を引き替えて、縁起の悪い産まれ方をなさったものである」
とぶつぶつ言いながら心を込めて面倒を見なかったにもかかわらず、母親の北方が、死に際に何も分からない赤子である中君を、特に気の毒と思って、
「この中君を私の形見と思って大事に育ててください」
と一言だけ遺言して亡くなられたので、八宮は夫婦の縁や、中君誕生と命を引き替えて死んだ北方を考えると、自分の気持ちは情なく恨めしいけれども、夫婦仲の短かった事も当然、どうも死別する運命であったのであろうと思い、又中君を早くも母なしにすることを心配していることであると、特に二人ある姫の妹の中君を大変可愛がって育てた。
中君はその姿は大変美しく成長し、姉の大君は心の穏やかな気だてが落ちついて深みがあり、容姿も態度も上品で気品があって、いかにも、奥ゆかしい姫に育った。大君はいじらしく、高貴な点は中君に勝っているので、八宮は、大君と中君のどちらも,大切に思って養育するのであるが、家の経済状態が思わしくなく、年月が経つに従って邸内の家宝や高価な調度品が次第になくなっていった。八宮に仕える家司や小者、下働き達は、この宮邸内が段々と淋しくなりこれ以上手当も下さらないと思い、次々に八宮邸を去っていった。中君の乳母もこのような中ではよい人を選ぶことが出来ず、奉公人の、賎しい身の程の思慮浅い考えから、中君の幼少な時であるのに見捨てて屋敷を去っていったので、八宮自身が育てることになった。
荒れているが広い宮の庭、池や築山の風景は昔の儘であるが、その辺りは草が生え繁り荒れに荒れてしまっているのを八宮はぼんやりと眺めていた。家司 や宮家の事務をする人もいなくなって庭を整備する人もないままに草は青々と茂り、軒に茂るしのぶ草がのびのびと垂れ下がっている。四季折々のために植えた草花や紅葉に色を染めるのを八宮と妻とが同じ気持ちで眺めて淋しい生活を慰め合っていたのであるが、妻亡き今は、すごく寂しさを感じる。頼りにと寄りかかろうとしても今は何もないので、宮は、持仏堂の持仏の飾りつけだけを、仕事として、明けても暮れても経を念誦しているのであった。姫達が足手まといになって関わっている間は、出家することも出来ず残念である、と思い。この際後妻を娶ろうか、今更そんなことをしても、まだそのような歳でもないのに男女の仲などを思うのを放ってしまって、自分は俗世に生活するが、心だけは聖僧の境地になり、北方の亡くなってしまった後、後妻を求めようとする男の色欲なんかは、冗談にでも思い出すようなことはなかった。
「どうしていつまでも、独り身でおられるのであろうか、死別の悲しみは、普通の悲しみとは違うのであろうかと、思わずにはおられないようであるけれども」
「生き長らえて年月が経過すれば死別の悲しみは段々と薄れていくものであるが、ここは八宮も世間の人と同じように色々考えた上で後添いを迎えられるのがよい」
「本当にこのような見苦しい元気のない宮の中も、新たに北の方を迎えることによって活気が出てくるものであろう」
と側近は意見を申して、八宮に、何とかして再婚を適当に進めるのであるが、候補に挙がる姫も縁故関係を手がかりにして沢山あるけれども、八宮は耳を貸さなかった。このようにして念誦の合間には二人の姫と遊び、姫達それぞれ少し大きくなって、琴・碁・偏つぎなどなんと言うこともない遊びを教えて遊び、そのうち姫達は物事に巧みになり、思慮も深く、態度も沈着でどっしりと見えるようになった。中君は、
大ようでおっとりとし、可愛らしく、遠慮勝ちに控えめにしている態度は清純で、姉と妹の特徴は、それぞれ色々である。
作品名:私の読む「源氏物語」ー67-橋姫 作家名:陽高慈雨