私の読む「源氏物語」ー66-竹河-2
と御話しなされると、御息所(大君)方の中将御許など女房達は、お可愛そうに、と言う者があった。
「闇の夜は、あやめも分らなくて、美しい御姿は見えないで香だけは隠れませぬが」
「御姿の、月影に引き立てられた所は少将より、少し違っていますね。皆がそう言ってます」
蔵人少将などのことは言わないで薫のことを、女房達は慰め、そうして御簾の内から、
竹河のその夜のことは思ひ出づや
しのぶばかりの節はなけれど
(去年の正月玉鬘邸で竹河を謡われたその夜の事を、貴方も思い出しますか、思出となる程の事はありませぬけれども)
と詠う者がある。これといった歌ではないが、薫は聞いてみると何となく涙が出そうで、大君への思慕は、思い出せば本当に浅くはないと、薫は思い知るのである。
流れての頼めむなしき竹河に
世は憂きものと思ひ知りにき
(生き長らえての、将来の期待も駄目である、この世は情なくつらい物と、思い知らされました)
何となく力を落とす薫を見て、女房達は気の毒に思うのである。そうではあるが、薫は、身を打ち込んで、蔵人少将のようには、恋に悩まなかったけれども、悩まないとは言うものの、さすがに、女房達には大君のせいで気の毒に見えたのであろう。
「言い出さなくてもよいのに、問わず語りなどして困る事もあります。ここらで失礼します」 と言って帰りかける時冷泉院が
「此方へ入って」
と大君の許へ来るように言うので、薫は礼儀がないような気もするが、言われたとおり院の傍らに参上する。冷泉院は、
「亡くなられた源氏様の踏歌のあった翌朝に、女の方が集まって演奏会をされましたのが大変印象的でした、と右大臣の夕霧が言っておられた。ところが、どのようなことでも、源氏のような方の後継ぎとなる事のできる人物は、今の世ではいないようである。男だけでなく、音楽に上手な婦人までが、六条院には、大勢集っていて、ちょっとした何でもない演奏でも、どんなにか昔は良かったことか」
と、昔を思い出して、冷泉院は琴をとりだして調子を整え、箏は大君、琵琶は薫に渡し自分は和琴を弾いて、
この殿は 宜も 宜も富みけり 三枝の あはれ 三枝の はれ 三枝の 三つば四つばの中に 殿づくりせりや 殿づくりせりや
を謡いだして、その後色々と踏歌の歌を演奏した。
大君は昔玉鬘邸時代の演奏は、まだ未熟な点があったのに、今では冷泉院の教え方が上手であるのか、現代風の華やかさで、爪音も良く、歌のついている歌の物と、歌がつかなくて曲だけの物など大君は上手に演奏していた。どのようなことにも大君は人に後れを取るような女ではない。それはそれとして容貌は、綺麗であろうと、薫はやはり大君に心が行く。
このように薫は大君と接することが多いのであるが、薫は、御息所である大君に親しくなり過ぎて心を乱れるようなことはなく、馴れ馴れしくしたりなどして、御息所に恨みがましい事は言わないけれども、機会ある毎に、御息所を思う心がかなわなかつた悲しみをそれとなくことばのなかにいれているのを、彼女はどう感じていたのであろうか、筆者は分からない。
四月、卯月に玉鬘邸で大君は女の子を出産した。冷泉院と帝から退位されているので派手なお祝いはなかったが、冷泉院の喜ぶことから、夕霧始め出産祝いを贈る人が多かった。祖母になった玉鬘は孫の姫を抱いて可愛がるのを、大君は、院の御所に早く帰ってくるようにと、冷泉院から催促があるから、五十日ばかり里邸にいて院へ帰っていった。弘徽殿女御に姫が一人あるが、この大君腹の姫宮は大変美しいと、冷泉院は大変嬉しかった。そのような訳で冷泉院は大君の許を離れない。弘徽殿女御付きの女房達は、
「全く、こんな玉鬘の姉の弘徽殿女御おられるところに、その姪の院参などが、あるべきことでは無い世であるのに。」
その上姫を出産するとはと、平静でない気持ちで言う者あり、口に出さないが心に思っている者ありと大君を良く思っていなかった。弘徽殿女御・大君本人達二人の気持ちは、軽率に仲違いするようなことはないけれども、両人に仕える女房の中には、お互いに意地悪な行動が始終あって、玉鬘の長男の左近中将は年はまだ若いが兄弟姉妹の長男であるので、人情も少しは理解しているから、かつて大君の院参に、母玉鬘に院参反対の意見を申したことが、現実になり的中するので、玉鬘も、
「無闇やたらに、弘徽殿女御の女房達が、こんな風に、穏かならず言い張って、その結果はどのようになるのであろう、大君は人から笑いものにされ、中途半端な扱いを受けるのであろうか、冷泉院の大君への御寵遇は浅くないけれども、長い年月、冷泉院に仕えている秋好中宮や弘徽殿女御などが、大君を悪く思って見捨てなされるようなことがあれば、大君の立場は苦しくなるであろう」
と考える、更に、
「帝には大君の院参を快く思っては居られないが、妹の中君の入内を度々催促してこられる」
と人から玉鬘は聞くのであるが、中君を入内させることは、また、明石中宮などとの関係が面白くない事も起るかと思い、面倒なことになるとうるさいので、一般の女官として、帝の許に仕えさせようと、今もって玉鬘は尚侍の身分であるので、その位を中君に譲ろうと帝に申しあげた。尚侍はなかなか朝廷では難しい職であるので、玉鬘は歳も取ったことだし以前から辞任しようと考えていたけれども、適任者がそういるものでない職であるから、辞職することが出来ずにいたのであったが、帝は故鬚黒大臣が娘を入内させたいと考えていた気持を察して、昔の例などを引き出し参考にして玉鬘の辞職を認め娘中君の尚侍就任を決められた。中君が尚侍に就任できたのも母親の縁であろうが、玉鬘は前々から辞職のことを願い出たのであったが、なかなか許可が下りない程の重要な地位であるということである。
玉鬘はこれで中君は内裏で気持ちよく働けると、安堵するが、大君そして今は中君と嫁に迎えたい蔵人少将が気の毒で、彼のことを母親の雲井雁がかつて玉鬘に頼みになったことであるが、その時何となく蔵人が期待を持つような返事をしたのに、中君の宮仕を決めてしまって雲井雁はどう思うであろうか、と玉鬘は考えがまとまらず悩むのであった。そこで右中弁の二番目の息子を使いにして、決して自分の方から願い出たことではないと、悪意のないように夕霧の許へ送った。玉鬘の口上は、
「帝より中君を尚侍にとの仰せがありましたので、姉は院参、妹は尚侍と、なんと宮仕えが好きな家であると、世間から悪い評判を受けることになりますでしょうと、どのようにすればよいかと迷っております」
夕霧は、
「帝が大君を院参させたことに気分を害されたことは尤もなことであると、私は思っています。また、尚侍としての宮仕に付いても貴女のように、鬚黒の北方であると言うことで、実際に内裏に出仕しないということも、あってはならない事である。急いで妹中君の出仕をなさるように」
と中弁に返事をする。
作品名:私の読む「源氏物語」ー66-竹河-2 作家名:陽高慈雨