私の読む「源氏物語」ー66-竹河-2
冷泉院には夕霧達は前から参上していたのであるが、大君が院参して以後は、蔵人少将はの参上はなかったし、たまに、冷泉院に来て殿上の方にいて院内を見回しては見るが面白くなくやるせないので逃げるように下がってしまった 内裏では帝が亡き鬚黒大臣の娘大君を、内裏へ上げるようにと熱心に希望しておられたが、このように大君が院参で、帝の気持ちを違えた宮仕に、どうした理由かと、大君の兄の左近中将を召し出し尋ねるのである。
「帝のお怒りは普通ではないそうであるからこそ、大君の院参は、世間の人も不審に思うに相違ない事であると、私はかねがね注意していたことでありますのに、それを母君はお考えが私と違って、このように院参と言うことに決定なされてしまったから、私は何も母上に申しあげる言葉がなく、だまっておりまするけれども、帝がこのようにお怒りになれば、私達兄弟の身の上に面白くないことが起こるやも知れませぬ」
と、非常に不快であると、玉鬘に非難の言葉を言う。
「いや、それはわからない。院参のことをこのように急に進めようとは、私も思ってもいなかったことです。冷泉院から、無理やりに仰せなされたから、父もなくて後見をする者のがなくての内裏入内は中途半端なことであるから、、冷泉院は帝を離れてお気楽にお過ごしであるので、院に身柄をお任せしようと、考えたからですよ。もし不都合な事と、その時には誰も仰せになることがなかったのに、院参も済んだ今になって、急に態度を変えて、夕霧までも院参は間違っているように、私に面と向って言うのであるから、私は本当に困ってしまいました。こうなるのも、当然、そうなるべき、宿命であったのでしょう」
と、穏便に言って、玉鬘は一向に気にしてはいなかった。
「その宿命で仕方がないということは目に見えないことであるので、帝が考えられまた、仰せになる所望の希望に対して、この婚姻は、御縁が無い事であると、御断りのできる事ですか、とても出来ないことです」
兄の左近中将に続いて中弁の弟は、
「明石中宮に遠慮をして帝を避けるとしても、冷泉院には弘徽殿女御がお出でになります、母上の姉君です、避けられないではありませんか。
「大君の後見だの、何だのと言って、弘徽殿女御と、今のうちから、互に信頼しあっているとしても、何時までも、そんな事はまあ、続かないと思いますよ。まあよいでしょう、私はこの後のことを、見たり聞いたり致しましょう」
「考えてみると内裏には明石中宮がおられます。帝のお気持ちは明石中宮お一人に、ですから新規の女御の参内が今はありませんがそのうちに参内される方がありましょう。この女達の交際が昔から興味を持って見られていることです」
「弘徽殿女御は、ちょっとした事の手違いで、大君を、不快に思って仲が悪くなれば、その時はこれは女御の嫉妬からだと、世間は思うでしょう」
と兄弟が揃って言うので玉鬘は困ってしまった。とはいうものの、冷泉院の大君に対する限りない愛情は閨の営みが日を追って細やかになり、大君も誰の血を引いたのか院との交わりが楽しく、幽玄の世界に舞う自分を院から戴いたものと二人で交わす閨の営みが楽しかった。そのようなことから、七月にはいって大君の妊娠が分かった。そのためいくらか面痩せした綺麗な姿は、院の女御になった今でも、男達が大君を我がものにしようと懸想するのは道理であると思われた。
冷泉院は毎日のように管弦の催しをして、薫を近くに呼び寄せるので大君の琴の音を御簾ごしに聞くのである、又はかつて薫が蔵人少将と玉鬘邸の庭で謡った「梅が枝」に調子を合わせて弾いた、中将御許の和琴も、ここ冷泉院でも殿の院が常に召し出して演奏させるので、大君の琴、中将御許の和琴両方を聞いていると、大君が恋しくて、薫の心は平静ではなかった。
年が明けて正月十四日、 内裏に男踏歌が行われるのであった。薫は十七歳になる。 男踏歌は隔年に、四位以下の人達が、催馬楽を謡って内裏を始め院や貴人の邸を廻る行事である。殿上人の若い人には歌舞や音曲に巧みな者が多くいた。その中から帝が特に優れているという者を選んで、四位の侍従である薫を右の歌頭に指名した。歌頭は音頭を取る役で右は、右近中将が勤める。薫は右近中将に任官していた。夕霧の息子の蔵人少将は踏歌の人数の中に選ばれていた。踏歌の人は祝言を謡って舞って廻るので楽人も言われている。
踏歌の列は正月十四日、月が曇りのない天に輝く中、帝の前で踊ってから内裏を出て先ず冷泉院を訪問する、弘徽殿女御も、妊娠してからは御息所と呼ばれている大君も、冷泉院の御殿に、席を設けて踏歌を見物する。上達部や親王達も冷泉院と共に参観する。しかし、右大臣の夕霧・致仕大臣の一族を別にして、きらきらと光り輝くような端麗で立派そうな人は源氏亡き後は居ない世の中であった。帝の前よりこの冷泉院が諸芸に通じて堪能であるから、その人の前で見せる芸は恥ずかしくて色々と気にしている中で、蔵人の少将はひょっとしたらあの大君が見ているのではないかと、そわそわして落ち着かない。味も素っ気もない綿花を頭に付けて、付けている人間性で良くも悪くも見られて、舞い姿も歌う声もそれ相応に見られていることであろうと思い、「竹河」を謡って、院の御所の東西と南面の階段のそばに、拍子に合わせて歩調高く舞踏して近づく時、過ぎてしまったあの時。玉鬘邸で薫や若かったが藤侍従と共に玉鬘・大君や女房達の御簾の前で謡ったことを思い出すと、思いあまって舞や歌を間違えるようであった。踏歌が秋好中宮の屋敷に向かうと、冷泉院も秋好中宮の方へ来て観覧する。月は夜が更けると共に明るさは昼間よりも恥ずかしいほど澄み渡って地上を照らすので、蔵人少将は、大君は、どのように自分の踊る姿を見ているのであろうとばかり思うので、足が地につかなくて、舞踏も拍子も身に入らず、蔵人少将は、よろめき歩き、そうして、盃も、少将の恋の一件を知っている人が、少将一人だけを目ざして酔わせてやろうと、強いられるのは、少将もいかにも、きまりが悪いのである。
夜通し踏歌で所々では走るように早く踊るので気持ちが悪く苦しくて、薫は横になったところへ、冷泉院からお呼び出しがあったが、
「ああこんなに苦しいのに呼び出しとは」
と文句を言いながら、薫は冷泉院の前に伺候した。院は自分の前で踊ったり歌った踏歌のことを薫に聞いた。
「歌頭という者は、歳を取った人が、いつもは務める役であるのに、今回はお前のような若い者が選ばれて大変だったであろう」
といって、薫を立派で可愛いと思っておられた。冷泉院は踏歌の「万春楽」を口ずさみながら御息所と今は呼ばれている大君女御の許へと行くので薫もそれに従って行った。大君方には女房達の里の者達が大勢招かれて踏歌見物に参上して、例年よりも賑やかで何となく現代風である。薫は渡り廊下の入口辺に暫く佇んでいて、知り合いの女房と、
「昨夜の踏歌の夜、月の光は明る過ぎてきまりの悪かった事よ。蔵人少将などは月の光に恥ずかしそうにまぶしがっておった様子も、実は、月光に恥ずかしがっているのではない御息所に恥ずかしがっているのであったであろう。だから、内裏の中での舞は、蔵人少将はそんな恥ずかしそうに見えなかった」
作品名:私の読む「源氏物語」ー66-竹河-2 作家名:陽高慈雨