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私の読む「源氏物語」ー65-竹河

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「薫様の筆蹟は何かこう風味のある柔らかい書体でありますね、どのような前世の因縁をもってお生まれになったのであろうか、まだ御若い今からこのような何事も整っておいでであるお方であるから。幼くして父上の源氏様とお別れになり、出家された母の三宮はあまりしまりもなく、御育てなされたけれども、それでも人には優れたものがあるのですねえ」
 といって、自分の子供達の書がまずいことを恥じて戒めていた。薫への返事は大変若々しく
「昨夜はいかにも早い御帰りを、こちらの人連は皆、非難し申すようでござりました。

竹河の橋うちいでし一節に
     深き心の底は知りきや
(貴方様は、昨夜は、竹河を謡っただけで、夜を更かすまいと、急いで御帰りなされたことは、もし、深い心の底を知ったかと仰せられるのならば私達は、その深い心に関して、どんな点を考えて置いたらよいのでござりましょうかなあ)

 実際薫は、差し出した文に「一ふしに深き心」と言ったが、なる程その通り、この「一ふしに深き心」の歌を、糸口として玉鬘の娘の大君に恋心を訴えたのであった。夕霧の子供の蔵人少将が、かつて推量した事もはつきりとして、誰もが薫に好意を持っていた。玉鬘の子供の藤侍従も若いから、薫と親近な間柄になって明け暮れ共に行動したいと思うのである。
 三月弥生になって、咲く花もあれば散りゆく桜もあるが、一応満開の状態の中で、来邸もなくのんびりとした玉鬘邸で、野暮な用事で気分を害することもなく、端近に桜を眺めていても、人に見られるからと、軽率な態度であるという非難もあるまいと思うようである。玉鬘の娘は十八九歳ぐらいであろうか、姿形や性格は姉妹それぞれ違いがあるが、姉君の大君は、容貌がはっきりとして、気品高く、花やかで快活な様子は、入内の志望通り只の臣下に嫁入るとすれば、それは、本当に不似合に見られる。桜襲(表は白、裏は、やや黒味のある赤即ち葡萄色)の細長を上に着て、その下に冬から春にかけて着る山吹襲(表は朽葉、裏は黄色)の小袿の、季節に合った色合で、けばけばしくない程度に重なっている、上からその裾まで、可愛さが溢れ落ちているようである、その上に身の御持てなしの態度なども、物馴れて巧者で、その上見る人のじっと見ていることが出来ないほどの美しさが姿全体から醸し出されていた。妹の中君は正月・二月・三月の間、若年の者が着用する表は紅裏は紫の薄紅梅襲の小袿を着て、髪は、つやっやとうるわしく筋が通り、柳の糸のようでしなやかに、すらりと身長が高くて、優美で物静かな落ちついた様子をして、重々しく、思慮深い様子は姉の大君よりも優れた女に見えるのであるが、それでも大君の血色のつやっやとして綺麗な様子は、やはり大君が優れていると、女房などは見ていた。姉妹が碁を打つと言って差し向かいに座っていると、髪の工合や髪の肩に垂れかかっている様子などもなかなか見所のある美しさである。姫君達の弟の藤侍従が、審判というので二人の側近くに座った。玉鬘の長男なる左近中将と次男なる右中弁の二人が脇から碁をのぞき見して、
「侍従の信望は、姫君達に、この上もなく厚くなってしまったものだ」
 中弁が、
「碁の審判を侍従は許されたのだからなあ」
 と言って二人は落ちつきすました様子で、そこに脆いていると、その場に居合わす姫達のお付きの女房達が、左近中将と右中弁が観戦しているので、何とかかとか居ずまいが正しくなる。 中将が、
「宮中奉公が忙しくなった間に、姫君たちの相手をしなかったので、姫君達の信頼は弟に負けてしまったなあ」
「弁官は、中将などにも増して、公務が忙しく、姫君達への相手は全然出来なくなったが、兄弟姉妹ではありませんか」
 横で二人がそれぞれ勝手なことを言うので、姫達が碁打ちを中止して、恥ずかしそうにしている様子は、本当に風情があって綺麗である。 中将は、
「内裏内で私は、父上鬚黒が存命であれば本当に嬉しい、と思うようなことが度々ありますよ」 と姫達が入内することを思うと、涙ぐんで妹たちを見つめていた。中将は二十七八になり思慮分別もよく備わっているので姫達はこの兄を見て、どうしても、父鬚黒が生前に計画なされた姫君の入内の意思を、適えたい、と思っていた。前の庭の桜の木から美しい枝を女房に折らせて、
「どれに比べてもこれは綺麗ね」
 とか言いながら、中君と見ているのを、
「貴女達が小さい頃に、この花は私の物よと、喧嘩しているのを、父上は大君の物であるよと、決めなされた。母上は、中君の物と決められ、私も、当時は子供であったので、貴女達ほどには泣き騒がないけれども、私の木なのにと、全く不平に思わずにはいられなかったよねえ」
 と言い、
「この桜も老木になったので、私も自分の歳を思わずにいられない。思えば父を始めとして多くの人に死に別れて自分の憂えを語り出せば、気になることがありますね」
 泣き笑いで母の玉鬘に言って、平素よりも、玉鬘の邸にゆっくりしていた。中将は嫁を取って自邸には落ち着いていることが少ないのであるが、今日は桜に気を取られてゆっくりとしていた。
 玉鬘はこの中将のような大きくなった子供があるようには見えないほど若く、清楚で、今もなお若い盛りであると、人には見えた。冷泉院の帝は、玉鬘の容姿が、今でもやっぱり見たく、心を引かれ、自然、昔の自分の恋心が思い出されるものであるから、何か理由を付けて側に侍らそうと、玉鬘の娘大君の出仕を玉鬘に強引に申しつけるのであった。

 院の希望を息子達に相談すると、中将は、
「やっばり、冷泉院への宮仕は、院は退位されたから御在位中でもないから、宮仕が映えないきがするのですが。すべての事はその時の権勢にまかせてこそ、世間の人もなるほどと納得するものでしょう」
 右中弁は、
「なる程、人も言う通り冷泉院の綺麗な御容姿は、この世に二人と類なくありなされが、何と申しても上皇で御ありですから、全盛を過ぎた方であります」
 中将、
「弾き物の琴や吹き物の笛の調子、花や鳥の色に、音にしても、その時節や場合に応じてこそ、人の耳にも目にも止まるものであります」
 右中弁
「それならば、春宮にいかがであろう」
 聞いていた玉鬘は、
「さあ、春宮は最初から高貴な方、夕霧の長女の姫君が、他に人がないように、お側においでですから、とても入内などはしないほうがいいようです。もし、入内させたならば、その時は、苦しい思いをし人から物笑いの種になることでしょうよ。私はそのような心配を抱えてまで参内させたくはありませんよ。父上鬚黒がご存命であれば、人の持って生れた運不運はわからなくても、さし当って今は、宮仕のし甲斐のあるように大君をきっと世話なさるであろうと思いますよ」
 と言うので、一同は考え込んでしまった。
 中将らがこの場を去った後、姫二人はさしかけの碁を始めた。昔から二人で所有を争った桜を懸けての勝負であった。大君が、
「三番勝負で二勝した者が桜の木の持ち主よ」
 と中君に馬鹿にしたように言う。陽が欠けってきたから簀子近くに出てまで打ち続ける。母屋の御簾を巻き上げて御簾の内、母屋の方にいて、大君方と中君方の女房達が全部そろってそれぞれを応援していた。