私の読む「源氏物語」ー65-竹河
と、薫に親しく話しかけられることもあった。「源氏様の私に対しての思いやりを忘れられずに思い出して、寂しい心の慰めようがありませんので悲しいばかりです。貴方の他に源氏様のお姿を彷彿させるお方が他におられません。兄上の夕霧様は重く高い身分なので、何かの機会の時でないとお逢いできませんものねえ」
と薫に言って、玉鬘の姉弟のように思うので、薫も玉鬘邸を姉の屋敷のように思って訪問していた。薫は世の若者のような浮気性なところが全然見えず、非常に温和しくしとやかであったので、三宮や玉鬘どちらの女房達はこれだけの美男であるのに、残念にもおっとりとして寂しい感じがするので、戯れ言を言っては薫をからかい薫を困らせていた。
年が変わって睦月一月の一日頃に、玉鬘の兄の按察大納言で、かつて童であった昔、高砂を謡った人である、この人と、玉鬘の継子の藤中納言、即ち鬚黒の長男で、真木柱と同腹の弟などが、玉鬘邸に参上してきた。夕霧右大臣も子供六人を連れて訪れてきた。夕霧は姿形を始めとして、何一つ不完全なところがないと世間の評判である。夕霧の子供達もそれぞれ立派で綺麗で、年齢よりは少しばかり官位が高く、どんな心配などあるまいと、他人には思われているであろう。しかしながら、蔵人の君は夕霧から大切にされているのは格別であるけれども、始終沈み込んで何か心配事がありそうな顔をしている。夕霧は几帳を隔てて、玉鬘と昔と変わらず色々と懐かしい話をする。
「私はそれと定まった用事というものがないのでお伺いもしないでお話をお聞きすることも出来ず、歳を取ります儘に内裏に参内するほかには、何事も億劫になってしまいまして、貴女に何かのことで昔の御話を申したいと思うことがありますが、大概はそのままにしている内に忘れてしまい、いかにも残念に思っています。若者達を貴女が必要なときには、御召し使い下さいませ。男達には、是非ともお前達の玉鬘様への好意をお見せするのだと、厳しく言いつけてありますから」
「現在は私も歳を取りこのように見捨てられて、生きて行く人にも数えられないような侘びしい状態であるのを、人らしく夕霧様が私を思い下されるので、過ぎてしまった源氏様の御事も忘れかねて、一段と自然に思い出されます」
と、夕霧に言い、ついでに冷泉院からの仰せの、大君の院参を、それとなく告げるのである。
「女世帯で後楯が、しっかりしていない人の内裏の宮仕は、大変な苦労があると思い、なまじっか宮仕などすると却って見苦しいことになると、どうしようかとあれやこれやと、思い悩んでおります」
「帝が貴女の姫君所望のことがあるように、前に私は伺っておりましたけれどもねえ。冷泉院と帝とどちらにかお決めになるのですか。冷泉院は御承知の通り、御位を御退きなされた事でお力をなくされたようにお見受けしますが、不思議と今もってお若い時のようなお気持ちでいらっしゃいますからねえ。私も、それ相応な容姿を持った女子があるならば、参内させたいものと考えておりましたが、残念ながら入内させるような女子が居ませんので残念に思っております。一体、女一宮の御母、弘徽殿女御は、貴女の姫君の院参を認めておいでなのでしょうか。女御は貴女の姉君ですが。以前にも冷泉院への宮仕志望の人が、弘徽殿女御に対する遠慮によって、院参が、中途で無くなってしまった、ということがありましたようです」
「弘徽殿女御は最近、院が帝から下がり、別になす事もなくのんびりと、ひまになってしまった毎日の生活であるので、冷泉院と同じ気持で一緒になって、娘の世話をして、徒然を慰めたい、などと仰せられます。弘徽殿女御が、大君の院参を勧めなされるので、院参に上ぐべきか、断るべきかという点だけで、思案しています」
玉鬘は夕霧に言うのであった。
按察大納言や藤中納言その他の君達は、玉鬘邸に集まり、出家された三宮の三条宮へ出掛けていった。朱雀院に受けた御恩を御忘れない人達や、源氏に関係のある人達も、朱雀院の方につけ、源氏の方につけ、どちらの方も、やっぱりまだ、あの三宮入道の御殿の前を素通りができなくて、一応ご機嫌伺いに寄るようである。玉鬘の三人の男の子供、左近中将・右中弁・侍従の君達は、そのまま、夕霧の御供で、三条宮に出掛けていった。これら高官を供にした夕霧の勢いは特別であった。
タ方になって、四位の侍従である薫が、玉鬘の邸に参上してきた。更にそこらの大人になった若君達も、みなそれぞれに、どの人が特に劣っているようなこともなく、みな感じのよい若者であるが、中で、ひと足後れて薫が姿を表して玉鬘邸を出て行くのが、たいそう際立って目立つのであろうか、例によって、熱中しやすい若い女房たちはその薫を見て
「やはり、格別だわ」
などと言う。
「玉鬘の御殿の姫君の大君の婿君には」
「この薫様を婿君として見てみたいものである」 と女房達は「この君を」とも言わず「これを」などと、失礼に言う。女房達も言う通り、薫は彼女たちから見るとまだ若々しく子供の域を出ていないような、優美な容姿をして、身動きした時に匂う体臭などはこの世のものとは思われない良い香りが付近に漂う。深窓に育って世間を知らない姫君であっても、物のわかるような方は、「人の噂の通り、薫は、他の人に比較すると男としての美しさが勝る」と思うのが自然である。玉鬘は念仏や読経を行うための御堂である庭園の御念誦堂にいて、
「こちらにお入りください」
といわれて薫は念誦堂の東面の階段を昇って堂の御簾の前に立つ。薫の近くの梅の若木が頼りないような莟を持ち鶯の初音がまだ良く鳴ききれなくておっとりとしている、そのようなところに薫は女が浮気心を起すような姿で居るものだから、若い女房達はからかうようなことを言うのであるが、薫は言葉少なく相手をして、奥ゆかしい有様であるので、女房達はそんな薫を憎らしく、口惜しがって宰相君という上役の女房が、玉鬘の女房で、六条院からおった者が、
折りて見ばいとど匂ひもまさるやと
すこし色めけ梅の初花
(手折って見るならば、枝のまま見るよりももっともっと色つや匂も勝るかと思わせるように、もう少し、浮気っぼくなれ、梅の初花よ)
上手いこと詠んだなと薫は
よそにてはもぎ木なりとや定むらむ
下に匂へる梅の初花
(よそから見ては、枝の無い、無風流な木であると判定するのであろうか、内実は、色つやの輝いている風流な梅の初花である)
問いかけの歌も返歌も、薫の男心を詠ったものであるから、
「それならば私の袖にさわってみて御覧なされ」 と冗談を言う。
「本当は」
「色よりも匂いよ」
と女房達は口々に言って、薫の気を引こうと、落ちつかずうろうろと、右往左往している。玉鬘は念誦堂の奥からいざり出て
「これ、いやな女房達よ、この見栄えのする貴人の堅気な人に何という不作法なことを言うのであるか、戯れごとを言うなんて」
と忍び声で嗜めた。これをかすかに聞いた薫は自分が「堅気者」と、綽名をつけられていることを知って、なんとまあ色気のない綽名であるなあと、がっかりしていた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー65-竹河 作家名:陽高慈雨