私の読む「源氏物語」ー65-竹河
竹 河
これからの話は、前の巻では源氏の息子、薫、孫になる匂宮の現状を述べたのであるが、今回は、光源氏の一族と関係が無くなった人達のなかで後の太政大臣になた鬚黒のもとに仕えている口の悪い女房達で、鬚黒が亡くなってもまだ生き残っている者達が、誰も聞きもしないのに、自分達から勝手にしゃべり出した話である。彼女たちの語ることは、紫上に仕えていた女房達の語った物語と違うようであるけれども、彼女ら口の悪い女達が言うには、
「源氏の御子孫に関し、間違っている事実などが混じり込んで、世間に広がっているよ」
「それは、我々よりも歳を取った、紫上に仕えた惚け老女達の間違った言いぐさが混じりはいったのであろう」
などと言って、紫上方の女房達のと、我らが語ることと、どちらかがまあ、本当であろう。
尚侍督 である玉鬘の産んだのは、亡くなった夫、鬚黒の子供で、男三人、女二人である。夫の鬚黒は生前この子供達が立派に育つようにと色々と考えていたのであるが、年月も経ち成長を楽しみにしていたのであるが、あっけなく死んでしまい、玉鬘は夢のようにぼんやりして、かつては早く参内させねばと考えていた、娘達の宮仕の事までも、そのまま延びてしまった。 世間の人という者は権勢の強い者に追従して近づくものであるから、生存中は勢いのあった鬚黒も、亡くなってしまった後は、家の内にある財宝や、所領の領地はそのままあるが、屋敷全体の雰囲気は主である鬚黒が存命中に比べると、人の出入りも殆どなく、湿っぽくなっていった。玉鬘の親類である按察大納言その他の兄弟は、出世をして栄えているけれども、地位が高い身分である上に、あまり普段からは親密ではなかった上に、亡くなった鬚黒は、人情味が人より薄く、喜怒哀楽の定まらないむら気の多い性格であったので、人から敬遠されることが多くあった関係で、兄弟の誰とも玉鬘は文通をすることがなかった。そんな玉鬘を亡くなった源氏は自分の子供として亡くなった折には遺書の中にきちんと玉鬘のことを書いておき、遺産の相続分を自分の娘である明石中宮の次に書き置きしてあったので、右大臣である源氏の息子の夕霧は源氏の心に従って折々には玉鬘を訪問していた。
玉鬘と鬚黒の間に出来た男の子供達はそれぞれ元服して、左近中将・右中弁・藤侍従と成人していたので鬚黒亡き後も、官位の昇進などに気がかりはありそれが、心細い事であるけれども、そのようなことは自然と成り行き通りになるものである。然し女の子はこの後どのようになるのであろうかと玉鬘は色々と思案を巡らすのであった。帝も故鬚黒から娘達を入内させたい希望を聞いていたので、娘達もそれぞれ大きくなったであろうと想像して、玉鬘に入内させてはと、事あるごとに言われるのであるが、玉鬘は、明石中宮の寵愛が益々深くなっておられ、他の女御・更衣などすべてが、全く無力になっているその末席に加わって、明石中宮より遠くから睨まれるようなことは煩わしいことでもあり、それはそれとして、姫を外の人よりも劣って、物の数でもないと、みられることは心配であると考えて、気持が定まらなかった。
そのような時に冷泉院から玉鬘の娘を自分の許に来るように(院参)熱心に求めてきた、その上に、内侍のかんの君(尚侍)であった玉鬘が、勝手自分の許に来てくれるように臨んでいたのに背いて鬚黒の嫁になって、自分を苦しめたことを未だに恨んでいて、
「現在では、貴女を嫁にしようとして嫌われたあの当時以上に、自分も年を取り盛りを過ぎ、院にもなり老いて見苦しい状態なので、貴女はたとえ我を嫌いなされるとも、娘には安心な父親のように思って娘さんを私の側に戴きたい」
と事細かに院の希望を述べてきたので、玉鬘は、これはどうした良いであろう。自分のまずい運命で、心ならずも冷泉院が、不快な女と、自分を思われたことから、私は恥ずかしいのであるが、このように思われ勿体ないことで、娘をお側に院参させる事によって、このようにもう自分の人生が終わりになって、私の気持を冷泉院は見直してくれるであろうか、色々考えてなかなか思いが定まらない。玉鬘はなかなか美しい娘を持っているという噂は広まっていて、気持ちを寄せる若者が多かった。その中に右大臣夕霧の五男蔵人の少将は夕霧の正妻雲井雁の産んだ子どもで兄たちよりも超えて両親から大切に扱われて人柄も良いし、玉鬘の姉娘、大君に熱心に、懸想の文を送っていた。蔵人少将は、母雲井雁と玉鬘とは異母姉妹、玉鬘は源氏の養女であったから、夕霧とも姉弟の関係、という父夕霧方、母雲井雁方両方から見ても、玉鬘とは近親の間柄であるから、夕霧達が玉鬘邸に親しく訪問するのを粗末に扱うことはしなかった。玉鬘の女房達にも少将は慣れ親しんでいて、時分の気持ちを女房に取次を頼むと、夜も昼も女房達が玉鬘のそばを離れず、蔵人少将の申出を取りつぐ騒々しさを面倒なことと玉鬘は思っていた。少将の母雲井雁も息子のためを思ってしばしば文を送っていた。夕霧は
「蔵人少将と今は低い身分でありますが、お互い親しい間柄ですから、この縁をお許し願いたい」
と夕霧大臣も玉鬘に文を送る。玉鬘は上の娘の大君を冷泉院の許に送るつもりであるので、只の臣下の許に嫁がせる気はなく、二番目の娘中の君を、蔵人少将がもう少し世間から認められるほどの位に昇進したならば、彼の許へと考えても良いと思っていた。
玉鬘が許さなければ盗み取ってでもと、恐ろしい程まで少将は考えていた。蔵人少将も夕霧の子息であるから、大君との婚姻を、玉鬘は不似合な事であるとは思ってはいなかったけれども、攫ってまで女の方の承諾を得ようというのは許されなく、人聞きも悪い軽率な事であるから、蔵人少将の消息を取次ぐ女房に対しても、
「よくよく注意して間違いを引き起すことのないように」
などと注意するので、機先を制せられて、女房達は蔵人少将の消息を面倒くさがるのであった。
源氏の末っ子として源氏の兄朱雀院の娘三宮の腹に生まれ、冷泉院に子供のように可愛がって貰っている四位の侍従薫は、この頃十四歳になり、か弱かった幼い頃より気配りのいい大人なってその辺の若者よりは生まれが良いので、玉鬘は娘の婿にと思っていた。玉鬘の屋敷と薫の三条邸は大変近くにあり、薫は時々催される遊宴会に鬚黒の息子達に連れられて玉鬘の屋敷に訪れていた。この屋敷には美しい姫が居られると、若い男達は姫君を気にしないものはなく、また、姿を見られ、姫に気に入られようとして玉鬘邸に出入して、庭をぶらぶらしている中で、見栄えのあると自認する男は玉鬘邸から立ち去らない、その中でもこの蔵人少将の、人なつかしく、見る人が気恥ずかしく思うほど優雅である点は、他の男達には似る者がなかった。薫が源氏の姿を引き継いでいると、先入観があるから、薫が、格別勝れて見えるのであろうか、薫は世間からもて囃され自然に大切に扱われていた。若い女房達は特に薫を褒めちぎっていた。玉鬘も、
「世間で評判する通り、なる程、薫は、本当に立派な方ですねえ
これからの話は、前の巻では源氏の息子、薫、孫になる匂宮の現状を述べたのであるが、今回は、光源氏の一族と関係が無くなった人達のなかで後の太政大臣になた鬚黒のもとに仕えている口の悪い女房達で、鬚黒が亡くなってもまだ生き残っている者達が、誰も聞きもしないのに、自分達から勝手にしゃべり出した話である。彼女たちの語ることは、紫上に仕えていた女房達の語った物語と違うようであるけれども、彼女ら口の悪い女達が言うには、
「源氏の御子孫に関し、間違っている事実などが混じり込んで、世間に広がっているよ」
「それは、我々よりも歳を取った、紫上に仕えた惚け老女達の間違った言いぐさが混じりはいったのであろう」
などと言って、紫上方の女房達のと、我らが語ることと、どちらかがまあ、本当であろう。
尚侍督 である玉鬘の産んだのは、亡くなった夫、鬚黒の子供で、男三人、女二人である。夫の鬚黒は生前この子供達が立派に育つようにと色々と考えていたのであるが、年月も経ち成長を楽しみにしていたのであるが、あっけなく死んでしまい、玉鬘は夢のようにぼんやりして、かつては早く参内させねばと考えていた、娘達の宮仕の事までも、そのまま延びてしまった。 世間の人という者は権勢の強い者に追従して近づくものであるから、生存中は勢いのあった鬚黒も、亡くなってしまった後は、家の内にある財宝や、所領の領地はそのままあるが、屋敷全体の雰囲気は主である鬚黒が存命中に比べると、人の出入りも殆どなく、湿っぽくなっていった。玉鬘の親類である按察大納言その他の兄弟は、出世をして栄えているけれども、地位が高い身分である上に、あまり普段からは親密ではなかった上に、亡くなった鬚黒は、人情味が人より薄く、喜怒哀楽の定まらないむら気の多い性格であったので、人から敬遠されることが多くあった関係で、兄弟の誰とも玉鬘は文通をすることがなかった。そんな玉鬘を亡くなった源氏は自分の子供として亡くなった折には遺書の中にきちんと玉鬘のことを書いておき、遺産の相続分を自分の娘である明石中宮の次に書き置きしてあったので、右大臣である源氏の息子の夕霧は源氏の心に従って折々には玉鬘を訪問していた。
玉鬘と鬚黒の間に出来た男の子供達はそれぞれ元服して、左近中将・右中弁・藤侍従と成人していたので鬚黒亡き後も、官位の昇進などに気がかりはありそれが、心細い事であるけれども、そのようなことは自然と成り行き通りになるものである。然し女の子はこの後どのようになるのであろうかと玉鬘は色々と思案を巡らすのであった。帝も故鬚黒から娘達を入内させたい希望を聞いていたので、娘達もそれぞれ大きくなったであろうと想像して、玉鬘に入内させてはと、事あるごとに言われるのであるが、玉鬘は、明石中宮の寵愛が益々深くなっておられ、他の女御・更衣などすべてが、全く無力になっているその末席に加わって、明石中宮より遠くから睨まれるようなことは煩わしいことでもあり、それはそれとして、姫を外の人よりも劣って、物の数でもないと、みられることは心配であると考えて、気持が定まらなかった。
そのような時に冷泉院から玉鬘の娘を自分の許に来るように(院参)熱心に求めてきた、その上に、内侍のかんの君(尚侍)であった玉鬘が、勝手自分の許に来てくれるように臨んでいたのに背いて鬚黒の嫁になって、自分を苦しめたことを未だに恨んでいて、
「現在では、貴女を嫁にしようとして嫌われたあの当時以上に、自分も年を取り盛りを過ぎ、院にもなり老いて見苦しい状態なので、貴女はたとえ我を嫌いなされるとも、娘には安心な父親のように思って娘さんを私の側に戴きたい」
と事細かに院の希望を述べてきたので、玉鬘は、これはどうした良いであろう。自分のまずい運命で、心ならずも冷泉院が、不快な女と、自分を思われたことから、私は恥ずかしいのであるが、このように思われ勿体ないことで、娘をお側に院参させる事によって、このようにもう自分の人生が終わりになって、私の気持を冷泉院は見直してくれるであろうか、色々考えてなかなか思いが定まらない。玉鬘はなかなか美しい娘を持っているという噂は広まっていて、気持ちを寄せる若者が多かった。その中に右大臣夕霧の五男蔵人の少将は夕霧の正妻雲井雁の産んだ子どもで兄たちよりも超えて両親から大切に扱われて人柄も良いし、玉鬘の姉娘、大君に熱心に、懸想の文を送っていた。蔵人少将は、母雲井雁と玉鬘とは異母姉妹、玉鬘は源氏の養女であったから、夕霧とも姉弟の関係、という父夕霧方、母雲井雁方両方から見ても、玉鬘とは近親の間柄であるから、夕霧達が玉鬘邸に親しく訪問するのを粗末に扱うことはしなかった。玉鬘の女房達にも少将は慣れ親しんでいて、時分の気持ちを女房に取次を頼むと、夜も昼も女房達が玉鬘のそばを離れず、蔵人少将の申出を取りつぐ騒々しさを面倒なことと玉鬘は思っていた。少将の母雲井雁も息子のためを思ってしばしば文を送っていた。夕霧は
「蔵人少将と今は低い身分でありますが、お互い親しい間柄ですから、この縁をお許し願いたい」
と夕霧大臣も玉鬘に文を送る。玉鬘は上の娘の大君を冷泉院の許に送るつもりであるので、只の臣下の許に嫁がせる気はなく、二番目の娘中の君を、蔵人少将がもう少し世間から認められるほどの位に昇進したならば、彼の許へと考えても良いと思っていた。
玉鬘が許さなければ盗み取ってでもと、恐ろしい程まで少将は考えていた。蔵人少将も夕霧の子息であるから、大君との婚姻を、玉鬘は不似合な事であるとは思ってはいなかったけれども、攫ってまで女の方の承諾を得ようというのは許されなく、人聞きも悪い軽率な事であるから、蔵人少将の消息を取次ぐ女房に対しても、
「よくよく注意して間違いを引き起すことのないように」
などと注意するので、機先を制せられて、女房達は蔵人少将の消息を面倒くさがるのであった。
源氏の末っ子として源氏の兄朱雀院の娘三宮の腹に生まれ、冷泉院に子供のように可愛がって貰っている四位の侍従薫は、この頃十四歳になり、か弱かった幼い頃より気配りのいい大人なってその辺の若者よりは生まれが良いので、玉鬘は娘の婿にと思っていた。玉鬘の屋敷と薫の三条邸は大変近くにあり、薫は時々催される遊宴会に鬚黒の息子達に連れられて玉鬘の屋敷に訪れていた。この屋敷には美しい姫が居られると、若い男達は姫君を気にしないものはなく、また、姿を見られ、姫に気に入られようとして玉鬘邸に出入して、庭をぶらぶらしている中で、見栄えのあると自認する男は玉鬘邸から立ち去らない、その中でもこの蔵人少将の、人なつかしく、見る人が気恥ずかしく思うほど優雅である点は、他の男達には似る者がなかった。薫が源氏の姿を引き継いでいると、先入観があるから、薫が、格別勝れて見えるのであろうか、薫は世間からもて囃され自然に大切に扱われていた。若い女房達は特に薫を褒めちぎっていた。玉鬘も、
「世間で評判する通り、なる程、薫は、本当に立派な方ですねえ
作品名:私の読む「源氏物語」ー65-竹河 作家名:陽高慈雨