私の読む「源氏物語」ー64-紅梅
自分の部屋に連れて行って、匂宮が大夫君と語り合うので、送りの殿上人はそれぞれ散ってしまって匂宮の部屋は静かになったところで、「春宮から少し暇を貰ったのだなあ。春宮はかってはお前を可愛がり側から離さなかったが、姉上の大君に寵愛が移ってしまい、お前も気分悪かろう」
と冗談のように言うと、
「春宮様が私をお側から離されないのには困りました、あなたさまであれば」
と後まで言わないと、
「私のことを、大君は、一人前の男でないと、歯牙にもかけられなかったそうであるな。それはその通り、春宮は私より良い男だからね。そうであるけれども、私は平静ではない腹が立つ。
だから、私と同じ皇族で、東の君と呼ばれているお方は、私のことをどう思いであろうかな。お前はこっそりと、私の思いを伝えてくれ」
など匂宮が大夫君に言うので、持ってきた紅梅を大納言が書いた歌と懐紙とを紅梅に巻いて匂宮に渡すと、彼は笑って、
「もしも、私が恨ん送った歌の後ならば大変なことで、恨んだ後でなくて艮かった」
と言ってすぐに中を読む。大夫君の持って行った紅梅は花も匂いも素晴らしいものであった。
「庭園に咲き匂うているのである紅梅は、紅の花の色に、力を取られて、香はどうも、白梅には負けているのであると、人は言うようであるが、この紅梅は気が利いていて香りも色も両者が見事であるな」
匂宮が、気に入ったようであるから、按察大納言が進上した甲斐があって、匂宮は興味を持って眺めていた。
「今日は春宮の許で宿直であろう、でもこちらに宿直してくれよ」
と、大夫君を止めるので、この子は父から、大君への伝言もあったが、春宮に参上する事ができない。紅梅も恥ずかしそうに香りが匂い、そうして大夫君を自分の近くに寝せてくれるので幼さの残る大夫君は嬉しくて匂宮が好きになってしまった。
「この花の持ち主の宮君は、どうして、以前に、春宮に入内なさらなかったのか」
「存じませぬ。父はただ、物の心をよく理解しているような人に、御世話なさるようです」
匂宮に話す。匂宮は其れを聞いて、大納言の気持ちは、自分を按察大納言の実子中君の婿にしようと思っているようであると、匂宮は聞き、それと歌の意味からも察しあわせなされるけれども、匂宮の心は宮君にぞっこんであるから、大納言の歌の返歌は、内容ははっきりとは書かず、内裏の勤めを終えて大夫君が帰るのに、気乗りなく、ほい、っと大夫に渡した。
花の香に誘はれぬべき身なりせば
風のたよりを過ぐさましやは
(花の香に、もしも誘われるに違いない私の身であるならば、風のたよりを、その儘に見過ごしましょうかねえ、見過ごしは致しませぬ)
大夫君に
「君は、これからは父の翁などに、さし出がましい世話など焼かせないで、宮君に私を、こっそりと手引きして逢わせてくれよ」
と何回も童に言って、宮君に対しては、以前よりも尊敬し親睦にするように、色々と策を考えた。
腹違いの姉である宮君姫は、大夫の君と直接に逢うことがいつものことであるから、普通の姉弟の状態であるけれども、子供心に姉は、奥深く重々しくて軽はずみの点がなく、理想的で申分のない性格であるので、姉と匂宮が夫婦になればといつも思っているので、春宮の女御になった自分の姉の大君が、華やかに毎日を送っているのを、姉弟誰の出世も同じ事であると思いながらも、宮君が何となく不遇のように見えて気の毒で、大夫君は、せめてこの匂宮だけでも、宮君の婿として身近に居て下さるようになればと、嬉しい紅梅の使いであると喜ぶのであった。
さて、今持っている書状は匂宮から昨日の父大納言の書状の返事であるから、父のもとにもっていった。
「「花の香に誘はれぬべき去々」などと、心憎いように匂宮は仰せられたなあ。匂宮があんまり、浮気の度が過ぎた方なのを、我々がやかましく注意すると、聞かれて夕霧大臣や私らがよく観察していると、匂宮は真面目に浮気を抑えておられるのは、いかにも興味があることである。もし、浮気者扱いにするとしても、それは、十分に資格のある方であるからねえ。それなのに、無理してまでも真面目のような振りをしなされば、それも、見る価値がないようでもある」 などと、陰口をたたきながらも、大夫君を今日も内裏へ参内させるのに匂宮へまた、
本つ香の匂へる君が袖触れば
花もえならぬ名をや散らさむ
(本来の香に匂うていた君の袖が触れるならば、花も、言い現わす事のできない名声を、広く流布させるであろう)
好色めいた事を申しましたよ。大変失礼おば」
と、真面目に文を贈った。受けとった匂宮は自分を、中君の婿に口説き落そうと、本当に按察大納言が思っているのであろうと、中君には興味はないが何となく心が動くのである。
花の香を匂はす宿に訪めゆかば
色にめづとや人の咎めむ
(花の香を匂わせている宿(中君の許)に、尋ねて行くならば、花の色に就いて賞翫する(色めかしく浮気である)と、世間の人は非難するであろうか。(その非難が気がかりである。)
まだ心が決まらないが変事を贈る匂宮であるが、大納言は不愉快であった。
大納言の妻の真木柱が内裏から帰宅して、内裏の中の噂話などを良人の大納言に語るついでに、
「大夫君が先夜、内裏に宿直して、翌朝私の所に来ました。その折り何となく匂いがおかしいのを、周りの者は、やはり大夫君の匂いであると言うのを、春宮が聞いて不審に思って近寄り、兵部卿の宮の近くにいたのでは、と言われました。すっかり訳が分かり春宮は、匂宮に、大夫は近づいたな、道理で大夫は我をば見捨てた」と、様子を察して大夫を憎むのが可笑しゅう御座いました。貴方から匂宮に御文をさし上げなされましたか。そんな風にも見えなかったけれども」
「そうであるよ、匂宮は梅の花がお好きであるから、宮君の前の紅梅が満開であるのを見すごすわけにはいかず、匂宮に折って差し上げたのだよ。春宮が、御気づきになるほど、匂宮の香りは特別違う。内裏で競うような行動をする女房などは、匂宮のように、香を焚きしめる事はできないであろうよ。薫中納言は匂宮のように風流に香を焚きしめなくとも、体自体が匂うというような人は珍しい者である。薫中納言はどのような前世から産まれてきたのであろうか、ゆかしい前世であったのであろう。名称は同じ花であるけれど、芳香を持っている梅は、芳香を持って生い出たその根源になったことが、思いやられるのである、梅の香りを好まれる匂宮などは尤ものことである」
大納言は中君を匂宮へとの下心があるから花を引き合いに出して真木柱に話をする。
宮君は、何かと色々の事に分別がつく年齢であるので、何事も知り聞き止めてはいるが、夫を持ち、世間並の生活をするようなことは、今更する意志がないと、思い切りしているのであった。男も、時代に権勢ある方に追従し寄る気持があるためであろうか、両親の揃っている按察大納言の娘達には、一所懸命に言い寄って思いわずらい申したりして、賑かな事であるが、実の父が居ない宮君には色々な事にそっとしているので、匂宮は、釣合のとれた方と色々な方面から聞かされるので、どうにかして、自分の妻にしようと真剣に思ているのであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー64-紅梅 作家名:陽高慈雨