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私の読む「源氏物語」ー64-紅梅

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「母君真木柱が内裏に上って不在中は、母君に代って私が世話致します。私をよそよそしく、母君と分けて考える姫ぼようであるから、私としては少し残念ですよ」
 と言って宮君の御簾の前に座っていると、彼女の咳払いがかすかに聞こえてきた。声と言い体を動かす気配といい、何となく御簾を隔てて感じてくるのが優美なもので、これは自分の娘達を今まで誰よりも優れて優美な娘であると思っていたが、宮君にはとても及ばないのではなかろうか、だから内裏のようなところに出仕すれば交際範囲が広まって煩わしいことになり、自分の娘達は類ないものであると思っていたが、それ以上の娘がいるものであると、宮君のことをどのような容貌か考え込んでしまった。「このところ何かと忙しくて、せめて、宮君の琵琶の音だけでも聞くことなく時が経ってしまった。西にいる中君は琵琶を得意としています、練習をするならばきっと相当に弾く事ができるように、自然と自信を持つことが出来るでしょう。けれども、中途半端に弾いた場合に、琵琶は聞きにくい楽器です。ですから、同じ稽古するならば、宮君から中君に教え下されよ。父は、昔特に取りあげて稽古する楽器がなかったのであるけれども、その当時、音楽の盛んであった時代に、私が管絃の奏楽の仲間入りをして演奏をしたことがあり、音声の巧拙を聞き分けるくらいのことは、琴・琵琶・笛・篳篥・笙など、弾き物・吹き物何の楽器でも、かつては演奏することが出来ましたのですがねえ。

 宮君はくつろいで慰み半分に演奏することはしないけれども、私が時々聞く貴女の琵琶の音は、音楽の盛りであった昔の音色を想い出させ。ます。亡くなられた源氏様の伝授で、左大臣の夕霧様は現在名手として残ってお出でです。源中納言薫君、兵部卿の匂宮の方々は何事も昔の人に劣らない程天賦の才能がある方々なので、音楽の方面は特に優れてお出でになります。けれども、撥さばきが、いくらか、軟く弱々しいのは、薫、匂宮お二人は、カ強さでは夕霧には追いつきなさらないと、私は考えまするけれども、宮君の琵琶の音は、夕霧に大層よく似ておられた。琵琶は押手(左手で絃をおさえて弾く事)が静かであるのを、よい事(上手)とするものであるけれども、柱を据える位置の加減で、撥音が、音色が変化して、優艶に聞かれたのは、どうも婦人の琵琶の演奏としてはなかなか興味がある演奏でありました。それでは琵琶を持ってお出でなさいませ合奏をいたしましょう」
 と大納言は宮君に言う。
 この話を聞いていた宮君方の女房などは、恥ずかしがって、按察大納言に、隠れて顔を見せないようにする者も殆どない。若い身分の高い女房で、按察大納言に、顔を見られたく思わないと、考える者は、按察大納言の前にも出ず気ままに、奥にいたから、宮君が隠れて見えなさらぬ、その上に宮君の許に伺候している上臈の女房までが、隠れるようにして、私に見られたく思わないと、面白くないと腹を立てていた。 殿上童の大夫君が直衣を着て、髪は垂れたまま内裏へ宿直で参上すると、父按察大納言の所に来たその姿が、特別にきちんとした、儀式的な束帯の時の上げみずら姿よりも、ずっと風情ありと見られて、「大層可愛らしい」と大納言は見ていた。按察大納言は、大夫君に北方(真木柱)を通じて、大君の麗景殿に伝言を頼んだ。
「麗景殿への御機嫌伺などは万事一任する、私は、今夜もまた気分が悪いから参内できない」 と、真木柱に申しておいてくれよと言って、
「笛の稽古を少し付き合えよ、参内すればお前は帝のお遊びに、招かれることもあろうが。そうなればまだまだお前の笛は未熟じゃ」
 と言って笛を取り上げて、雙調を吹かせなさる。まあまあの演奏なので、  
「大夫の笛が、段々聞き苦しくなって行くのは、大夫君はこの辺で琵琶に合わせたいからでしょう。貴女もどうか合わせてやってください」
 と宮君に頼み込むので、宮姫は無理なことを仰せられると思うが、琵琶を取り上げつま弾きで少しだけ上手く合わせる。大納言も口笛を、年取っているので音は少し太くはあるが、馴れた音で、琵琶と笛に合わせた。寝殿の宮君方の東の隅に、軒に近い紅梅の木が素敵に咲き匂うのを見て大納言は、
「宮君方の前庭の花は、風情があって美しい。今日は匂宮は内裏にいらっしゃるから、大夫、一枝折って差し上げよ、花の色も匂いも知る人は知っているよ」
 と言って、昔を思いだし、
「ああ、光源氏と世間で呼ばれなさったあのお方が、近衛大将であられた頃、私は童で、この大夫が、匂宮に親しくしていただくようにして、源氏様に親しくしていただき高砂を謡い、源氏様が着ていた衣を脱いで褒美として下さった、ことなど一生忘れられないことである。
 匂宮達を、全く立派な方と世間が思うように成長されたが、源氏様の端にも及ばないとも世間は思っている、というのは、源氏様は飛び抜けて立派な方で誰も並ぶことが出来ないと、私がその昔のあの方を思い出すせいであろうか。私のようにそう深い関係でもない者が、源氏様を思い出して胸がくるしいほど悲しいのであるから、近臣の方で未だに生き残っておられる方々は、悲しみの苦しみで死ぬかも知れないところをよく生き残っておられるのは、よくよく長命の運を持っているからでであろう、と私は思っている」
 などと、宮君に話すと、大納言は何となしに昔を思い浮かべてしみじみとした気持になって寂しさに体中が包み込まれてしまった。
 大夫君に梅を折らせて、寂しさを忘れようとして大納言は早く参内せよと息子に言う。
「今の宮達が、源氏様の足元にも及ばないとしても今はどうにもならない。ただ、昔の源氏様のお姿を偲べるのは、匂宮の姿ばかりである。ちょうど釈尊が入滅されて人々が悲しんでいるときに、阿難尊者が、釈尊のように光を放ったとか言うが、それを「釈尊が、再ぴこの世に出現なされたのか」と、疑う賢明な聖者達がいたというからねえ。亡き源氏を御慕い申し、どうしてよいか、途方に暮れている悲しい心を晴らすために、匂宮に、一言遠慮無く申しあげようか」

心ありて風の匂はす園の梅に
    まづ鴬の訪はずやあるべき
(下心があるので、風が、香を立たせる庭の梅に、先ず一番に、鴬の訪ねて来ないはずがない)

 と紅色の紙に気持も若返って書いて、わざわざ正式な書状の形にはしないで、この大夫君の懐紙と一緒にまぜて押し畳んで、行くように押し出しした。大夫君はおさない考えでも、父上はえらく匂宮と親しいのだなあと、思い急いで内裏に向かった。
 明石中宮が清涼殿に参上の時の控の部屋がある弘徽殿の上の御局から匂宮が、内裏に勤めるときの自分の宿直の部屋に帰る時である、殿上人達多数が宮を見送りに出ている中から宮は大夫君を見つけ、
「昨日は早く帰ったなあ、今日は何時来たのだ」「早々と、昨日帰ってしまいましたのでお話も出来ずに申し訳なく、宮がまだ内裏に居られると聞いて急いで参りました」
 と幼い者であるから馴れ馴れしく簡単に答えた。
「内裏だけでなく私の二条院にも時々遊びに来られよ。若者が何となくよく集まってくるぞ」