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私の読む「源氏物語」ー62ー 幻

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 今年一年を源氏はこうして出家するのを我慢して過ごしていたのであるから、今こそ出家をしようと、明春早々をその期日と決心すると、感慨の深い事が色々と浮かんでくる。当然、出家遁世をする準備などを心の中にしっかりと書き付けて、身の回りの物を長年側に仕えている者に身分に応じて、形見として渡すことを是非したいのであるが、いかにも今が出家のしどきだと、大袈裟な噂が広まってはと考えてなかなか実行することが出来ないうちに、
「いよいよ源氏様が御出家を実行されると思う様子である」
 と、側近達が見守る内に源氏の出家が近づくし、年も暮れて行くのが一同にとって心細く感じ限りなく悲しいと思うのであった。
 出家後に屋敷に残っていては、見苦しいことに違いがない女達から来た文なども、その文を受け取った当時は、「やれば惜しやらねば人に見えぬべし泣くもなほ返すまされり」の歌ではないけれど破棄すれば惜しいと、当時はそのような愛着があったのであろう大事に保管していた物を、身辺の片付けの際に見つけて、破り捨てているなかに、例の須磨流浪の折に、彼方此方から送ってきた消息文の中に、紫からのは特別に別にして括ってあった。

 源氏が自分でしたことではあるが、「二十五年二昔半の遠い昔になってしまった事である」と思うが今書かれたような墨の色に、本当に昔の歌に、「かひなしと思ひな消ちそ水茎の跡ぞ千とせの形見ともなる」とあるが、出家をしてしまえば見ることもあるまいと、思い残して置くのも残し甲斐がないので、気のおけない女房達二、三人程を呼んで自分の目の前で破らせてしまった。全く紫程には情愛が深くない間柄の人の書いたものであっても、既に亡くなってしまった人の筆跡であると、しみじみと心を引きつけられるものであるのに、そのような文にもまして、紫の文を見たせいであろう目も暗くなり、それが紫の文と見分けが付かないほど流れ落ちる源氏の涙で、紫の文の水茎(文字)の上に流れ落ちて行く、「黄壌に誰か我を知らむ 白頭にしてなほ君を憶ふ ただ老年の涙をもって 一たび故人の文に灑ぐ」女房達の中にこの詩を知っている者があれば源氏の心が弱いなどとは言わないであろうがと、源氏は我ながら情け無く、きまりが悪いので紫の文を横にやって、

死出の山越えにし人を慕ふとて
      跡を見つつもなほ惑ふかな
(死出の山を越えて行ってしまった(死んで行った)紫を未だに恋い慕い、追って行こうとして、その足跡を見ながらも、私はまだやっぱり、悲しみに惑っている)

 詠う源氏に女房達は、読んだ歌の意味を、死んで行った紫上を追慕するとて、その筆跡を見ながらも、悲嘆の心は紛れもせず、やっぱり、まだ途方に暮れておられなあ、と女房もまともにはよう広げないけれども、紫上の筆跡であると、ちらちら見て察せられるので、彼女たちも紫を追慕し、悲しみによる心の乱れは普通ではなかった。同じこの世ではあるものの遠くもない都と須磨の別離の距離を、「悲しさが甚だしい」と、紫が思いつくままに書き記した文章が、なる程、「死出の山云々」の歌の通り、今は幽冥と境を異にしているため、その当時よりも悲しみは大きく涙が止めることが出来ないほど、拭いきれない。本当に情ない程げんじの一段の悲しさからの取り乱しも、女々しいようで前の女房も感じが悪いであろうと、源氏は文も碌々見ることが出来ず、紫の文の端に、
かきつめて見るもかひなし藻塩草
        同じ雲居の煙とをなれ
(掻き集めて見ても、今では何の甲斐もない、消息(藻塩草)は、紫と同じ大空の煙とまあなれ)

 と書き込んで紫からの文も他の文も共に焼いてしまった。

 この夜の宿直は中納言の女房ともう一人は源氏の文の焼却に立ち会った若い女房であった。昼間の文焼きに紫の文を見て号泣した源氏は、なかなか興奮が冷めないのか大殿籠 と御帳台へ入ろうとしない、無言でまだ降ろさない格子で開いたままの蔀から庭を見つめたまま無言である。女房達が声を掛ける隙がない様子で部屋中静まりかえっていた。源氏が床につくやすかさず入ろうと二人の女房は表の下に薄物一枚で控えていた。今日は日中の手紙の焼却で源氏の心が紫を思う気持ちで一杯であるから、女を寄せ付けることに抵抗があると見ていた。
 それでも深厚になると源氏も草臥れてきたのか、心が落ち着いてきたのか御帳台に入った。
すかさず中納言ともう一人の女房が中に入り、すぐさま二人で源氏を押さえ込み、置きようとするのを遮った。
「殿、今日は紫上の文でお悲しみが大きゅう御座いますでしょう、でもこういう日に私たちの側で心をお癒しなさいませ」
 中納言の声は昔から源氏は男の苛立つ心を溶かすような声であると、彼女が添い寝をしてくれる時にいつも思っていたのである。今夜もそうである彼女の声を聞いていると何となく心が安まってくる。彼女の丸みを帯びた声が、乱れている源氏の心を柔らかく次第に包んできた。源氏の頭芯から紫の姿が消えていった。中納言が最初に源氏の添い寝の役をしたときは、十八であり勿論男と交わったこともなかった。同僚からは初めての時の苦痛を聞かされていたが、不思議に何の苦痛もなく自然と源氏と交合することが出来かねてから願望していた男とこんなに自然に体を合わせることが出来てとても嬉しかった。源氏はその時不思議な感覚を味わっていた、彼が女を抱き寄せ、暫くすると体の間から不思議な香気が漂ってきた、香合に詳しい源氏にも判断が付かないなんとも妙なる香気であった。
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その薫りはこの後紫が不調の時に、この中納言が変わりの添い寝をとしてあらわれ、体を合わすと必ず薫って源氏の体全体を包み柔らかく神経までほぐしてくれるのであった。
 今夜は体をあわすことなくもう既にその薫りが源氏の周囲を包み始めていた。悲しみが柔らかくほぐされて源氏は次第に睡りの世界に吸い込まれていった。

 例年宮中では十二月十九日から三日間、仏名を誦して罪障を懺悔する法会が開かれる。御仏名と言われ、過去・現在・末来の三千仏の名号を称念して罪障を懺悔する法会である。起源は
仁明帝の承和五年(一0九三年)の御代に、静安法師が勅命で開いたと言われている。催しは、本尊の図像を、御帳台の中に懸け、机を置いて、仏像や塔を載せる。仏前には香華・澄明・供物があり、また地獄変相の屏風を立てる。導師や衆僧には被綿を賜わる。三千仏名経とは、過去荘厳劫干仏名経・現在賢劫干仏名経・末来星宿劫千仏名経とを合わせて言う。