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私の読む「源氏物語」ー62ー 幻

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 と詠って古今集にある「大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとに眺めらるらむ」酒井人真の歌のように源氏は紫の形見の空を眺める。夕霧大将は、

ほととぎす君につてなむふるさとの
          花橘は今ぞ盛りと
(冥途に通うという時鳥よ、紫上に言伝をして欲しい、紫上の故郷の花橘は、今が花盛りであると)

 同席していた女房達も次々に歌を読み披露したが、ここには紹介しない。夕霧はこの夜はここ六条院に泊まった。源氏が寂しく独り寝をしているだろうと、夕霧は心配で時々、父源氏のそばに、このように泊まりにくる、紫の生前は、近づいた事のなかった紫の居間のあたりが、夕霧のやすむ部屋から、あまり離れていないので紫のことを想い出すことが多かった。
 大変に暑い七月の頃、水の上にある釣殿で源氏が池の面を眺めながら考え事をしていると、池の蓮の花盛りなのに気がつき、蓮の葉に置く露を涙と見て、どんなに沢山ある涙であろう、などと紫を想い出してぼんやりと沈み込んでいる内に日が暮れてしまった。蜩が華やかに鳴くうえに目の前の撫子の夕日に映えるのを源氏はじっと見つめているとなる程、古歌に「ひぐらしの鳴くタ暮ぞうかりけるいつもつきせぬ思ひなれども」(蜩の鳴く夕暮れはわけてもわびしいことだ。いつもつきない物思いをしているけれども)と藤原長能が詠っているのを、その通りであるなあと、

つれづれとわが泣き暮らす夏の日を
       かことがましき虫の声かな
(何のなす事もなく寂しく、紫を偲んで私が泣いて過ごす夏の日であるのに、私が泣くから、虫も鳴くと、格好付けて鳴く蜩の声であるなあ)

 釣殿の周辺を蛍が飛び交いだした
「タ殿ニ螢飛ンデ思ヒ悄然タリ、孤燈ヲ挑ゲ尽クシテ末ダ眠ヲ成サズ」(夕方の御殿のほとりを蛍が明滅して飛ぶのを見ても亡き人が俤に立って心も消える。秋の長夜、灯火が消えようとするのをかきたてかきたて尽くしてもまだ眠ることが出来ない)という恋人を失った老いた皇帝の悲しみを詠った、長恨歌の一節が頭に浮かび源氏は思いに沈む。古い詩も、紫亡き後このような妻を惜しむ意味の歌ばかりが浮かんできて自然に口ずさんでいた。

夜を知る蛍を見ても悲しきは
     時ぞともなき思ひなりけり
( 夜を知って夜だけ光る螢を見ても、悲しい事というものは夜昼と言う時の区別を知らない、紫の思いの火なのであるなあ)
「蒹葮ニ、水暗クシテ蛍ニ夜ヲ知リ、楊柳ニ風高クシテ、雁ニ秋ヲ送ル」(葦が生い茂って水面が暗くなれば蛍は夜だと思って光を放つ。
楊柳の梢高く風が吹き来るにつれて、湖北から雁が秋を運んでくる)を念頭に置いて源氏は詠った。
 文月七月七日も六条院は例年と違って、管弦の遊びもなく源氏は退屈そうに庭を眺めているので、女房達は牽牛(ひこぼし)と織女(たなばた)の夫婦星が、相逢うのを見ることが出来なかった。まだ夜が深いのに二人の女房が添い寝しているにも急に起きあがり、妻戸の両開き戸をあけた時に、前の庭に露が多く降っていて
渡り廊下の戸のあいている所から見通しで、ずっと先まで見渡されるから、源氏は、前栽に出て 

七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て
      別れの庭に露ぞおきそふ
(夜、織女が牽牛と逢う空は無関係と見ないで、織女と牽牛とが、後朝の別れの涙を灌ぐ今朝のこの庭に、私の紫を思う涙の露を更に注ぎこむ)

 露のみならずその上に風の音までが普通でなく飄々と寂しく吹き付ける頃、御仏事の準備で八月の一日頃は目まぐるしく忙しくなった。源氏は紫の事を思い嘆きながら、今日までよくぞこの日まで過ごしたものよ、源氏は思い自分ながら呆れていた。
 紫上の一周忌命日当日には、六条院の人達は、上下の区別なく全部、精進して、あの極楽曼荼羅などの供養をこの日に行った。いつものように、宵(初夜)の御勤行の時に、手などを清める水などをさし上げる源氏のお気に入りの女房中将君の蝙蝠扇に、

君恋ふる涙は際もなきものを
    今日をば何の果てといふらむ
(紫上を恋い慕う涙は際限もないのに、今日の一周忌を果て即ち最後と言うが、それは何の果てであると言うのであろうか)

 と歌が書いてあるのを源氏が見て、扇を取り上げて、

人恋ふるわが身も末になりゆけど
        残り多かる涙なりけり
(紫を恋い慕う自分の身も終りになって行くけれども、残り尽きない涙であるよなあ)

 と書き加えた。

 九月、長月になって九日、源氏は、菊の花の露を綿に移し、それで体を拭いて老いをとる、と言う謂われのために、前夜より綿を花の上に覆いかけてあるのを見て、

もろともにおきゐし菊の白露も
       一人袂にかかる秋かな
(かつては、紫と共に起き出て着せ綿をした菊に置いてある朝露も、今年は、紫は亡くなり自分一人寂しくしている袂にかかって、袂を濡らす秋であるなあ)

 神無月 十月には毎年この頃は時雨がちであるが、その雨を眺め続け夕暮れの空も何とも言えない心細さを感じるので、
「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひづる折はなかりき」
 と一人口にして、紫の行くえを慕うので、心にまかせて大空を飛び通う雁の姿を見ても、雁の夫婦は離れないのにと羨ましく空を見つめている。

大空をかよふ幻夢にだに
    見えこぬ魂の行方たづねよ
(雁のように大空を自由に飛行する幻術士(方士)よ、夢にでも見えて来ない、紫の魂の行先を尋ね求めてくれよ)
 源氏は唐国の揚貴妃の魂の所在を尋ねた方士の事を考えて詠んでいる長恨歌のことを考えて詠った。

 このように源氏は何を見たり聞いたりしても総べて紫に結びつけてしまって、気の紛れる事がなく月日が経つにつれ紫を思う気持ちが大きくなっていった。

 五節の舞、これは女舞である、などと言って五節の舞は、大嘗祭や例年の新甞祭の節会(宴会)の折に行われる女舞である。霜月十一月の世の中が、何となく浮き浮きと陽気で、賑やかな頃、源氏の息子の夕霧大将の息子達が、童殿上をした源氏の孫達を、内裏の帰りに、源氏の許に挨拶に連れて訪問してきた。童殿上とは、内裏の作法を見習うために、貴族の子弟が聴許を得て、殿上の名簿に姓名を記し、闕腋の赤袍で。殿上に出仕する事を言うのである。子供達は雲井雁を母とする年齢もそう離れていない二人で、大層可愛い容姿である。孫達二人の叔父の、頭中将・蔵人少将(子供達の母雲井雁の兄弟)などは、新嘗祭の役職の着る小忌衣を着て、藍の葉または青色の草で花鳥などの模様を青く摺りつけ清らかで美しく、叔父さん達は夕霧に続いて子供達の手を引いて其れって源氏の前に現れた。この人達が何事もなく穏やかにしているのを見て、源氏は昔、須磨、明石に流浪した日陰の暮らしの時に沖を通る筑紫の五節に消息を送った時を、自然に思い出したのであろう、

宮人は豊明といそぐ今日
     日影も知らで暮らしつるかな
(大宮人達は、五節の舞の奏せられる宴会に急いで参会する今日、私は月日の過ぎて行くのも知らず、閉じこもって寂しく暮しているのであるなあ)