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私の読む「源氏物語」ー62ー 幻

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 男女の秘め事は女房達の好む話であるので、たちまち話の輪が出来上がった。中将女房は、このままでは源氏様は紫上を亡くされてその嘆きがあのようにひどいままであれば必ずご自分も体を病み、後を追われることになる。出家と言われているがそれもなかなか出来ない様子である。その本には男女は和合してこそ健康を保つのであると、書いてあるそうです。源氏様は皆様ご存じの通り多くの女の方をお持ちでそれなりに夜のことをなさっておられ、あのようにお元気で美しくおありでしたでしょう。中将は、
「それで私の考えを申しあげます」
「何をお考えですか」
「毎夜交代で添い寝をして差し上げましょう」
 一同は驚くが女房達はあの貴公子で艶のある源氏とは一回は添い寝をしたいという望があるので彼女のこの提案に驚くこともなく話は簡単に決まった。ただ今の源氏にはまともに話しても紫の喪中であるので承知はしないと思うので、源氏が御帳台に横になってから無言ではいることにし、一人ではなく二人で両側から添い寝をすることにした。
「そういうことで参りますが、物の本には、男の方は漏らすようなことはしてはならないとあります。女が充分女の精気を登り詰めて、わたしたちの蜜を殿方に与えるのが健康の元であるとありますから、その点は十分にご注意なさって」
 中将が言うのは医心方という本の中にある
「そもそも悠久の昔から,天有り地有りお互いに,和合してこそ人間が,こうして生きて来た。 男女の道も同じこと,和合してこそ健康も,維持していける。天地は正しい交わりの道を心得ているからこそ,永遠(とわ)に続いている訳で、その方法の要点は,なるべく多くの女と交わり,それも若ければ若いほど良し、そしてどんなに接しても,たびたび漏らすことなけりゃ,心も軽く身も軽く,百病除いて爽やかに,日々を過ごしてゆける」
 というようなことを聞きかじってのことであった。 
 早速その夜から源氏が御帳台へ入るとお互いに決めた今夜の番に当たった、一人は中将の君もう一人は若い女房、二人の女房が薄物の上に表を着て御帳台に入り源氏の左右に表を脱いで上に掛けて源氏の体を左右から抱いて横になった。源氏は驚いて飛び起きようとするのをやんわりと押さえて、
「紫の上が大事になさっていた源氏様が、このように悲しみ嘆いてだんだん体が衰えていくのを、紫の上が喜んでおいででしょうか」
「男と女は交わってこそ元気になると申します、私たちにお任せを」
「宿直の女房が控えて居るぞ」
「女房達で決めましたことですので」
 と二人は左右から源氏の体を優しく愛撫し始めた。二人の体から匂う良い香りが源氏を和ませる。久しぶりの女体に源氏の心も上ずってきた、一人は中将だなと源氏は気がついた、紫の姿が源氏の脳裏から次第に消えていく、五十二才になりもう自分の男は終わったと思っていたものに少しずつ力が入ってきた。
 もう一息で自分は最高になると源氏が感じたときに女の愛撫が止まった、

「殿様静かにお休みになって、私たちが朝までお側にお付きいたしますから」
 中将が耳元で小さく優しい声でまるで子供をあやすように言った。二人の女は源氏にぐっとすり寄って片手を源氏の腹の上に置いて動かない、二人の体温と軟らかい乳房の感触が源氏の体を包んだ。高ぶった気が静かに収まっていく、紫の病と死別から休まることがなかった源氏の神経が次第に落ち着き安らかな眠りに入っていった。落ち着いて動かない女の体も満足感が溢れてきたのか、女の喜びの蜜が源氏の伸ばした両手の甲を湿していった。

 五月雨がひどく降り、源氏はぼんやりと物を考えこんで過ごすより他にすることもなく、物寂しい気分であるときに、十何日かの月が鮮やかに見える雲の切れた珍しい折に、夕霧が源氏の前に現れた。橘の花が月の光に照らされて現れ際だつ香を追うて吹く風が懐かしいから、「色かへぬ花橘に杜鵑千代を馴らせる声聞ゆなり」という後撰和歌集の歌のように、時鳥が来て鳴くであろうからと、待っていると俄に雲が立ち上がって意地悪くものすごく雨が降り出してきて、それに伴う強い風に、軒の吊燈籠のあかりも吹き消され、何と言う事なしに、暗い気のする時に源氏が急に、
「耿々タル残燈、壁ニ背クノ影、粛々タル暗雨、
窓ヲ打ツノ声」
 という珍しい白氏文集の古い詩を詠うのも、折が折なのであろうか、「ひとりして聞くは悲しき杜鵑妹が垣根に音なはせばや」の歌の通紫に聞かせたい源氏の朗々たる声であった。
「夕霧、独り暮しは、見た所、紫存命中と、格別違う生活ではないけれども、不思議に寂しいものであるよ。だがな。出家して深い山中の生活をするような場合を考え今からこのようにして独り住みに身を馴らして置くと考えると、すがすがしい毎日であるわ」
「女房の誰か夕霧に果物でも持ってきてくれ。
男の誰かを呼ぶのも夜が遅く大袈裟になるから」
 口には何と言おうとも心中は、恋しい紫の形見と、空を眺める様子が夕霧には限りなく御気の毒におもい、「これ程に、紫上を思い出しなされ、外に気が紛れないならば、出家なさった後も心が澄んで勧業されるであろう」
 夕霧は父源氏を見ていた。かれはかって野分けの朝に垣間見た紫の美しい可憐な姿を忘れることができない。まして父の源氏は紫を固く心の底に刻み込んでいると思うのであった。
「紫上のご他界が昨日今日のような気がしますが、一周忌の八月も、段々近くなってしまっているのですねえ。法要はどのようにお考えですか」
「そのようなことを計画を立てて、世間なみでない法要をしようか、しない考である。紫が、存命中に発願して、描かせてあった極楽の曼荼羅などを、今度の機会に供養しよう。紫の、直接書写し又は人に書写させた写経なども、沢山あるからなあ。この品々は有名な何とか言う僧都達が紫の遺志を詳細に聞いているので、その遺志のままに営み、別に又、それに付け加えて営まなければならない事なども、その僧都がもし言うならば、その指図に従って営もう」
「そのような事(極楽曼荼羅や経の供養)を、始めから、生前に特に御考えの上計画せられたのであれば、紫上の後世のためにも安心な事であるけれども、父上が、この現世では暫くの短い御縁であったと、御考えなされると、、せめて只の一人でも形見となる子供でも、紫上に、御ありなさらないのが、私は本当に残念でござりまする」
「そのことは短い縁でなく、現世で縁が深くて長命の婦人達にも、その形見を残すというような事が、大体少いのであるから、紫の口惜しさではなく自分自身の残念さである。夕霧こそ家門をば繁栄させてくれるであろう」
 と二人は話し合う。この頃は、色々なことに紫を思い出し、悲しさを我慢できない心弱さが、きまり悪いので、過ぎてしまった昔の事を、あまり話さないのに、この夜源氏が待っていた時鳥が、かすかに鳴いた「古の事語らへば杜鵑いかにしてかはふる声のする。待っているのを、どうして知っていて鳴くのか」と、源氏は古今六帖の歌を口ずさんで驚くのであった。

亡き人を偲ぶる宵の村雨に
    濡れてや来つる山ほととぎす
(亡き紫を追慕して、今宵、私が泣いている涙のような村雨に濡れて来たのであったか、山時鳥は)