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私の読む「源氏物語」ー62ー 幻

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「故藤壷中宮(薄雲女院)がかつて御かくれなされた春の事であるが、私は美しく咲く桜花を見ても悲しく、桜の花に心があるならば、墨染に咲けと、叫んだものである。それは、みんなも知っている事であるが、故藤壷中宮の美しく風情のあった御容姿を私は幼いときから見て心の中に染みついてしまい、死に去られた方との別れが人以上に悲しかったからである。哀愁を感ずる事は、自分の特別な夫婦の仲などに、よらないものである。源氏は藤壷との秘めた関係を悟られぬように言葉に注意して言った。長年連れ添った紫に先立たれ、私は諦めようとしても、諦める方法がなく悲しくて、紫を忘れる事が出来ないのもこのような長い夫婦仲の、死別の悲嘆だけではない、紫が童女であった頃から私が彼女を養育したのが、夫婦として老いたときになって彼女に捨てられて、この世に残った私も、あの世に行った紫も追憶の悲しさが堪えられないのである。
 大体、物の情趣も、才覚などの奥ゆかしく由緒ありげな事も、芸能などの風流な点も、紫には思い出となる事が多いので、彼女への哀愁が、深く堪えられないのですよ」

 と夜が更けるまで明石と源氏は昔の事、今の事を話し込み、このままここで夜を明かそうかと、思うのであるが自分の部屋に帰ってしまったのを、共寝ぐらいはしたかったと、明石の上は寂しく又悲しく感じた事であろう。源氏も自分の心の中にふと思ったことを、昔は泊ったが、今は出家の志がある故に、明石上に愛欲を感じたが泊らないと、人間の欲をしみじみと感じていた。明石上の許に当然一夜を明かすはずの夜とは思ったものの、自分の部屋に帰っても、源氏は、何時ものように、念仏読経をして、夜なかになってから、常の座所で物に寄りかかって仮眠をした。朝になり明石の上に文を送る、

なくなくも帰りにしかな仮の世は
     いづこもつひの常世ならぬに
(私は泣きながら、昨夜は、泊らずに帰ってしまいましたよ、仮の世は、何処も同じ事で、最後の永久不変の世ではない故に)

 源氏は斎宮集に「白露の消えにし人の秋待つと常世の雁も鳴きて飛びけり」を思いだし、三月であるから、帰雁に寄せて詠んだのであろうか。
 受けとった明石の上は、源氏が泊まってくれないので恨めしかったが、あのように今までにない別人のような源氏が、ぼんやりと考え込んでいる姿を、自分も苦しく見ていたので独り寝の寂しさはさしおいて、源氏の歌に涙ぐんでしまった。返歌は、やはり雁を使って、

雁がゐし苗代水の絶えしより
     映りし花の影をだに見ず
(苗代水(紫上)が、無(亡)くなってからは、せめてその水に映じていた(紫上の所に御越しなされた)花(源氏)の影さへも、私は見ない)

 と、紫上の死後、源氏は愁傷のあまり明石上に疎遠になってしまったと恨みを少しこめていた。
 源氏は読んで、明石の相変らず、深い趣のある書きぶりを見るにつけても紫は、よい加減小づら憎い者として、明石を思っていたが、紫が明石の産んだ姫(明石中宮)を養女としてから以後の晩年には、お互い気心を分かり合える仲で、安心して信頼するように打ち解けていたが、そうであると言って、それはそれで又、何もかもすっかり、紫は打ち解けなくて、心深く奥ゆかしくしては明石上とつきあいしていた心構えを、明石上はとくにそうとも気がつかなかった。と源氏は紫と明石の関係を思い出していた。源氏はとても寂しい時は、このように宿泊はせずに、只あっさりと、明石方に顔を見せることが時々あった。然し、以前のように泊まって共寝をして睦み合うようなことはなかった。
 例年四月一日の衣替えの衣装として、夏のお方と呼ばれている花散里から装束が送られてきた。歌が添えられている、

夏衣裁ち替へてける今日ばかり
     古き思ひもすずみやはせぬ
(夏衣に召しかえてしまうのであった今日(四月一日)だけは、紫上への悲しみも、懐旧の情愛も涼み(さめ)はなさらぬか、涼みなされるであろう)

 涼みをさめると読んで紫への悲しみを一日だけ忘れなさいと言ってきた花散里に源氏は

羽衣の薄きに変はる今日よりは
      空蝉の世ぞいとど悲しき
(蝉の羽衣のような薄い、一重の夏衣に変るにつけても、今日からは(紫上への懐旧の情愛がさめるなどということはなくて)、仮のこの世が、いかにも一層ひどく悲しいのである)

「うつせみ」は「うつゝの身」で、この世に生きている体と考えて、返歌した。
 賀茂祭の日 源氏はすることもなく、今日は祭り見物で誰もが気持ちよいであろうなあ、と賀茂祭りの賑わいを思いだしていた。
「女房などは、どんなに手持ち無沙汰だろう。そっと里下がりして祭りの行列でも見て来なさい」
 と女房達に言う。女房の中将の君が六条院の母屋の東側の自分の局でうたた寝しているところへ源氏がやってきて、中将を見ていると、源氏の来訪に気がつき美しく可愛い様子で起きあがった。頬の工合が、花やかに赤味を帯びてつやつやしている、寝起きの顔を扇で隠して、いくらか乱れて毛羽だった膨らんでいる髪が肩に垂れかかっている姿などは、大層美しく可愛げである。喪を開けをしていないので紅色に黄色の加わっている柑子色の袴、紅色にやや黄味のある萱草色のひとえ(一重)の衣、袿は濃い鈍色に表着の黒色など寝起きで五衣がきちんと重なっていない、裳や唐衣も後に脱いだままにしているのをを、源氏が来たので何とかして裳を腰に、唐衣を肩に繕うとしたときに、葵を側に置いていたのを源氏が取り上げて、
「この草は何とか言う名であったが、忘れてしまった」 
 と、源氏はあふひ(葵)に「逢ふ日」を掛け、以前は逢ったが、その後は逢わぬ由を、ほのめかしたのである。中将はすかさず、

さもこそはよるべの水に水草ゐめ
     今日のかざしよ名さへ忘るる
(昔はよくお逢い致しましたのに、いかにも、そんな葵、逢う日も忘れてしまったと仰せられる、御心が変り、私への情愛も無くなって久しくなり、私を御見捨てなされ、神のよるべの水もなくなって、水草が生えるのでありましょう。今日の賀茂祭の挿頭とする葵でござりまするよ。その葵の名、逢うという言葉までも御忘れとは、恨めしゅうござりまする)
 と恥ずかしそうに然し内容は少し辛辣に中将は返歌をする。源氏は、なる程、中将君の言う通り、久しく逢わないと、思い中将君が気の毒なので、

おほかたは思ひ捨ててし世なれども
      葵はなほや摘みをかすべき
(大体、一通りは、既に思い捨ててしまった、憂き世であるけれども、君に逢う日(葵)は、まだやっぱり、煩悩の罪は犯すであろうか)

 やはり源氏は喪中とはいえこの女房と一夜を過ごそうとしていた。
 その夜中将の君は女房達の集まる中で、
「唐国から我が国に伝わった医書に、男女の交わりのことが書いてあり、それを読んだ人から聞いた話なのですが」