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私の読む「源氏物語」ー62ー 幻

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(私が、今は出家するといって出て行たらば、荒廃してしまうのではなかろうか、亡き紫が、心を寵めて作った春の庭であるものを)
 と言って、人がさせるのではなく自分が進んで出家するのも悲しいことである、と思うのであった。
 源氏はすることもなく物寂しいので、二乗院から今は入道の宮となった三宮の居る六条院へ行ってみると匂宮も女房に抱かれて、六条院に来ていて六条院の三宮の子供の薫と走り回って遊んでいた。二乗院で源氏に「木の周囲に几帳を立てて」など言った花を大事にする気持などは全く忘れて、匂宮はここに来ては全く子供である。三宮は仏壇に向かって経を読んでいた。深く考えた末の出家ではなかった三宮であったが、生まれ育ちが宮家であるのでこの俗世間に染まることなく生長したのか、世間のことで心が乱れ煩悶する事もなく、仏道に入って修行を素直に行い仏道修行一方にこって、俗界から離れた姿が源氏には羨ましく、こんなにそう考えもしないで出家をした、女の道心にまでも、自分は、おくれてしまったと、悔しく感じていた。仏前に供える水の中にある花が、折から、タ日に照り映えて美しいのを見て、
「春が好きだった紫が亡くなって、春の花の色が興味なくなってしまったが、花は仏の御飾りであってこそ、見るべきものなのですねえ」
 と言い、続けて、 
「紫が住んでいた、六条院の西の対の前の山吹はやっばりあまり見ることが出来ないものであった。房の大きさなど、山吹は、上品に咲こうなどとは、考えない花であろうか、古今和歌集の中に紀貫之の詠った
「色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき」(この家の梅の花は色も香も以前と変ることなく美しく鮮やかに咲き香っているが、それにつけても、植えた人の面影が恋しく思い出されることだ)この歌の通り、この花を植えた人は陽気な方でこの山吹は自分に合った花であったのであろう。その花が植えて貰った紫が亡き人となったことも知らずに例年よりも美しさを重ねあって八重山吹の咲いているのが、見るも悲しいことだ」
 三宮の答えは、
「光なき谷には春もよそなれば咲きて疾く散る物思ひもなし」(日の光があたらないこの谷間では春など遠いよそごとなので、花が咲いたかと思うとすぐに散ってしまうというような心配事もない)
 と、何の気なしに古今集の清原深養父の歌を
帰したのであるが、「光なき谷には」は、女三宮の卑下であるが、「物思ひもなし」が、折からの源氏の心には、面白くないのであった。この歌の全文に「時めいていた人が急に羽ふりがわるくなって歎いているのを見て、自分はそんな歎きもなく喜びもないことを思って詠んだ歌」のときめいていた人を紫に重ねると、源氏は、外に言う事はあるというのに、私が紫の死を思い悩んでいる時に人の気持ちを汲まないで嫌なことを言う。第一にこのようなちょつとしたつまらない返事の場合につけても、紫は、その事は、そうでなくてこうあって欲しいと、私が考える事に、逆らったことなく一生を終えてしまったなあ。源氏は北山で初めて紫を見たときから、紫は十歳ほどだった、あのころは何があったか、あのときかのおりと才覚があり、何事にも切れ者で気転がきき、余韻余情の多かった性格や態度や、言葉ばかり思いだしてくるので源氏の涙もろさが出てきて苦しむのであった。

 タ暮で、霞が、朧ろにほんやりと立ちこめてきて、何となく心を動かす風情のある頃であるから、三宮方からそのまますぐに源氏は明石の上の処を訪れた。長らく、顔出しをしなかったところへ不意に源氏が訪れたので明石上は、考えても見なかったことなので、愕いたが、体裁よく応待し、身の持てなしも奥ゆかしく取り繕っているので源氏は、やはり、明石は、他の者に比較して優れているわ、と思い、明石のような態度ではないけれども、紫なれば、扱いが格別で、情緒もあり艶があったと、二人を自然に比較していた。そうするとまたもや紫が面影に浮んで目の前にちらつき恋しく悲しみが湧いてくるので、この気持ちをどう静めようかと苦しむが、明石の部屋で和やかに昔のことを話すのであった。
「女人を、可愛いと、もしも心を留めるとすれば、仏の道に進むには悪いことであると、昔から思っていて、私はどんな点にでも、この世にそれにとらわれ執着の残るようなことがないように、随分と努力もし用心をした故に、世間の目から見るとあの須磨に流れたときに、一生涯すたり物になるに違いと思われたであろうが、当時はあれこれと、色々と考えた末に、生命をも、自分で捨ててしまうように、野の末山の末に、たとい出家して流浪するとも、それでも差しさわりはない言う考えに、あの当時はなったのであるがねえ。されど出家もせずに、都に帰ってしまった。晩年になり、寿命も今はこれまでという臨終の時が間近な身で、なんとなく 今日まで過ぎてしまった。これは、私の意志が弱いことからであるが、はがゆいことであるよ」 と、特に今の自分の心は紫の事一つだけの悲嘆ではないように言うが、紫を恋いこがれているのを明石に隠そうとするのがありありと分かり、彼女はそんな源氏を不憫で可愛い男の方と見ていた。
「一般の人には普通の人にしか見えなくても、その人に関わった人達には、心の中に忘れ得ぬ人となっている執着が、沢山あります。ましてや源氏様にはそう簡単にはこの世から去ることは難しいことで御座りましょう。お考えの心安く簡単に捨てなされるように、考えの浅い出家は、却って軽率なことをなさったと、非難を受けるということにもなり、中途半端な考えで、出家しない方がよかったと後悔する事などがあるという事でございますからねえ。ですから、
出家を御決意なされる時に、もしも決心がつきかねるようでおありならば、その迷いが、出家として、結局最後まで道心堅固で一生を過ごすという意思の点で、少し浅いのではと、私は思うのです。昔御出家なされた方のことなどを私が聞いていますと、激しく感動したり悲嘆するとか、又は思い通りにならない点があるので、そんな怒りや感動の興奮が、世を捨て出家する動機になるとか、申しまする。そのような動機はあまり感心しないと世間お人が言うのを私は多く聞いています。ですから源氏様も出家を暫く御考えの上御延ばしなされて、帝のお子達が少し生長なされ、明石中宮の一宮を、確実に、春宮という動かない位に着かれたのを見届けられる時期まで、貴方様に出家しようなどという、心の動揺がないのでござりまするならば、いかにも、私は、一宮のためには安心にも思い私も嬉しゅう御座います」
 と明石の上が源氏に少し大人ぶって言うのは源氏の耳に気持ちよく聞こえた。
「そんな先の時まで、考えて延期るとすれば、その慎重は、逆に軽率に出家するよりも、きっと劣るであろう」
 と言って、源氏は昔からの自分の事に関する考え方を話す中で、