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心の奥の雨の森

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「ぼくにとっては同じなんだ。ぼくがきみに指図したことは、一度もないだろう? きみもぼくに指図すべきじゃない」
香代子はかまわず言った。
「今日の国語の授業。瀬尾くんがさされる夢をみたから、良く勉強しておいた方がいいわよ。よけいなおせっかいかもしれないけれど」
「よけいなおせっかいだよ、完全に」と、ぼくは言った。

あくる日、授業が終わって、ぼくが教室を出ようとすると、香代子がまた声をかけてきた。
「瀬尾くん。自転車に乗ってはダメよ」
「どうして?」
香代子は言いづらそうにうつむいた。
「夢に見たのよ…」
また夢か。香代子の夢の話には、もううんざりだ。
「どんな夢だよ!」
「それは…」
香代子は言いよどんだ。
「ぼくが自転車に乗るのは、ぼくの勝手だろ。きみにそれを止める権利はない!」
ぼくは言い放った。
完全に頭にきていた。

うちに戻ると、父さんがぼくを待っていた。
となりには、若い女の人が、父さんに寄り添うように座っていた。
「智之。父さんはこの人と結婚しようと思うんだ」
ぼくは、あらためて、女の人を見た。本当に若い女の人だ。たぶん、大学を出たばかりの島崎先生と同じぐらいだろう。
「これからよろしくね。智之くん」
女の人が頭を下げた。
「父さんは、母さんを忘れてしまったのかな?」と、ぼくは言った。
「忘れてはいない。それに言っておくが、この人を母さんと呼ぶ必要はない。それでも、これから生活を共にする家族だ。一応、紹介をしておく」
ぼくは黙っていた。
「だめか? だけど、父さんはもう決めたんだ」
「いや、父さんが決めたことなら、それでいいんだ。ぼくが口をはさむことではないよ」

なぜなんだろう?
大人のおつき合いには口を出さないと心に決めていたのに、ムシャクシャした。
ぼくは、うちを出て、自転車にまたがった。
とにかく、自転車を思いきりこいで、この気持ちを追い払いたかった。
ぼくはペダルをぐっと踏みしめて、自転車をこぎだした。
どこに行くあてもなかった。
この気持ちを忘れられる所なら、どこでも良かった。

ぼくは無茶苦茶に自転車を走らせた。
頭にさっきの父さんの言葉が響く。
「父さんはこの人と結婚しようと思うんだ」
気に食わなかった。
「父さんはもう決めたんだ」
しゃくだった。
そんなふうに、自転車を走らせて、交差点を渡ろうとしたときだ。
大型トラックが信号を左折してくる!
慌ててさけようとしたが、気づくのが遅かった。
トラックに自転車ごとぶつかり、ぼくは空中で一回転。目の前が白くなった。

気づくと、ぼくは森にいた。
木の葉の合間から、ぽたりと滴が落ちてきて、ぼくの頬をぬらした。雨…雨だ…ここは香代子が言っていた、雨の森なのだ…。
木々の根もとには、苔がびっしりとはりついて、光っていた。
とりあえず、ぼくは前に進むことにした。
とは言っても、どちらが前かはわからない。深い深い森だった。
手探りで進むうちに、足下が踏み固められて、いつのまにか歩きやすくなっていることに、ぼくは気がついた。
道。確かに道だ。森の小道が奥へと続いている。ぼくは、この道にそって、進むことにした。
雨はしきりに降り続いている。
少し行くと、木々の合間から、ちらちらと白いものが、見えかくれする。
やがて、その正体がわかった。
人だ! 白いワンピースを着た女の人が、ぼくの行く手に立っているのだ!
女の人は、ぼくを見て、微笑んでいた。
そして、その人の顔は…写真でしか見たことのない、あの人…。
「智之。あなたを待っていたわ」
母さんは言った。

「母さん…ここは…ここはどこなの?」
ぼくはたずねた。
「ここはあなたの心の奥にある森」
「ぼくの心の奥にある…」
「そして、ここは向こうと繋がっているわ」
「向こう…向こうって?」
「母さんがいる世界」
そう言って、母さんは森の奥を指さした。そこにまばゆい光が見えた。
「智之。これ以上、先へ進んでは駄目よ」
「なぜ?」
「戻れなくなる」
「戻れなくなる…もといた場所に戻れなくなるという意味なんだね」
母さんはうなずいた。
「そう。もとの世界に戻りなさい。智之」
「戻りたくなんかない!」
ぼくは首をふった。
「あっちはロクでもないところさ」
「しかたないわね、智之。こっちへいらっしゃい」

母さんは、ぼくの手をとると、先へと進んでいった。
道を脇にそれて、少し行くと、ひらけた場所に出て、そこに家があった。
平屋の小さな家だ。
母さんが家のドアを開けた。
そこには、小さなキッチンと、テーブルがひとつ置かれていた。
「時間がないから簡単なものしかできないけれど…」
キッチンに立つと、母さんは料理をつくりはじめた。
ぼくはテーブルに座って、母さんの後ろ姿をながめた。てきぱきと動いて、とても手際が良かった。
やがて、テーブルに並んだのは温かいシチューとパン。
ぼくと母さんは、テーブルをはさんで、向かいあった。
「母さんの手料理、始めてだね」
シチューを口に運びながら、ぼくは言った。
「おいしいよ、とても」
「良かったわ」
「一度、母さんとこうしてみたかったんだ」
「母さんもよ、智之。大きくなったわね。父さんはどうしてる?」
「父さんは…父さんは忙しいみたいだ」
「大人のおつき合いには、口を出さないようにしているのよね」
「なんだ。母さんには全部わかってるんだね」
母さんは黙って微笑んだ。
それから、母さんと少し話をした。学校のこと。香代子や友達のこと。
やがて、ぼくはそれに気づいた。
「母さん…手が…」
母さんの手がすきとおっている。テーブルクロスの模様がすけて見えるのだ。
「わかるでしょう、智之。もう時間が来たの」
母さんは、スプーンをテーブルに置いて、ぼくをじっと見つめた。
「私はずっとここにはいられない。あなたもいつまでもここにとどまるべきではないわ」
「嫌だ!」
ぼくは首をふった。
「連れてって!」
すると、母さんは微笑んだ。
「小さい頃、あなたは手のかかる子だった。夜泣きがひどくて、母さん、とても困ったわ」
「知らなかったよ」
「だけど、智之。それが本当のあなたなんでしょう。熱い心を持った駄々っ子のように、本当はもっともっと自分を試してみたいのよね」
母さんの姿が次第に薄れていく。こんなふうに、こんなふうに、母さんは行ってしまうのだろうか。こんなふうに、こんなふうに、また別れなければならないだなんて。
「こんなに豊かな森を心に持つあなただもの。智之が行きたいのは、空と海の向こう。もっとずっと先なんでしょう? やってみなさい、智之。母さん、見ててあげるから」
ぼくの肩に、母さんはそっと手を置いた。薄れてはいても、その手にはしっかりとした温かさがあった。
「行ってらっしゃい、智之。お友達が待っているわ」

「瀬尾くん!」
気がつくと、香代子がぼくの顔をのぞきこんでいた。
「意識を取り戻したようです」
白衣を着た医師が、脇に立っていた。
「智之!」
父さんも脇に立っていた。
「おまえの心臓は一度止まったんだ!」
「瀬尾くん! 良かった!」
香代子は泣いていた。
「本当に本当に良かった!」
身体のあちこちが、しびれるように痛んだ。きっと麻酔が切れかかっているのだろう。
作品名:心の奥の雨の森 作家名:関谷俊博