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私の読む「源氏物語」ー61-御法

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 紫は昨日の催しに一日中起きていたからか、今日は気分が悪く、臥していた。 年々、このような、何か催しのある度ごとに二条院や六条院に来られて楽器を演奏して遊ぶ人達の、御容貌や様子の、又その方々が各自思い思いの才能や琴・笛の演奏を、今日で見納めになるであろう、と紫は思うと今までは目にとまらなかったそれほど親しくもない人達も何となく懐かしく思って見えるのであった。まして、夏や冬など、四季の折々の演秦を楽しむ場合でも、紫上には、少しだけは競争意識が自然に内心にあるものの、親しくする花散里や明石などとは、誰もが長くこの世にあることは出来ないものであるが、先ず自分が一番先にこの世から消えると思うと悲しく思うのである。
 供養の催しが終ったので参会していた人達がそれぞれ帰っていくのを、此が皆様との最後の別れとなるのかと紫は名残が惜しい。花散里が帰ろうとするのに、 

絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる
      世々にと結ぶ中の契りを
(命の、当然、絶えてしまうはずの、私の身であるものの、この御法(供養)の通り、私は、自然、御身から離れないといかにも頼まれる。縁を生々世々、永遠にと結んでいる二人の間の約束であるからねえ)

結びおく契りは絶えじおほかたの
     残りすくなき御法なりとも
(御身と結んでおく約束は、絶えるはずがないと思う。残り少い(僅かな)一通りの供養でも、有難い供養であるから、たとい私は残りの命(行末)が少い(短い)世間並の身であるとしても)

 それから今回の供養会のついでに、夜昼を通じての毎日読む経を読経し、法華経を読誦して罪障を懺悔する法など、途絶えることなく有り難い仏事をして貰った。加持祈祷は新たな効験が見えないまま期間も長くなり、平常の読経や懺法となり、しかも引き続いて自分の経を有名な都の各寺に祈願の読経をしてお願いした。
03
 夏が来て紫は病の上に普通の暑さでも紫は堪えるのに必死であったのに、病は特にどこがどう痛むとかということはない気分であるけれども、体全体が衰弱の状態になってきたから、不快苦しく悩むようなこともない。付き添っている女房達も、工合はどうなのか、快復していっているのであろうかと、見つめているが、気分的には暗い感じで、また病が進行していった悲しい状態であると紫を見つめていた。紫の状態がこのように悪いので、明石中宮二乗院へ見舞いに来た。二乗院の東の対に明石中宮は部屋を取っているので、それはそれとして、紫は明石中宮を寝殿で待っていた。中宮里下は行啓というのであるからその儀式などは、いつもに変らないけれども紫は、「明石中宮腹の皇子達が、成長後、春宮や帝となる事を見極めることが出来なくなってしまう口惜しさ」など許りを口に出して言うので女房達やその他紫を見聞く者達は可哀想に思うのであった。明石中宮行啓の供奉の公卿達が名のりする声(名対面)を、御聞きなされるにつけても、名前の知った人や声を
自然に聞くのである。中宮行啓の名対面は、中宮の行啓の際に、公卿各自が、高声に官姓名を名のるので、自己紹介的なものである。その声が寝殿まで聞こえてくるのであった。上達部が多数明石中宮に従っていた。明石中宮は紫が小さい頃から養育したから、入内してから久しぶりの対面で紫は嬉しくていろいろと話をした。源氏も入ってきて、
「私は今夜は巣から離れて、あらぬ所に寝る鳥のような気がしてつまらないよ。では部屋に退散しよう」
 と言って自分の部屋に行ってしまった。言辞は紫が起きあがって中宮と話をしているのが嬉しかったが、間もなく紫上が他界するとも知らず頼りない暫くの気休めである。
「私と別々に、私が東対に母上が寝殿にと離れて御ありなされては、母上が私の東対に御越しなされるような事は勿体ないことです。それはそれとして、母上の寝殿の病床に始終伺うような事は、今は中宮の身となった私は、無理になってしまっておりますから、お逢いするのが難しゅう御座います」
 と言って明石中宮は暫く紫の病床の寝殿にいたので、実の母親の明石の上も寝殿にやってきしんみりとした御話などを。
て、しんみりと、実の親、養い親三人で話し合うのであった。紫は心中に、明石中宮や皇子や皇女の将来のことなど心配事が沢山あるけれども、出しゃばって自分が亡き後のことを遺言めいて言うことはなかった。ただ、一般の世の中のいろいろと問題があることを、おっとりと言葉は少いながら、しっかりとした考えを許にして、敢えて言うのは、いかにもしみじみと感じられて紫が心細くになっているのが中宮親子にははっきりと分かるのであった。明石中宮の子ども達を紫が見て、
「宮達の行く末を拝見したいと思っているのであるが、このように病で頼りない身を、惜しいと思う心がまじつているのであろうか」
 と言って涙ぐむ紫の顔の紅潮したつやつやしさはとても美しかった。
「どうしてこんなにも弱いことを言われるのか」 と中宮は泣きだしてしまった。紫は忌むような遺言の口振りでなどは、わざと言わず、ついでのように、
「長年私の許に仕えてくれた女房達の中に、特別な縁故者がなく、気の毒な、この人あの人を私がこの世を去った後、貴女は、心に留めておいて、面倒を見下されよ」
 だけを明石中宮に頼むのである。春の季の御読経が始まるので明石中宮は、御自分のいつもの東対に戻った。これも、里で行わせられる御読経である。季の御読経は、二月と八月とに紫宸殿に百僧を請じて行われ、三日間に大般若経六百巻を読誦ずることで今回は三月に行われた中宮の季の読経である。
 中宮の三宮、匂宮は沢山いる兄弟の中で可愛らしく今年五歳になった。紫は病が少し小康であるときは前に座らせて誰もいない間に、
「私がこの世からいなくなったら、私のことを思い出しますか」
と尋ねると、
「思いだして探し回ります。私は、帝よりも、明石中宮よりも、母様を、本当に恋しく思っています。母様がいらっしゃらないと、私はきっと気がむしゃくしやするでしょう」
 と目を拭いて涙を紛らす様子がおかしくて紫は涙を流していた。匂宮は紫上に育てられたので、明石中宮を宮、紫上を母と思って「はゝ」と呼ぶのであろう。子供にはあり勝ちな事である。紫は、
「大きくなって大人になったらこの二条院に住んで、私の常にいたこの西の対の前にある、紅梅と桜と花が咲いたら注意してご覧なさい。また、当然、仏様にも花を奉りなさいよ」
04
 匂宮はうなずいて、変な事を言われるとでも思ったのか紫の顔をじっと見つめて、悲しくなって涙が流れてきたので急いで座を立ってあちらの方へ行ってしまった。紫は特別に引き取って育て他ので、この匂宮と姫宮の将来を見ることが出来ないのが口惜しいし悲しいのであった。
 秋になり世の中が少し涼しくなって紫の気分も、少しさわやかで清々するようであるけれども、彼女の病気にはやはり涼しいことも、どうかすると、障害となるようである。そうかと言って、和泉式部の歌「秋吹くは如何なる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ」、のように身にしむ程の秋風ではないけれども、涙に濡れ勝ちで哀しく日を送っていた。