私の読む「源氏物語」ー60-夕霧ー3
また鎖しまさる関の岩門
(御身の無情を、私が恨み悲しんで、胸が塞がって開きかねている冬の夜に、その上更に又、一層きびしく戸をさしかためて、私を拒否なされる塗籠の戸は関の岩かどのようであるよ)
話そうとも話しようがありませんね」 と言って、涙ながらに一條宮を出て行った。
夕霧は一條宮を出た後我が家には帰らないで六条院へ寄って、花散里の許で休んでいた。
「落葉宮を、小野の山荘から御本邸の一条宮に、御移し申しあげなされた事よと、前大臣の方で評判にしておられるのはどういうことですか」
と花散里が柔らかく尋ねる。御簾のなかで几帳を隔ててであるが、几帳の端から花散里の姿が微かに夕霧には見える。
「そんな噂のような風に、やっばり世間では言ってますか。私が落葉宮を恋していることは亡くなられた御息所は、大層強く、あってはならないことと思うと、かつてはきっぱりと言い切りなされたけれども、御臨終の時に、気持が弱くなりなさったのでしょうか、または、亡き後後ろ身をする人がないと思われたのでしょうか、そのことが悲しくてか、亡き後の後見を頼むと遺言されたことが、柏木との情誼もあったことなので、落ち葉宮の後見を私にと思われたのでしょう。それを色々と、
世間の人は言っているのでしょう。それ程の、大きな事件でもあるまいと思う事に、変な風に世間の人は口のうるさいものであります」
と夕霧は笑って、さらに、
「本人が、どうしても、この俗世間の生活はしたくないつもりであると、固く決心して、尼になってしまおうと、沈みこんで悩み考えているようであるから、私の言う事を聞くことはありますまい。仮に私の心に従って婚姻したとすれば、噂が広まるでしょうから。
そのように尼になりたいと思いであるから尼になって、私との婚姻という世間の疑惑がなくなっても、私は御息所の遺言は守っていくつもりです、専ら、このように浮気なんかを離れて、助言し御世話していくつもりです。父が此方に来られたときにこのように御話し下さい。今迄、真面目に過ごして来て、今になつて、面白くない料簡を私が起すと、父源氏が考え、御叱りを仰せられるかも知れない事を承知していますけれども、浮気心を離れて御世話申すと言ってもなる程世間の噂の如くこのような、恋路の事では、いかにも、他人の注意に対しても、自分自身の良識の判断にも従わないようであります」 タ霧は、小さい頃から育ててくれた母のような花散里にだけは、本心を語ったのである。
「嘘の噂だけであろうと、私は思っていますよ。そのように見えたのではないでしょうか。色々なことを言うのが世間というもので、三条の姫君、雲井雁の気持が可哀想ですね。今までは本当に円満にお暮らしでしたから」
「姫君と、可愛らしく無理してお言いになる。反対に全く、鬼のようでござる、たちの悪い手におえないじゃじゃ馬ですのに、姫ねえ雲井雁が」
と笑って、さらに、
「その鬼を私がどうして粗略に扱いましょうか、失礼ですけれども、あなた方の(花散里外、紫上・明石上など)の身の上などからでも、推量なさってください。平和であればこそ人としては、結局の勝利であるように見えます。性格が悪く、事を大袈裟に荒立てる妻も、暫くの間はうるさく面倒のようで、此方が遠慮せずにはいられない事もありますが、男という者はいつまでも、ことを大きく考える女に服従してしまうことは出来ませんので、何かと、ごたごたの起きた後は、自分も女も、御互に憎らしくなり、飽き飽きしてきます。紫様のように色々の点で、この世にも珍しく、それから又、こちらの御方(花散里)の御気持などは、いかにも雲井雁と比較ぢて立派であると私はっきりと分かりました」
と夕霧は養母のような花散里を褒めちぎると彼女は笑って、
「立派な、何かの例に、私を引き出しなされる間に、却って、わが身の外聞の悪い欠点のある評判が、人目に立つに違いないと思いますよ。それにしても、おかしな事は、源氏様がご自分の浮気性を、人が知らない事のように平気でいて、少しぱかりでも浮気めいている、タ霧様のお気持ちを、大変困った事と御考えなされて、貴方に注意なさる。又、噂の蔭口にまでもとやかくとおっしゃるのは、利口ぶる人が、自分の事を知らない、ように私は見ていますが」
「その通りです、いつも、この好色の女関係の事に対して特に私に注意しろとおっしゃいます。そうであるけれども、父源氏の感謝に価する御教訓によらなくても、私は充分自分の自制をしています」
賢人身の上知らずと、花散里が言われるとおり、なる程、妙な事であると、タ霧は思うのであった。
源氏の前に出た夕霧は落葉宮との噂のことは、父源氏も耳に入っていたが、どこからか、タ霧と落葉宮との噂を、聞いているが、そんな顔を引っ込めて知らないようにしていようと、ただ普通に夕霧を見ていたが、夕霧は清らかな顔をしていて、この頃、年一年と大人らしくなっていく男の盛りであるよと、思っていた。であるから噂のような、落葉宮との浮気事が本当であっても、人が咎めるようなことではない、恐しい鬼神でも、過失を許すに違いないように、はっきりとして、何となしに美しげで、若々しく今が盛りと、つやっやとした美しさを周辺に散らしなされた。若いと言うことは、それはそれとして、世間の事がわからない若者という年輩ではないし、何一つ不十分な所がなく、完全に成熟なされた容姿は浮気するのも道理である。女ならば、どうしてタ霧を思い慕わないであろうか。落葉宮が、タ霧に靡いているのも当然である」
と源氏は夕霧の行動を考えている。
夕霧は日が高くなった頃に三条殿に帰ってきた。待っていたように子供達が夕霧にまとわりつく、しばらく遊んでいた。雲井雁は御張台の中に寝ていてタ霧が御張台の中に入っていっても、雲井雁はタ霧を見向きもしない。私を恨んでいるようであると、夕霧は妻の態度から想像する。その恨みは本当のことであるが、タ霧は、遠慮することもなく、雲井雁が上にかけていた彼女の衣を引きはがすと、
「ここを何処だとお考えですか貴方は。私は、とっくに死んでいます。私のことを常々鬼とおっしゃいますが、生きていても鬼と言われるから、人でも鬼でも同じ事であるならば、一層鬼になってしまおうと思って、死んでしまった」
「そんな事を言う貴女の心は、本当に鬼よりも恐しいけれども、顔かたちは可愛らしいのでどうすることも出来ないよ」
と、夕霧が何事もなく答えるので、雲井雁は腹だたしくて、
「御立派なお姿で、女の好くあでやかさのおそばに私のような者がくっついていてはお困りでしょうから、どこへなりとも消えてしまいますよ。やっぱりもう、さまは憎げもないから、見捨てかねるなんということを、思い出し下さるな。こんなに、つまらなく長い年月を貴方のお側にいたことが口惜しい」
と言って起きあがった雲井雁の姿は、大層、可愛らしさに、怒って上気した顔が何となく赤みがあるのが何となく魅力がある。
「かように子供のように立腹されたからであろうか、私は見馴れてこの鬼は、どうも軽々しくて、今では恐しくなくなってしまっています。鬼神の勿体なくて恐ろしいい風情を加えたいものである」
からかい気味にわざと夕霧は言うのであるが、
作品名:私の読む「源氏物語」ー60-夕霧ー3 作家名:陽高慈雨