私の読む「源氏物語」ー59-夕霧ー2
何時もの寝殿の西側で、落葉宮の部屋の、隅の開き戸のそばの簀子に、タ霧は立ち寄り、そのまま景色を見て立っていた。着馴れて体になじんでいる直衣に、紅色の濃い下の下襲で、直衣は砧で打って出した艶が大層美しく、まだ夏の直衣であるから薄い故透き通って日影の弱っているタ日が、弱くなっていても、相当に無遠慮にさしてくるのを、まぶしそうに、そしてわざとらしくなく扇をかざして避けている手つきは女にこれだけの美しさがあればよいと思われるほどで、それでも女でもこれほどの美しさはない、と女房達は眺めていた。寂しい人たちにとってはよい慰めになるであろうと思われる美しい様子で、特に名ざして少将の女房を簀子の所まで呼び出した。タ霧のいる簀子は、少将と話をしていても、外の人にその話の聞える心配がない程に少将との間が狭いけれども、御簾の奥に、誰かが落葉宮に添うているのであろうかと、夕霧は気を遣って、少将と話が出来ない、
「私に近づいていなさい。私から離れなさるな。こんなに、山深く踏み分けて来る私の心には、打ち解けない所がありますか、ないでしょう。近くに来られても霧が深いから、出ていらっしゃい」
と言って、タ霧は、わざわざ少将をじっと見ている風ではないように、夕日に映える山の方を眺めて、
「もっとこっちへ」
としきりに言うので少将も喪中であるので濃い鼠色の几帳を簾垂の片端から少し押し出して、それに添うて坐し、几帳の外に出る着物の裾を、几帳の横の方へ片寄せ片寄せして、タ霧に見られないようにしていた。少将女房は大和守の妹であり大和守は御息所の甥であるから、小少将は御息所の姪に当る
ので亡き御息所とは縁戚になるから、幼い頃より御息所が育てられたことから喪中の服装も特に濃い鈍色で、どんぐり(つるばみ)の実の毬を煮て染めた黒褐色の喪服一着と、その上に小袿を着ていた。
「御息所のお亡くなりになった悲しみは勿論のことで、どんなに申しあげようとしても、申しあげようのない、落葉宮の御心の内を考えてばかりいますと、私はまったく心の落ちつきを失って心も魂もふらふらと体から抜け出てしまって逢う人ごとに、忍ぶれど色に出でにけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで、お前は恋に悩んでいるのかと、注意されますので、これ以上我慢をすることが出来ない状態です」
と少将に恨み言を言い続ける。あの御息所の臨終前に貰った文の、あの文面も、一夜ばかりの、の歌のことも、夕霧は言い出して涙を流すのである。聞いていた少将も貰い泣きをして、
「その晩は、タ霧様は御訪ねなさらずその上御返事さえも、見られなかったのを、御息所は、危篤になられたその御心中に、そのまま思い込みなされ、そうして暗くなってしまった時の空の様子に、タ霧から返事の来るあてもなくなり御気分が乱れてしまったのを、
そんなタ霧は来ず、又、返事までないので落胆なされた御息所の気持の弱めに、例の物怪が取り込み、と私は考えています。亡くなってしまった柏木様の事にも、御息所は、殆んど人心地をお失いになったようなことが多くございましたが、落葉宮が同じように沈んでいらっしゃったのを、慰めようという、いかにも気の張りで、次第に気を確かになされた。御息所のお亡くなりになったこの嘆きを落葉宮はただ、正気を失った御様子で、ぼんやりとして御暮しなされました。それで、返事も申しあげなかったのであります」
悲嘆をやわらげかねる様子で、溜息をつきながら、涙ながらに、とぎれとぎれに少将は夕霧に答えた。
「そうであったのか。それは何かぼうっとして、あまりにはっきりせずつかみ所が無く、どう言って良いのか落葉宮のつれない御心である。御息所亡き現在では、申しあげるのも恐れ多いとしても、私の他に頼ることが出来る人がおられるのか。父朱雀院の御山住みと言っても、大層奥深い峰に、現世を思い切って御捨てなされておられる雲の中のような所である、文を通わすのも大変なことであろう。小少将から全く、こんなに、つらく情ない落葉宮の仕打ちを、落葉宮に申しあげてください。世の中のこと総てが、運命的に定まっています、この世に生き長らえたくないと、落葉宮が御思いなされても、思い通りにならないのがこの世です。
万事が、落葉宮の御心のままになるならば先ず第一に、御息所とのこんな悲しい死別があるべきはずの事でしょう」 と夕霧は色々と述べるが、落葉宮の心が頑なで解けないから御返答できる言葉もないので、少将はどうすればいいか困っていた。その時鹿が大声で鳴いたので、それを聞いた夕霧は、妻を求めて鳴く鹿に、自分も落葉宮恋しさに泣くのは負けようかと、
里遠み小野の篠原わけて来て
我も鹿こそ声も惜しまね
(人里離れて遠く、小野の小竹の原を踏み分けて来て、鹿よ、自分も、いかにも、お前の如くに声も涙も惜しまないで泣いている)
少将が
藤衣露けき秋の山人は
鹿の鳴く音に音をぞ添へつる
(喪服も露っぽくしめっている、秋の山里住いの人は、鹿の鳴く音に、自分の泣く音をいかにも添え加えているのであった)
あまり出来の良い歌ではないが、場合が場合なので、小声で忍ぶような声づかいなどを、タ霧はこの女は、相当な者であると見た。落葉宮への伝言を少将を通じて色々と言うのだったが、
「現在では、このように私は初めてのことで驚き呆れている、夢の中の世界にいるようですので、その夢が少しでも晴れましたらば、絶えないタ霧様のお慰めの言葉に、御礼を申しあげましょう。今は正気もなく何もお返事は出来ませぬ」
とだけ少将を通じて落葉宮は愛想もなくはっきりと言わせた。その言葉を聞いて夕霧は、本当にあてにもならない落葉宮の御気持なのであるなあと、気を落として帰っていった。
夕霧は帰りの道すがら秋の寂しげな空を眺めて、九月の十三夜の月が花やかに明るくさし出ているので、薄暗い小野の山もまごつかずに帰ることができるので、「秋の夜の月の光し明かければくらぶの山も越えぬべらなり」(秋の夜の月の光はとても明るいので、暗いという名が付いているくらぶの山もたやすく越えられそうだ)と、古今集の
在原元方の歌。
「いづくにか今宵の月の曇るべき小倉の山も名をや変ふらん」(どこで今夜の月が曇るはずがあろうか。今夜の月の
明るさで、小暗いという小倉山も名を変えているのであろうか)と、新古今和歌集の大江千里の歌
二つの歌を思い浮かべていた。帰る道筋に落葉宮の本邸である一条宮の横を通ることになる。夕霧が見ると何となく以前より荒れたように見え、築地塀の未申(西南)の方の土塀の崩壊した所から、タ霧が内部を覗いて見ると屋敷は見渡す限り格子を下して人影がない。月だけが煌々と遣り水の上を綺麗に照らしているので、柏木と昔はここで遊んだのであると、その幾つかを想い出していた。
見し人の影澄み果てぬ池水に
ひとり宿守る秋の夜の月
(以前に逢った人の姿が永久に見ることが出来ない、この一条宮の池の水に、ただ独り留守番をしている、秋の夜の月であるなあ)
と独り言に歌を詠い、三条殿に戻っても月を見て心が空をふらついているようだた。その姿を見て女房も、
「忍び歩きはまあ見苦しいこと」
「これまで、かつて無かった御癖でありますなあ」
作品名:私の読む「源氏物語」ー59-夕霧ー2 作家名:陽高慈雨