私の読む「源氏物語」ー59-夕霧ー2
「日頃から御息所が重い病であることを聞いていたが、御息所は、何時も、病気がちとばかり、聞き馴れておりましたもので、いかにも気を許して,見舞もしなかった。言うても甲斐のない御息所の死に対しては、悲しい事、それは当然として、想い嘆く貴女のことを推察して私は、しみじみと、気の毒でに思うのである。けれども、この無常は、すべて世の中の道理として避けることが出来ないことと思いなさい」
涙で落葉宮ははっきりと文を読めないのであるが、返事を父朱雀院に送った。御息所が生前常に、私が死んだならば、即日葬送して欲しいしと言っておられた事とて、逝去なされた今日、すぐそのまま埋葬し申しあげると、いうので。御息所の甥である大和守が葬儀の万事にわたって世話摺るのであった。もう少し亡骸を見ていたいという落葉宮の願いを、そう亡骸を暫し見申して、名残を惜しむとしても、惜しむ甲斐があるべきはずのものではないから、人々皆が準備に急ぎ取りかかって、悲しみ泣いて葬儀の出ようとする時に
、三条邸から夕霧大将が訪れた。
「今日を除いて後は葬儀に日が悪い」
三条邸で誰にともなく言って、心の中では落葉宮がいかに嘆きかなしんでいるかを推量して、このように急いで小野に行かれることはありますまいと、雲井雁や女房達が諫めるのを聞き流して無理に小野へ来たのであった。
心のせく上に道のりまで遠いので、山荘に着くとぞっとした。死の穢れを忌み憚るように、鈍色の幕の類を不吉そうに引いて隔て、屏風を巡らした葬送の儀式の方は、人に見せないので、落葉宮の部屋である、この西側の室に、タ霧を案内した。そこへ大和守が挨拶に来て涙を流しながら夕霧の来訪の礼を述べる。死の穢れがあるから、タ霧は、内には入らないでそこの隅の妻戸の外の簀子にいて、高欄に寄りかかって女房を呼ぶのであるが、女房達総てが心も落ちつかず、物も考えられない程、気抜けしている。このように、タ霧が弔問に来訪したので、女房達はいくらか気も落ちついてきた。その中の少将の君が夕霧の呼ぶのに答えて挨拶に来る。少将の君は大和守の妹で、小少将というときもある女房である。
夕霧は少将の女房を前にしてことばが出ず、常には涙もろくなく気の強い性格であるのに、今日は、小野という場所の様子や、御息所の生前の人柄などを思うとひどく悲しさがこみ上げてきて、世の無常という現実が、人ごとでなく自分の身に近く迫って見せつけられているにつけても哀しみが身にしみるのである。暫くして、
「ご病気が相当に軽快に御なりなさったと、前に承ったから、私が油断していた間に、夢にも考えていなかったはかない御急逝であった。夢もさめる迄には時間がかかるが、急にお亡くなりになるとは全く、驚き呆れました」
と、落葉宮に少将女房から伝えてもらった。かつて御息所の生前、御心労された母上ことを考えると、タ霧の故に多くは心も乱れて心配なされたのであるなあと、落葉宮が思っていると夕霧が考えると、当然そんな事になる宿縁とは言いながらも、落葉宮と夕霧との縁は全く情け無いものであるから、落葉宮からの返事はない。
「どのように姫様が、仰せなされると言って、私達はタ霧様に御返事を」
「本当に、軽くない、近衛大将の御身分で、こんなに、わざわざ、タ霧様が急いでお出でになったその気持を」
「その御好意をお考えにならない返事であるならば、それはきっとあまりに失礼になことでありましょう」
と女房達が口々に落葉宮に訴えるので、
「それならば、私の気持を推量して御返事を申しあげよ。私から夕霧にいうようなことはない」
と横になってしまうのも当然のことと言えばその通りである、少将は
「姫は只今は、亡き御息所と同じような状態であります。夕霧様が来られたことはお伝えいたしました」
ここの女房達も涙にむせているようであるので、
「落葉宮に申し上げる方法がない。もう少し私自身も恋心の激しさを落ちつけ、また落葉宮の御心も落ちつくような時におうかがいいたしましょう。ところで、御息所のご臨終は如何なものでした、御急逝の前後の御様子が承りたいのですが」
少将の女房が、その様子をはっきりではないけれども、御息所が、夕霧が落葉宮の許に一夜だけ泊って、二夜の後は訪れて来ないことを苦悩し嘆きなされた、あの様子を少しだけ伝えて、
「(このように申しあげてはタ霧様を恨み申しあげるようになりますが、私も今日は、御息所御葬式の故に、気持ちが落ち着きませんために夕霧様に間違ったことをお伝えするかも知れませんが、こんなに,悲しみに思い悩む落葉宮の御気持も、際限がある事で、いくらか気持が平常に戻られたときに、おっしゃるように又此方へお出でになれば御息所の御逝去の御有様を申しあげ、又夕霧様より御話も承りましょう」
と、悲しみで少将も普通でないので夕霧も言いたいことが言えず、
「いかにも、小少将の言う通り、私も、暗い闇の中に迷い入った気がする。少将は、落葉宮に、何かと慰めの言葉をかけて、私への、ほんの一言なりとも、落葉宮の御返事でもあるならば、いかにも、来ましょう」
と言って夕霧はその場を立ちかねるのであるが、近衛大将たる身の上では軽々しい行動であり、亡くなられたことで取り乱れているし、多くの人が集まってきていて忙しい現状であるから、タ霧は心残りはあるが、さすがに今日は帰ることにしたのであった。よもや今夜ではあるまいと、タ霧の考えていた葬儀一切の事などの準備が、早くも調って出来上がっているので、タ霧は、死んで、直ぐに葬送をするのが、あっけないことと、思って、小野に近い自分の領地の人々を葬儀の手伝いに召して、それぞれの役割を決めてから斧を後にした。事が急であるから、簡単に省略するようであった葬儀が、夕霧の好意やカ添えによって、荘厳であり、葬送の人数なども多数であった。葬儀の責任者である大和守も、
「こんな事は世間ではあり得ない、タ霧大将殿の御好意の御蔭である」
などと、喜んで御礼を申しあげた。
火葬にしてしまえば全く母の面影はなくなってしまうと、落葉宮は嘆きかなしむがその甲斐無く、例え親であっても落葉宮のようにこんなにまで母親と親密に睦しい毎日を送るようなことをしてはならないものであると、落葉宮の悲しみが異常な様子を見ている女房達も、落葉宮の身の上を追いかけて逝去なさるのではないかと心配していた。大和守は葬儀後の雑用などを整理した後で、
「こんなに、御一人で寂しくては、ここ小野に御住みなさる事が、できますまい。ここ小野は、全く、ほかのことで気を紛らすようなことは事が出来ますまい」
と、落葉宮に申しあげるのであるが、このままここにいて、せめて、炭を焼く煙だけでも近から眺めて、母の火葬の煙を思い出し御息所の形見と致しましょう、と一生この山で暮らそうと決心していた。喪中の四十九日の間、籠もっていた法師達は、山荘の寝殿の東側と、東側の渡殿と、女房や召使なども住み、又調度なども置く下屋に仕切りをして住みこんでいた。東面は、御息所の御祈祷所であった。寝殿の西側の落葉宮の部屋であった西の廂の間を、装飾を取り去って簡素にして、落葉宮は住んでいた。彼女は明けても暮れても母親を偲んで哀しみのまま暮らすうちに月が九月となった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー59-夕霧ー2 作家名:陽高慈雨