私の読む「源氏物語」ー59-夕霧ー2
応じて、タ霧が来訪しないだけでなくせめて、その返事だけでもあればと心待ちにしていたのだが、それもなく、とうとう今日も終わってしまおうとしている、一夜限りとは、どれ程ひどい、情知らずのタ霧の心であるのか、貴人としては、してはならない行動であると、呆れて色々と心配し、昨今普通に戻ったように見えていた病の方が、またぶり返したようである。しかし、夕霧も消息も来ないのを却って主人公の落葉宮の気持は、夕霧の行動を特別つらい情ないとも思うことなく、新婚の習慣をと言っても体の関係があったわけでもなし、夕霧が二夜目に来訪するということを守らないことを別に意外な事と、特別に驚くこともないから、
ただ彼女は、考えてもいなかったタ霧に、自分が隙をつくった姿を、先夜は見られた事だけが、いかにも残念であると、体の関係がないからと、母親に説明する方法もないので恥ずかしい様子をしているのを御息所が見て、真実を知らない母は、娘が心配でそれからそれへと、辛いことが続く可愛そうな娘であると、落葉宮を見ているので、胸がつまって悲しいから、
「今更難しいことを貴女には言いますまいと、思うのであるが、夕霧様のことはやっぱり、貴女の前世からの運命とは言うものの、貴女の考え方が意外に幼稚なので、タ霧様に逢い、人からあれこれ言われることは負わねばならない事でありまよ、それは、今更、取り返す事のできる問題ではないけれども、今後はそんな人の非難を受けることがないように注意をなさるのですよ。私はとるに足らぬような女ですが、今までに万事につけて、貴女を養育申しましたからねえ。ですから今は貴女自身がよく考えて、男女の関係の、あれやこれやと色々の事に対しても、貴女が判断する事が出来ると貴女を育てたつもりですよ。だから男女の関係は心配することはないと見ていました。然し、やっぱりまだお考えが甘くて、強くしっかりした考えがないまま、夕霧様に逢ったのだと、心配しておりまする故にまだ死ぬことが出来ません。
親王でもない普通の人でも、相当の身分になっているところの女で、男二人と夫婦の契をする例は、情なくつらく、軽薄な行為であるからねえ。まして親王の身である女が並大抵で、男が、近づくことが出来ないのに、かつて柏木を婿になされた事は意外で、貴女が気に入らない境遇であると私は、長い年月貴女の結婚生活を見て苦しんだけれども、それはいかにも当然、そうなる貴女の運命であろう。
何となれば朱雀院様を始めとして柏木を貴女の婿にとお許しになり、柏木の父の前の大臣もこの結婚を許そうと思っておられるときに、私一人が我を通して、同意に反対するのも、よくないと、諦めました事であるから、柏木存命中の彼の貴女に対する冷淡は勿論のこと、後々の世の今日に至るまで柏木に死別して不幸な貴女のことを、父朱雀院の御定めであるから落葉宮自身の判断の誤りでない故に、私は、誰を恨むことも出来なくて只、訳もなく大空を恨んで、貴女を見tきています。ところがこのように夕霧様のため貴女が世間での評判を落とすような浮気心が取り沙汰されることが胸につかえて苦しいのです。
それにしても、「タ霧様が落葉宮に通うという、タ霧の浮名の評判を私が知らない顔で、せめてタ霧様が一般の夫婦の様子で二人が暮して行くならば、私も自然に心が慰められることと私は、敢えて考えておりましたのにねえ。夕霧様がまさか貴女を一夜だけの慰みものとされ、二夜目には来訪もなく返事の文もない、あの方はこの上なく薄情な心の方でしたねえ」
と、御息所は不平を並べてつぶ/\と、泣きなさる。 落葉宮はそんな母を見て困り果て母親が自分とタ霧とが伴寝したものと独り合点して、苦しんでいるのをどう答えて良いのか適当な言葉がなく、時分も悲しくなって泣き出してしまった。そんな娘を見て、
「気の毒に貴女は何か人に遅れて育ったようですねえ。その貴女に何という運命の悪戯か柏木、夕霧と前世において深い関係があったのでしょう」
と言うや御息所は大変苦しみだした。物の怪というものは人間の心が弱ったときに付け入るものであるから御息所は息が絶え絶えになり、見る見るうちに体が冷えていった。女房達に律師達も御息所の急変に騒ぎ出して律師は大日如来に願などを掛けて、御息所の生還の祈祷を、大声で叫び唱える。律師は仏に向かい、深い誓願のために現在では一生涯の山籠もりであるのに、御息所のために、こんなにまで、志を曲げて山から出て来、しかも、その甲斐がなく、修法の土壇を破壊して山へ帰るのも面目ない、大日如来も、この様では甲斐なくて、自然、情なく思われなさるであろうと、一心不乱になって祈るのである。 当然落葉宮は目の前で母親が息絶えそうなことを泣きわめいて、母を生き返らそうと、とりついて揺さぶるのは当然のことである。
そのように騒いでいるさなかに女房が夕霧の文を持って来た。御息所は女房が文を読むのを虚ろに聞いて、今宵も夕霧は来訪しないと、思っていいた。御息所は娘の落葉宮が世間の物笑われの例につらいことだがなってしまうであろうと思う。何故、自分まであんな言葉「一夜ばかりの宿を借りけん」など、落葉宮とタ霧とがあたかも体を求め合ったような歌を、先日タ霧の許に送ったのであったのかと、後悔しながら、タ霧の薄情と自分の失敗とを、色々に思い出して、そのまま域を引き取ってしまった。一同の悲しみは一通りではない。昔から御息所に物の怪が取りつくことがしばしばあった。命が絶えるというようなことも折々あったので律師達は今日もそのようなことであるのかと、律師達全員が大声で読経を叫ぶようにするが、このたびは全く死に絶えたことが明らかであった。落葉宮は母に遅れまいと亡骸に抱きついて離れようとはしない。女房達が皆集まり、
「今は言葉がありません」
「落葉宮がいかに想われても、一緒に行きつくはての冥途に行く道には辿り着けません」
「御息所をお慕いされようと、一緒に死にたいと思う御心のままになりませぬ」
と女房達は今更言っても仕方ないことであるが、きまりきった道理を、落葉宮に申しあげて、
「あまりにお嘆きになるのはかえって不吉であり、涙は亡き母御息所の御ためにも、冥途の障害となって」
「さあもう此方にお出でなさいませ」
と落葉宮を亡骸から離そうとするのであるが、体は竦んだようでなにも分からない状態である。
祈祷の壇を解体して祈祷師達がばらぱら退出するけれども、当然、通夜などすべき僧だけは、後に残っており、いよいよ今はこれまでである事が心細く寂しいものである。いつの間にか御息所が亡くなられたという訃報が伝わったのか、あちこちからの御弔問が届き始めた。夕霧大将も聞いて驚き先ず文を持って弔問した。源氏も、柏木の父の前大臣もことこまかに文を書いて弔問した。山に籠もった朱雀院も聞かれて、本当にしみじみと、哀情も深く
文を書いて送ってきた。落葉宮は父の朱雀院からの文が来たのを聞いて初めて頭を上げた。
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作品名:私の読む「源氏物語」ー59-夕霧ー2 作家名:陽高慈雨