私の読む「源氏物語」ー58-夕霧
御息所は柏木との縁はし方がないけれども、彼の死後は、娘の落葉宮には再婚させず、皇女らしく独身を通し、け高くと、母親として御息所は思っていたのであるが、このような夕霧との噂が立つと、今後落葉宮が男恋しと好色な女として世間から見られるようになると、御息所は自分の思いとは別の方向に娘の将来が進んでいくと嘆くのであった。
「私軒持ちがはっきりしている間に落葉宮をこちらへ呼ぶようにして下さい。
宮の西の御部屋の方へ、私が参上するのが筋でありますが、病気で動かれませんので。お会いしなくなって久しくなるように思いますので」
落葉宮は、内親王なので、母より身分が高いので、無礼を断りながら涙を流して女房の少将に頼むのであった。
「御息所がお会いしたいと申されています」
とだけ少将は落葉宮に伝える。
御息所の許へ参ろうと落葉宮は額髪の
涙にぬれて、丸くかたまっているのを手入れをし、袿の下に着る単衣の昨夜夕霧に引っぱられて綻びた袖があるので着替えをして、すぐには立ち上がることが出来ない。心の中でこの女房達も、昨夜の事を、どんなに思うであろうか、タ霧と体を交えたかと思うであろうか、御息所も昨夜のことは知らないであろう、人から少しでも昨夜の一件を御息所が聞かれるようなことがあったならば、私が夕霧に逢い関係を持ちながら、御息所にそ知らぬ風をして隠していたなあと、自分が母に対して薄情者と思われることが恥ずかしいと、また臥してしまった。
「私は心中苦しんでいます。この苦しさがこのまま直らないで死に失せてしまうならば、それは人の噂にも上らず、人から見ても清い死に方だと思われるでしょうよ。だが今は、脚の病が頭に昇ったような気がする」
と落葉宮は女房の小少将に、脚を押したりさすったり按摩をさせた。落葉宮の癖は、何事か苦しい考えがあるとき、その答えがなかなか見つからないと頭に血が上るというものであった。少将は脚をさすりながら、
「御息所に昨夜のことをそっと告げた者がいるので御座いましょう。昨夜何かあったのかと、御息所がお聞きになるので、私は事実を隠すことなくお伝えして、隔ての襖はきっちりと閉めてあった事を少し大袈裟にではありますがいくらかつけ足して宮の潔白をはっきりと申しあげました。ですから万が一御息所がそのような点につき宮にお聞きになったらば、私の今申した通りにお答え下さいませ」
しかし少将に御息所が酷く嘆いていることは、落葉宮には告げなかった。
これを聞いて落葉宮は、小少将が、ありのままを御息所に申しあげたのであるなあと、ひどくがっかりした気がして、黙ったまま涙を流していた。彼女は今度の、タ霧との関係ばかりではなくて、自分がかつて、親王という身分であるのに世間に裏切るようにして、柏木の妻となり、そのことから今日まで、母御息所に心配ばかりかけてと、生きている甲斐もなく、自分の身の上を思い続け、そうして、また夕霧はこのままで断念することなく、この後も何やかやと言い寄ることは明白なことで、それもうるさく、聴くに堪えないことであろうと、あたまの中が混乱していた。昨夜は何事もなく潔白であっても、こんなにつらいから、まして夕霧の言葉に従って関係を結んでもしたならば、弁解のしようもなく、世間の噂によってどんなに評判を落とし汚名を蒙ったことであろうか。然し、体を任せなかったので汚名を受けなくて済んだと、すこしは慰めも付いたのであるが、身分の高い自分が、昨夜のように男に姿を総べて見せるという事は、してはならないことで、と自分の身の前世の因縁をつらく情なく思って塞ぎこみ、タ方になって、御息所から
「まだお出でにならないのか」
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と催促があったので、落葉宮は、御息所の病室と西側の落葉宮の部屋との間の塗寵の戸を御息所側と、落葉宮側とを、両方ともあけて、女房などにも見られないように、忍んで御息所の許へ渡っていった。御息所は我が娘ながらも親王という身分である落葉宮に、くるしい体であるが、作法通り臣下としての礼儀に従って起き上がり、
「大変この辺を取り乱していますから、落葉宮がここに御越しなされまするにつけても、私は、つらくて、恐縮致します。この二三日ばかり貴女をお見かけしないものですから、長年お逢いしないような気持ちです、考えると一方では親子は一世の縁と申しますから、どうも頼りない思いが致します。私の死後は、人間誰でもでしょう必ず再会するものとは言えないでしょう。輪廻の運でもう一度、この世に巡って生れて来るとしても、前世に親子であった因縁が、わかりようがないから、巡り逢いすることがありましょうか、考えて見ると、親子の仲と言ってもほんの一瞬間のことで、死別してしまうことは間違いないこの世の中なのに、お互いあまりに睦しく馴れ親しんで過ごしているので死別することが悔しくてならないと思います」
と御息所は泣くのである。落葉宮も母の言葉を悲しく聴いていて、柏木や夕霧のことを思い出し、御息所に声をかけることもなく、じっと母の顔を見つめていた。
落葉宮は内気な性格であるので、昨夜の事などを、てきぱきと言ってしまって気持ちをすっきりとさせるようなことのできる女でもないからなにも言わず、恥ずかしいことをしたと、心中に思っているのを、母の御息所も承知していて、娘の姿がいとおしく、昨夜はどうしたということなどは聞きもしなかった。
日が暮れてきたので大殿油などの照明器具を急いで用意をして、夕食の膳などは、御息所の、こちらの部屋で、落葉宮に御あげなされる。落葉宮は食事を召しあがりなさらないと、御息所が聞き、御息所手ずからあれやこれやと美味しそうな物を娘の前に出すのであるが、落葉宮は触りもしない。只御息所の病が幾分治まったように見えるのが、娘心にすっとした気分であった。
夕霧から落葉宮にまた文がきた。夕霧と自分の主人である落葉宮との関係を知らない女房が受けとって、
「夕霧大将より少将の君にお文です」
小少将も落葉宮も困った顔をしていた。少将が受けとる。御息所、
「どのようなお文かな」
落葉宮は何とも言わないが、タ露の事が気になるのでさすがに、小少将に
聞くのである。御息所は落葉宮が、既にタ霧に直接逢った以上は、あれこれ言っても仕方がないことなので内心は、落葉宮とタ霧の関係を許そうと、思って諦めていたので、今宵は心の中には夕霧の来訪を待ちわびていたのであるが、文のみで夕霧の来訪はないようである、というのは昨夜二人が契りを結んだのであるならば今宵は二日目に当たる、もし二人が正式に結婚というならば男は女の許に三日続けて通うのがその証であるから、当然今宵も夕霧が来訪するものと思っているのである、それが文だけとはと、御息所は心が穏やかでない、
「さあ、その文の返事を慣例ではないがやっぱり書きなさい。返事をしないのは礼儀がないことです。既に法師達は貴女達の噂をしているから、人の浮名を良いように受けとる人は余りいないものであります。貴女が潔白であると思いなされても、そのようなことを信用する人は少ないものです。返事を、
作品名:私の読む「源氏物語」ー58-夕霧 作家名:陽高慈雨