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私の読む「源氏物語」ー58-夕霧

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「有り難う御座います、こんなにまで親切なお見舞いの言葉を頂き、またこのような山奥まで御越しなされた事を感謝いたします。万が一、私が死んでしまいまするならば、「せめて、この御見舞の御礼も申し上げることが出来ませんのに、お見舞いをいただき、今少し命が延びたような気持ちがいたします」
 と御息所は知らせに来た女房を通じて夕霧に感謝の気持ちを伝えた。
「この小野の里にお移りの際に、お供をしようと思っていましたところ、父源氏の用を受けましてお見送りのお供が出来ませんでした。その後毎日、何と言う事もない雑事に追われることが多く、御息所を心配している私の気持ちよりも、行動をしない私を冷たく思われたことでしょう、私はそのことを苦しく思っていました」
 落葉宮は奥の部屋で夕霧と母親の交わす言葉を聞きながら静かにしていたのであるが、御息所の物怪治療という、仮の宿であるので、一条宮のように奥深くなく、落葉宮の坐っているところから、夕霧までの距離はさほど離れてもいないので、落葉宮の動きは自然とタ霧にははっきりと掴めた。彼女がゆっくりと動くときの、衣ずれの音を夕霧は、その音で、落葉宮の人としての素質を推測して、彼女はその程度の女であるかと、想像しながら聞いていた。身も心も、自然に、そわそわと落ちつかなく思われるので、御息所への、タ霧の口上が、女房の取次によって伝達せられる間、行って帰って来るまでの少し時間の隙に夕霧は少将の君など、そこに伺候している女房達に、何時もの如く世間話をしながら御息所の言葉を待っている。少将の君は、小少将と呼ばれで、御息所の姪で落葉宮の従姉妹で、大和守の妹に当る。
 夕霧は、
「柏木の死後、既に三年を経過している
が、その間私がこのように度々こちらに伺候して、御用を伺ったりしていますのに、未だに他人扱いでよそよそしく、疎遠に待遇されてこんな御簾の外で、取次の人を介しての、落葉宮の挨拶などが、何となく朧に伺ったり、また、私の挨拶を伝える、という習慣に私はまだ馴れない。こんなことは初めての事であります。
落葉宮の恨みでもあるのでしょうか。
 私が女好きの男であれば、こんなに愚図愚図していなくて宮の側に近寄っています。あなた方女房達は、私の古風な堅苦しい性質をお笑いでしょう。私は歳も若く、身分も低かった時代に、多少とも浮気を経験ずみであったならば、このように、初心な気恥ずかしさを、考えないであろうがなあ。実は年も取ったので気おくれを感じている。この歳なって、これ程まで生真面目で、間抜けて毎日を過ごしている者が、私の外にはないであろう」
 女房達が夕霧がこう宮のために手助けをするのは、宮に気があるからであろうと、思って話す。夕霧は、自分が御簾の外に置かれたり、取次で話すような、軽い侮った扱いを止めてもらって、御簾の内に入れてもらって直接話を落葉宮としたいのである。女房達は夕霧が自分らの主人である落葉宮にきがあるなと、察して、
「中途半端な、取次しての御返事なんかは」
「それは、たとい申しあげるとしても、私が申し上げてはかえって失礼では」
 お互いが今の夕霧の話を誰が宮に取り次ぐかつつき合って譲り合っている、が一人が奥へ行って、
「これ程まで悩みをおしゃいます夕霧様の告白を、宮から御返事が無くては御聞き分けがないと思いますが」
 取り次いで宮に話すと、
「母上がご自分で、タ霧の御見舞を喜んで御挨拶なさるべきなのに、御返事申しなさらないようでありますね、夕霧様が御気の毒ですので、私が代って御挨拶申しあげなければならないということは分かっていますがねえ、母上が恐しい程苦しんで御ありなされたようであったから、私は看病しておりました間に、いつもよりも、ずっと、私は意識がもうろうとしていまして、どうして良いか分からない気持になったので」
 と取り次ぎを通じて夕霧に伝えると、「これは、落葉宮の御挨拶であるか」
 と言って、敬意を表して、居ずまいを正してから、
「御息所の御容体を、私自身の病などと比較にもなりませんほどお案じいたしておりますのも、落葉宮はその理由をお分かりでしょうか、出過ぎたことですが、御息所の御理解あるお話を、気分の爽かな状態のときに、もう一度拝聴するまでは落葉宮が、お元気で御過ごしなさるならば、それこそ、どなたの御ためにも、気強い事でござりましょうと、御察ししますのでこのように後見いたしております、先ほどから意識がもうろうとしてと、おっしゃりましたので心配ですので。
 しかし貴女は私の後見を専ら御息所のためと考えなされて、柏木が亡くなってからのこれまでの間に、次第に積もってきました私の切ない気持を、貴女が分かっていただけないのが私の気持ちからはずれて残念に思っています」
 と取り次ぎの女房に言う、
「その通りだわ」
と夕霧の言葉を聞いていた女房達は口々に言う。
 日暮れになって行くにつれて空の色もしみじみと物寂しく、一面に霧が出てきて山陰はもう暗くなっているのに蜩がしきりに鳴いて古今集の歌「ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける」(ひぐらしが鳴きはじめたのにつれて、その名のとおり日が暮れたと思ったのは、ちょうど山の陰に入ったからだった) が思われ、夕風に垣根の撫子が靡いている風情も、同じ古今集の歌「あな恋し今も見てしが山賎の垣ほに咲ける大和撫子」(ああ恋しい、今すぐにでも逢いたいものだ。山住みの人の垣根に咲いている大和撫子のような、あの人に)また、素性法師の「我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕影の大和なでしこ」(私一人だけがしみじみと眺めながらもてはやすのだろうか、こおろぎが鳴くさなか、タ日の光に照らされながらわびしげに咲いている大和なでしこの花を)を思い出して夕霧は
、歌の雰囲気を考えて見ていた。西側の部屋(落葉宮のいる部屋で、今、タ霧のいる所)の前の庭の植えこみの木草の花などは、勝手な方向に乱れているのに、筧の水の音が涼しく感じ、比叡の山から吹き下ろして来る風が、物凄い気がし、この風に松林の響きが奥にこもってそこらじゅう聞こえたりなどして、一昼夜を十二時に分け、交替して絶えず経を読む、不断経の交替時になるので前番の僧は、終って礼拝し鐘を打って立ち上り、読経しつつ仏前を去り後番の僧は、前番の僧と同じ経文を斉唱しつつ仏前に行き、鐘を打って札拝し、着席する。前番の僧は御堂を出て読経を止める。その二人の僧の経文斉唱の調子が一緒になって、尊く霊験があるように聞こえるのである。色々のことが心細く感じられる夕霧には、全てが哀れに見えるのである。そのようなことで帰ろうという気が全く起こらないのであった。香水を撒く散杖を使ったり磐を打ったり、木を焚くなど加持の動作と共に、律師は陀綴尼経を厳かに読んでいる。
「御息所は、物怪が起って、ひどく苦しんでおられます」