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私の読む「源氏物語」ー58-夕霧

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夕 霧

「柏木、お前は真面目な人物という評判だから、変な浮気は止めとけよ」と、夕霧は子供の時からの友であり、今は柏木の妹の雲井雁を妻にしているという間柄で度々注意はしていたのであったが、どうも彼は夕霧の父である源氏の正妻、朱雀院の三宮に恋をして、はっきりとはしないが、彼女と関係を結び、三宮は彼の子供である薫を産んだのではないかと憶測して、柏木はそのことを苦にして心の病となり彼は亡くなったと、考えていた。三宮は源氏の兄朱雀院の娘、で二宮は落葉宮と呼ばれて三宮とは腹違いの姉で柏木の正妻である。柏木の臨終間際に立ち会った夕霧は、彼から自分の亡き後、落葉宮をよろしく頼むと遺言された。 その言葉を実行しようと度々落葉宮の住む一条院を訪問し、彼女の母である朱雀院の更衣であった御息所と親しく語るようになり、柏木の遺品である横笛までも預かることになった。夕霧も真面目な青年で妻の雲井雁とは長年にわたり恋人であったが、雲井雁の父である昔の頭中将、現在は致仕大臣と言われ、前の太政大臣からの許可が下りずに結婚までは数年かかった。夕霧は真面目であるが、外の女は源氏とは乳兄弟である惟光の娘藤典侍一人あった。これも雲井雁との結婚がままならない寂しいときに関係が出来た。
 夕霧は亡き柏木の正妻である落葉宮を
柏木生前から綺麗な人であろうと、思っていたので、世間からは、柏木との昔の友情を忘れない気持と見えるようにして、大層親切に落葉宮を訪問するのであった。しかし夕霧の内心は、他人行儀ではなくいづれは自分の女にしようと、訪問を続けるうちに落葉宮に恋心が膨らんでいくのであった。
 落葉宮の母御息所も、夕霧様は本当に昨今珍しいよくよく親切なお方である、と柏木亡き後、日がたつにつれて寂しさが増す頃合いに夕霧が絶えず訪問してくるので、御息所は慰められるのであった。 夕霧は訪問の始めは、落葉宮におもいをかける懸想めいた気持ちはなかったのであるが、度々の訪問で、うって変って
気にかかるようになり、やがてそれも懸想じみてきて、もし自然に自分の行動や言葉に女を靡かせようとするような、女の気を引くような、なまめかしい素振りでもあるとそれは恥ずかしいことで、自分が慰めの訪問を繰り返すうちに、落葉宮に自分の深い情愛を何となく伝えられ、そうして自分に落葉宮が心を許して、灯ち解けて来るような時があるのではないだろうか、と思いいろいろと話をしながら、これからどのような世話をしていくのであろうかと、屋敷内を見回し、御簾と几帳を隔てて座っている落葉宮の様子を見ているのだが、直接夕霧との会話はなく常に取次の女房を介して受け答えをさせて落葉宮自身では、タ霧に直接話をするようなことはなかった。
 夕霧はどういうような機会に、心に思う事を落葉宮に、十分に話をして落葉宮という女の反応を見ようと考え続けて過ごしている頃に、女の母御息所に物の怪が急に取りつき体の不調を訴えられるので、都の東北の小野というあたりに、山荘を持っていたのでそこへ移っていった。ずっと以前から、帰依している祈祷の僧で物の怪を仏に祈って調伏した律師が、「比叡山に山ごもりして、山より外の里に出る意志はない」と仏に誓約して修行に入っているので、小野は比叡山の麓近くなので、請ぃ招いて山から下りてもらおうと移ったのであった。律師は僧都に次ぐ僧官で正と権とあって五位に相当する。
 御息所が山荘に移る時に乗る車を始めとして、その前駆の御供などまで、タ霧が自分の車や供の者を用意して御息所を小野に送ったのに反して、柏木の兄弟達は、自分達の業務の忙しさに取り紛れて、一条邸の事などは、思い出しもしなかった。それはそれとして、柏木の弟の左大弁(後の紅梅大臣)は。兄柏木から落葉宮の事を頼まれていたのであるが、兄嫁の落葉宮に懸想の気色ありげに言い寄るので、彼女はそれを嫌って知らぬ顔であったために、それ以後は彼女の許に参って安否を問うようなことはしなかった。 そのような柏木の親戚の者の態度であるのに、夕霧は、御息所の物の怪騒動に上手く便乗して調子良く親切に懸想じみた様子もなく、落葉宮の相談に乗り、また出来ないことを自分の手の者で解決するなどして、宮とは親しく話をするようになったようである。
 物の怪退散の御祈礒などを、御息所が、山荘で行うと、聞いて、タ霧は祈祷する僧への布施は勿論、僧の着る浄衣などのような、こまごました物まで落葉宮の母のために用意した。しかし物怪に悩む御息所は夕霧の努力に礼を言うことがなかった。
「普通のありふれた代筆は、タ霧は不愉快に思いでしょうに」
「それでも黙って代筆されて、夕霧様は立派な御人柄である」
 と女房達が口々に御息所に注意するのであるが礼を言うようなこともないので、娘の落葉宮が見かねて夕霧に礼状を認めた。 落葉宮の書体は独特の味があって、たった一行の礼言しか書いてはいないのであるが、落ちついてゆったりした書体で、親しみのある文句を書いてあるので、タ霧はその書体を見て、ますます落葉宮の文が見たくなって、この後しげしげと落葉宮に文を送る、訪問することになった。
 やっばり、結局は、何かわけのありそうな夕霧と落葉宮の仲になってきたと、夕霧の正妻である雲井雁は気づき、タ霧は二人の仲がおかしくなるのが面倒なので、小野の落葉宮の許に行きたいのであるが出かけることが出来なかった。
 八月十日頃になるとの野原の景色も 楽しく見渡せる、小野の山里の景色も見たい夕霧は、
「某律師で、修行を休み比叡山から珍しく小野に下っている僧に、私は、何としても、相談しなければならない事があり、また御息所の病もお見舞いしたいので、小野に行ってくる」
 いかにも通り一遍の見舞として小野に行くのだと、雲井雁に言い訳のように言って家を出た。御車の前駆の御供は、夕霧は近衛大将であるけれども、大袈裟に物々しくしないで、親しい者五六人が狩衣を着て従った。あくまでも公式の外出ということにしなかった。小野への道中は格別に山深い道ではないけれども、松が崎の小さい山の秋色なども、そんな大した岩の山ではないけれども、時節柄、秋の風情が加わって「都の中に二つとなく」と、風流を尽くした家の庭の風情に比較して、風情も面白みも勝って見えた
。御息所が療養している山荘は何でもない、一寸した小柴垣でも、風趣のある状態に敢えて作って、住まいは仮屋であるとはいえ上品に暮らしている。寝殿と思うような建物の東廂の放出の部屋に、祈祷の壇を土を塗り重ねて作り、御息所は北の廂を自室として、西側の部屋に落葉宮に住まいしていた。
「物怪は、うるさく面倒なものである」 と言って、落葉宮を都にとどめておくのであったけれども、
「母上と離れては住めません」
 と母をしたって山荘に移ってきたのであるが、物の怪が落葉宮に乗り移って行く事を心配して、少しの間隔だけでも置こうと、あちらの御息所のいる北廂には落葉宮を近寄せなさらない。そのようなことで、来客したタ霧の、当然坐るところがないので、落葉宮の部屋のある西側の室の簾の外側に座を造り夕霧を案内して、女房の取り締まりのような人が御息所に夕霧の来訪を知らせた。