私の読む「源氏物語」ー57-鈴虫
のんぴりしており難う、自然に思われますから、出家をして「浮世を離れた住居にでもおろうか」と、段々決心してきたのであるが、私の後に残る人達、紫上・明石上・明石女御などが、もしも何となく頼りないようであるならば、以前にも、御頼み申した事を、間違いなく、貴女は、心に留めていただき、御世話をして下されよ」
源氏は真面目にお願いをする。秋好中宮はいかにも若々しく大らかな性格のままで、
「冷泉院御在位中は内裏の奥深くにおりましたが、御在位中は六条院に里帰りを度々して、源氏様との対面もできましたが、帝を退位された後は閑暇がありますのにかえって、冷泉院様が常に私を側から離されませんので、暇がなくて源氏様にも疎遠で対面することが少なくなりましたからねえ。このことは私にとっては意外なことで私も少し困っております。
朝顔斎院・朧月夜・三宮いずれの方々も皆出家して源氏様から離れておしまいになり、私も出家したくなる事もありますので、貴方にその心のうちを、ご相談して源氏様のお考えを承り、何事でも第一に、源氏様を頼りにするのが私の習慣になっていますので、貴方が私の出家に不同意でもあろうかと思うので、何かが胸につまっていて気持ちが晴れ晴れといたしません」
「なる程、今言われる通り、冷泉院御在位時代の中宮での頃は、なかなか表向きのお里帰りは思うようにいかないのでありましたでしょうが、それでも時折の御里帰りは、私はお待ちいたしておりました。所が今は、どんな理由でも貴女自身が自由に御里帰りはお出来にならない状態です。決まった通りには行かない世の中とはいえ、貴女のような、それ程この世に腹の立ついやな事のない方が、綺麗さっぱりと世を捨て出家する事も出来にくいことで、又出家する事で未練がなくなり当然、気楽になるはずの身分の人であっても、なんとなく自然に振り切れない、かかわりあう係累がございますから出家はしにくいものであるりますよ。出家をどうして御考えなさるか。貴女のような人まねをして出家を競うその信仰心は、出家しようなどとは決して、本当に
あってはならないことです」
と源氏が秋好中宮を戒めるように言うと、彼女は
「源氏様は深く私の気持ちを汲み取って考えておられないような気がする」
と、源氏は厳しいことを言われると思いながら答えた。
秋好中宮は母の六条御息所は亡くなった後、あの地獄で苦しんでいる姿は、どんな地獄の業火の中に亡くなられた魂が彷徨っているのであろうか、亡くなった後まで人に嫌われる物怪となっていることを、源氏には隠していたが、自然と人の口から、紫の上に物の怪が現れたということが彼女の耳に入り、その後は彼女は悲しく心の憂さも厳しくなり、この世に生きることが煩わしく思うようになり、明確でなくても、母六条御息所の物怪が、かつて仰せられたとかいうことを詳しく聞きたいものであるが、まともに源氏には聞けないので、
「亡き母があの世での罪が軽くなく、物怪などになって現れたのであると、うすうす人づてに聞く事がござりましたけれども、そんな証拠が明瞭でなくても罪が軽くないことは私も推測はしていますが、私は、かつての母と死別の時の悲哀だけを忘れないで、母の来世の事をまで考え及ばない、浅はかな、頼りない私でした。そこで私は仏の道を高僧善知識の高僧からよく、教えていただきまして、せめて、私自身だけでも、地獄の業火の焔の苦患をどうにかして、母の苦しみを救ってあげたいものである。と歳を重ねる内に考えつきました」
と出家の志を言葉の中に隠して源氏に言う。
「秋好中宮の申す通り、なる程、中宮は、そんな事実を知りになれば出家したいと、きっと思いなさるに相違ない事である」
と源氏は秋好中宮を可哀想な方であると見ていた。
「その地獄の業火はいかにも誰もが逃げられないものと知りながら、朝露が、草葉にかかっていた間は、この世を捨てることが出来ないものである。釈迦の御弟子の日蓮尊者が、羅漢と言って釈迦に近い悟った身の聖者で、大焦熱地獄に堕ちた亡母の苦患を、かつて蓮座に救ったとかいう例にも、貴女の出家ではまだまねはできないものですから、出家をなさって、落飾して玉の美しい簪である中宮の位などを捨てなされるとして、その後でも、この世には悔恨という執念が残るものである。だから段々と、そのような仏の道を聞かせる人の勧説を聞いて、仏道に入る御気持を、自分の物として出家しなくともあの母御息所の、地獄の業火の苦患から救われる事である追善供養をしてはいかがであろう。私も御息所の追善供養をしようと考える事もありますが、身辺が落ちつかなく、ざわざわしている状態で政治の面からは離れはしたものの、いろいろと雑事があって閑静な境遇にありたいとの本望も、達せられないようなその日その日を送っているような有様で、自分自身の念仏読経の勤行に加えて、そのうちに、静かに御息所の追善供養をして冥福を祈ろうと考えていますが、貴女が、「母御息所の、あの世の冥福を考えてやろうとしなかった事の浅はかさ」などと仰せられた通り、なる程、私も明日の命すらわからない癖に、「そのうちに、静かになった時に」などと、先の事を考えるのは浅はかな事である」
と秋好中宮に源氏は言うが、万事、頼りがなく、秋好中宮の言葉に対して「出家せずとも、業火から逃れる事をせられよ」と、一度は止めたが,考えて見ると、実は源氏自身も、「厭い捨てたく思う事」などがあり、お互に語りあうのであるが、、やっばり、思うままに姿を変えて出家する事が困難な二人の事情という者があるのである。
昨夜は冷泉院へこっそりと訪問して、夜のことで威儀も整えなくて軽々しい装束でよかった源氏の外出であったが、今朝は、日中であるので源氏が帰ることが、人々に公然と知られることになり、冷泉院に集まった上達部達は源氏の行列に従って六条院に源氏を送ることになった。春宮の女御である明石女御を、源氏が並ぶものなく大切に世話しなされた結果現在の甲斐甲斐しい姿になった。タ霧大将が又、勝れて、全く人と違っている様子も、源氏は「明石女御とタ霧とは、優劣なく、どちらも共に立派である」と思っているのであるが、冷泉院に心を砕くさまは夕霧や明石女御に対する思い以上のものがある。 冷泉院も、平素から源氏のことを、どうしておられるかと気がかりで、帝として在位中は源氏と対面がなかなか自由に出来ず、気持ちが重く感じる日が続くのであったが、譲位を急いでなされて上皇になり自然このように、「気楽な境遇でいよう」と、思いなさるのであった。秋好中宮が、帝の在位中よりも里邸である六条院へなかなか行けなくなったのも、二人が臣下の夫婦のように並んで坐り却って、冷泉院の御在位中の昔よりも華やかに遊び事を催すのである。
作品名:私の読む「源氏物語」ー57-鈴虫 作家名:陽高慈雨