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私の読む「源氏物語」ー57-鈴虫

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(自分の心から鈴虫は、この庭の草の宿りを嫌であろうけれども、やっぱりまだ、鈴虫の声は、いかにも若々しい)

 と三宮がこの世を厭い尼となっても、未だにその声は若々しいと、自分が三宮をまだ諦めてはいない気持ちを源氏は歌に込めて返歌すると、きむの琴という七弦の琴を取り寄せて珍しく演奏した。三宮は数珠を繰るのをやめて、源氏の七絃琴に、尼とはいえ若い女である、やはり聞き入っていた。月が出てきて全く、月の光の明るく花やかな趣につけても、感興を催す故に、源氏は空を見つめて、この世が様々な形で変化していくのを、瀧月夜や朝顔斎院や玉鬘や三宮などとの関係に置き換えて考えると、それらさまざまの関係が、取りとめもなく移り変って行く状態も自然に思い出されてくるので、演奏しながら源氏の心中に色々と感懐が湧き平素よりも寂しい音色で弾き続けた。
 今宵は例年のことで、中秋の月見をしているであろうと、推測して源氏の弟の兵部卿宮がこの六条院へ来訪した。夕霧大将は殿上人の主立った何人かを連れてこれも来訪してきて賑やかな集まりとなった。源氏が三宮の方にいることを聞いて、源氏の琴の演奏の曲を聴きながら一同は揃って三宮の対へ渡ってきた。
「私はする事もなく、手持無沙汰なので、中秋の今夜わざと改った音楽の催しはなくても、長い間、聞く事のなかった珍しい音楽などを聞きたかったので、独りで弾いていた琴の音を、よく探してよく尋ねて下された」
 と言って蛍宮とも呼ばれる兵部卿宮の御座を支度して招き入れる。
「内裏で帝の主催される名月の会が、今夜は当然宴があるべきはずであったのに、中止になって寂しかったときに、こちらで宴が開かれていると言うことを聞きまして」
と上達部達も次々に六条院へ来訪してきた。彼らはまず耳を澄まして虫の声を楽しみ、続いて琴を弾き楽しく唄う、
「月見の時はいつも何となく寂しい情趣を感じる中でも、今夜のしみじみと輝く月を眺めていると、白楽天の詩に、遠く二千里外に離れた故人の友を思いやる、とあるが、なる程、やっばり、この世の外まで、詩にあるようにそれからそれへと自然に思い出されることよ、故人と言えば、亡き権大納言柏木が、どんな集まりでも、現在この世に亡くその場にいないと言うことが、自然に思い出される事が多く、柏木が故人となった今は公私につけて、何かの催しの折毎に光彩が失しなった感じがするものだ。柏木は花の色、鳥の音が人に与える感情を理解し、話をしても話しの受け答えに行き届いて立派であった」
 と語りながら奏でる源氏の琴の音は悲しみが真に迫るように涙を流すものがあった。源氏は自分の言うことを聞いて、三宮はこの柏木の生存時の噂を聞いているであろうと、一方の心のなかでは、三宮と柏木の中をねたましく不快に考えながら柏木を、このような音楽の催しの時には、欠くことの出来ない人物であったと、何をおいても第一に恋しく、帝も同じように柏木を思い出しなさるのであった。
「今夜は鈴虫の宴である」
 と思いまた集まった人達にも告げる。源氏が、二杯の杯を空ける頃に、冷泉院から源氏に文がある。内容は、帝の主催する月見の宴が中止になった悔しさと、左大辨・式部大輔外に主立った人達だけが、冷泉院に参り、夕霧大将等は六条院に集まっていると、聞いたからであった。

雲の上をかけ離れたるすみかにも
     もの忘れせぬ秋の夜の月(雲の上を離れた住居にも、物忘れせずに訪ねて来る秋の夜の月である)

 退位して内裏を離れた住居にも月は輝いている。月を見るのは、どこで見るのも同じ事ならば、こちらに参って月を御覧あれ。という意味の招待の歌である。

「私は出入に何の遠慮もない身であるが、冷泉院は御退位後の現在は静かに気安く暮らしてお出でであるのに、参上して親しく話すことがあまりないから、冷泉院はそんな私の疎遠を不満足に思い、私に文を下されたのは、勿体ない事である」
 と急なことではあるが、冷泉院へ訪問することにした。

月影は同じ雲居に見えながら
    わが宿からの秋ぞ変はれる(月の光は、内裏に御ありでも冷泉院に御ありでも、昔と変らず同じ大宮に、変りなく見られるものの、私の境遇のせいで、秋の情趣はいかにも、私には変ったものである。私は昔の状態ではない)

と、花山院の「こころみにほかの月をも見てしがな我が宿からのあはれなるかと」(ためしに、よそでの月を見てみたいよ。月がこれほどあわれ深く美しいのは、眺める場所のせいかなのかどうかと)の歌を参考にして詠い、源氏は歌の趣旨は変わらないと思うが、冷泉院の在位の昔や退位後の今の様子が、源氏の心中に
思っているのと同じようなものである。
冷泉院からの使いの者に酒を与え、かずけ物(祝儀)は、本当にこの上なく立派なものであった。
 六条院へ集まった蛍宮、夕霧その他の上達部は冷泉院へ自分たちも訪問すると、位の順に車を並び替えて、乗り込む人や、車の弾き直しをする馭者の者達で、今まで静かであった六条院の門前が賑やかになり、虫の音を観賞するのは中止になり、全員六条院を出発した。源氏に車には兵部卿が同乗され、夕霧、藤宰相など六条院に集まった人は皆冷泉院に参上した。源氏は直衣姿では簡略な装束であるから、無礼であると、下襲だけを着重ね「直衣布袴姿」と装束で出かけた。月が昇り、夜更けが何となく情緒があるので若い人達は横笛などを、自然と吹き出し、先払いもなく威儀も整えず、御忍びの御参上と言う行列であった。しかし冷泉院との対面は当然きちんと威儀を正してなされた。また、今夜は太上天皇としてでなく昔の臣下にもどって、いかめしい儀式もなく気軽な風に、ひょっと参上したから冷泉院は驚いて、また待っていた喜びもあった。冷泉院は今年で三十二才になり整った顔は、以前よりももっともっと源氏に似てきて、年齢から言うと今一番盛りの時であるのに、自身の考えから帝の地位を捨てて、閑静な生活をしている様子は、しみじみと感じが少くない。その夜の歌は、唐国、大和も意味が深く、いかにも興味津々たるものがあるのであるが、然し、聞きかじりの一端だけでは、そのままここに書きたくても、筆者としてどうも恥ずかしいのでこの辺で止める。夜明け方に一同は詩歌などを披露して、急いで退出していった。
 源氏は秋好中宮の許に参上して冷泉院の帝を退位されてか等のことをいろいろと話をした。
「冷泉院御退位の現在は、貴女のこのような閑静な御住居に、私は度々も参上致すべきであり、また、何と言う事はないけれども私も年を取ると共に、忘れている昔の話も聞きたいし、またこちらからもお話をしたいのであるが、しかし院号を受けても、準太上天皇であって、本当の太上天皇ではなく、さりとて、臣下でもなく、どっちにもつかない中途半端の身分でしばしば参上するのも私は、太上天皇として参上するのも憚られ、臣下としての参上もならないので、訪問は、さすがに、太上天皇としてはきまりも悪く、又、臣下としては気づまりでありますので訪問を遠慮していました。自分より若い人達は、朝顔斎院・朧月夜・三宮などは出家し、柏木は他界して、私の出家などが遅れて行く気がするにつけても、止まることを知らぬ世の中に心細く感じ、